三月も読書会に参加してきました。
私は関西シルバーバーチ読書会 に参加させていただいています。
これまではインターネット上に所在地を公表するのは少し躊躇していたのでどこの読書会に参加しているのか、というのは伏せてきましたが、今月からは関西シルバーバーチ読書会のホームページ をリンクさせていただくことにしました。
というのも、ホームページをリニューアルされて、なんだか私も嬉しくなったからです♪
では、今月も素晴らしい学びの時間でした。
さっそく書いていこうと思います。
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今月の資料
★「シルバーバーチは語る」 20章・・・青年牧師との論争
スピリチュアリズム・ブックス「シルバーバーチは語る」20章へ
★「続スピリチュアリズム入門」 第一部 8章・・・善と悪について
スピリチュアリズム・ブックス「続スピリチュアリズム入門」第一部 8章へ
★プリント 心の道場 スピリチュアリズム・ニューズレター28号 人間の霊的成長を支配する神の摂理(法則)より 図6「人間の霊的成長に関する摂理の全体像」をプリントアウトしていただきました
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まず、心の道場 スピリチュアリズム・ニューズレター28号 人間の霊的成長を支配する神の摂理(法則)より 図6「人間の霊的成長に関する摂理の全体像」をこちらにアップしておきます。
★霊訓を読んでいても、言葉だけで流してしまいそうな内容をこうして図で理解することで、大きな視点から学ぶことができるので、ぜひ活用してくださいとのことでした。
★進化の法則が全体の進化の為に働いていて、辛い時は進化の法則が働いていることを思うと楽になる
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★「シルバーバーチは語る」 20章・・・青年牧師との論争
スピリチュアリズム・ブックス「シルバーバーチは語る」20章へ
いただいたまとめのプリントをこちらに転載したいと思います。
<第二回目の議論>
●理想に向けての努力こそが完全に向けての努力
・努力することが大切/プロセスが重要(必死に努力することによって成長する)
・完全を目指して全力を振り絞る ←→ あきらめる・努力しない
・結果より努力することが大事
●キリスト教のイエス観への批判
・イエスは神ではなく人間(人間的な感情を持っていた)
・イエスはメシア(救い主)ではない
・イエスは人間の生き方の模範を示した(イエスのしたことは誰にでもできること)
●自由意思の法則(法則の後ろに神の慈悲)
・自由も摂理の一環・大霊の愛から生まれた法則
・自由意思を行使できる範囲は摂理によって規制されている(別の摂理によって支配)
●罪の問題(善悪観)
・罪は本人が償うもの(自己責任の法則・償いの法則)
・キリスト教の贖罪論(イエスを信じれば罪が許される)は間違い
・罪とは(由来)
【キリスト教】
神=善の勢力 ・ サタン=悪の勢力 分かれて対峙し闘い
<サタン>→悪なる思い→悪が発生する VS <神>→良い思い→善が発生する
・善VS悪の闘い、つまり神VS悪魔の闘いがキリスト教の教義
【スピリチュアリズム】
利他心と利己心の葛藤の中で自己責任によって成長
・すべて自己責任の領域
肉>霊 → 利己心(悪なる思い)→ 霊的成長できない <摂理に一致していない生き方・考え方>
霊>肉 → 利他心(善なる思い)→ 霊的成長を促す <摂理に一致した生き方・考え方>
・霊も肉も神が与えた(神の中に内在していた要素) 人間が考えてきた善も悪も、実はすべて神の一部である
・”人間は思念を出す一個の器官” 善の思念(利他心)を出すか、悪の思念(利己心)を出すかは本人の責任
★思念はリアルで実体の伴うもの
★行動にも善悪があるが、思念自体も善悪がある
★本能的・自己中心的・肉体的になると摂理に一致していないので霊的成長ができない
★良くない行為や思いは自分の責任であって、外部のサタンからの働きかけではない
●罪の償いの問題
【キリスト教】
・罪の告白とイエスを信じることで罪は許される(懺悔・贖罪)
<人間の罪をイエスが十字架の死によって贖い、神と人との和解を果たした>
【スピリチュアリズム】
・自分で作った罪は自分で償う(自己責任の法則)
・元に戻す努力をしたときに罪は消える(償いの法則)
★努力をしないと罪は消えない、努力が必要
★病気は正しい道に戻るためのありがたいもの、嫌な避けるべきものではない
<罪のこくはくについて> 正しい方向への第一歩に過ぎない。歪みを正すまで罪は残る
★自分で歪みに気付いて告白しただけではダメ。そこから正していく努力をしなければ罪は消えない
●イエスについて
・イエスの真価 = 人間の生き方の見本
・イエスへの崇拝は止めるべきもの(信仰の対象は神と神の摂理以外にない)
★イエスが地上に生誕してくれた真の価値は模範として見ることにある
●地上の悲劇に対するイエスの思い
・イエスの涙 = クリスチャンの恥ずべき行為
・イエスを模範としていない = 地上の悲劇を見て見ぬふりをする
・人々の救いのために積極的に働きかける必要性<霊(真理)と肉(衣食住)両面の救い>
★本来霊的救いを与えるべき宗教にそれができていない
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まとめ
・地上の人間にとって完全な生活を送ることは不可能
・しかし、完全であるよう努力することはできる
・人間は霊的に成長することを目的として地上に誕生
・不断の努力が性格の形成に役立つ
・完全であるように努力することが地上で目指すべき最高の理想=神性をより多く顕現できるようになる
・神性をより多く顕現できるようになるには、霊優位の努力、利他的に愛する努力
・イエスが行ったことは誰にでも実行できることばかり(模範となるために地上に誕生してくださった)
・イエスの生涯は利他的・霊主肉従の最も純粋な形での模範
・完全に向けての必死の努力によって成長する
・また、必死の努力をしていると必ず霊界からの応援がある。努力しない、あきらめる、では応援は来ない
・キリスト教がイエスを神の子として祭り上げていることをイエスは喜んでいない、そんな風に祭り上げられて悲しんでおられる
・摂理の中で自由意思が与えられている
・自分の意志で自ら進み成長してくれることを祈って自由意思が与えられた
・自由意思が働く中で成長がなされていく
・自分の行いは原因と結果の法則の中で自ら責任を取らないといけないことを理性で判断する
・霊的成長をなすものは善、成長を阻害したり停滞させるものは悪
・すべては自分の責任であり、サタンなどは存在しない
・善悪どちらを選択するも自己責任
・罪の間違ったとらえ方をして、本来魂を救うべき宗教が魂の足かせになる
・善悪は自由意思で選んでいる
・罪の告白だけでは罪はつぐなえない
・イエスの生涯の価値は人間が模範とすべきその生き方にある
・地上の宗教では救えないので、必死の思いで霊的真理が地上にもたらされた
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印象に残った個所
★人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれて来るのです。
成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからでも同じです
★イエスも人間的感情を具えていたということです。
イエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一個の人間であった――ただ普通の人間よりは大霊の心を多く体現した人だった、という風に考えることが大切です
★イエスがおこなったことは誰にでも実行できることばかりなのです。
誰も付いて行けないような人物だったら、せっかく地上へ降りたことが無駄だったことになります
★いかなる過ちも必ず本人が正さなくてはならないということ、それだけです。
地上で正さなかったら、こちらヘ来てから正さなくてはなりません
★自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る――この法則から逃れることは出来ません。
神の法則はごまかすことが出来ないのです
★蒔いたタネは自分で刈り取らねばなりません。それが神の摂理です
★私は主イエスの目に涙を見たことがあります。
クリスチャンをもって任ずる者、聖職にある者の多くが、その教会の陰で進行している恥ずべき事態に目を瞑(つむ)っているのをご覧になるからです。
その日の糧にすら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て、一体誰が涼しい顔をしていられるでしょうか。
★主よ、主よ、と叫ぶ者みんなが敬虔なのではありません。
神の意志を実践する者こそが敬虔なのです。
それをイエスは二千年前に述べているではありませんか。
なのに今日なおあなた方は、それがいちばん大切であることを、なぜ信者に説けないのでしょうか。
大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。
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イエスが胸を痛めて涙を流されるというのを知り、イエスをとても身近に感じました。
二千年前に私たち人間の為に素晴らしい模範を示して下さり、大天使であったのにご自分を犠牲にして地上に誕生してくださったその愛は、今尚続いていて慈しんでくださっていることを思うと、涙があふれました。
大霊、そしてイエスをはじめとする高級霊たちの愛に報いることのできる地上生活を送りたいと心から願いました。
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次回は
★「続スピリチュアリズム入門」 第一部 8章・・・善と悪について
スピリチュアリズム・ブックス「続スピリチュアリズム入門」第一部 8章へ
について書こうと思います。
ここまでお付き合い下さってどうもありがとうございました。