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新潟県上越市 エルマール二階で「りそら整体院」を営んでいます。

訪れた縁がある人に心と体の軽さ・不思議と笑いを提供したいと思っています。

「生理が楽しみになる本」講談社 著京谷奈緒美 イラスト松鳥むぅ

胎盤の次は、首だった。

 

 

 

 

おはようございます。

 

20周年祭が終わり、今日からまた仕事に励む。

 

その前に、途中で頓挫していた2泊3日の大阪・京都旅行を書いてもいい?

 

「嫌だ。興味ない」

と言われても書く。

 

嵐山、鈴虫寺をあとにした私は、いよいよ真の目的地へと向かった。

 

ここが本命だ。

 

私にとって嵐山といったら、ここなんだ。

 

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ここしかない!

 

それほどの場所だ。

 

その場所とは――清凉寺!

 

 

 

 

本音を書く。

 

ここも行きにくいお寺だ。

 

駅からも少し歩く。

 

この日は暑かった。

 

 

 

 

でも、そんな愚痴を言っている場合ではない。

 

目的地に向かって、まっしぐらだ。

 

だって、ここにはすごいものがあるんだよ?

 

知っている?

 

ここにはね、私の推し・淀殿の息子、豊臣秀頼の首塚があるんだ。

 

はい!

 

首塚!

 

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「塚」とは、土を盛り上げて造られたお墓のこと。

 

つまり、ここには豊臣秀頼のものと推定された頭蓋骨が納められているのだ。

 

私は小走りで、首塚であろう場所に駆け寄った。

 

暑さと興奮で顔が赤くなった。

 

「秀頼さま!」と口走った。

 

あぁ。ここに息子がいる。(推しのね)

 

歴史好きには、妄想力が必要なんだ。

 

他の人から見たら、ただの石碑に見えるかもしれない。

 

けれど、400年以上前に生きていた人の首があると思うだけで心がときめく。

 

しばし、感激に浸った後、私はお寺の人に詰め寄った。

 

首塚の情報は、把握している。

 

でも、細かい情報はお寺の人に質問するに限る。

 

推しのためならば、人見知りは返上だ。

 

大坂夏の陣、炎に包まれ、落城した大坂城。

 

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秀頼は淀殿とともに自害したと伝えられているけれど、その遺体は長い間、見つかっていなかった。

 

ところが昭和55年。

 

大坂城三の丸跡の発掘調査で、若い男性の頭蓋骨が発見された。

 

調査の結果、秀頼のものではないかと推定され、

昭和58年、秀頼ゆかりの清凉寺に納められたという。

 

でもさ、首に「豊臣秀頼」と名前が書いてあったわけではない。

 

しかも、発見されたのは今から46年前の昭和55年。

 

当時は、DNA型鑑定がまだ実用化されていなかった。

 

大坂夏の陣では、数えきれないほどの人が命を落としている。

 

大阪城の周辺には、ほかにも多くの首があったはずだ。

 

その中の一つを見つけて、

「これは秀頼様の首です」

と言われても――

 

しかも、頭蓋骨が発見されたのは三の丸跡。

 

秀頼が淀殿とともに自害したと伝わっているのは、本丸の北側にある山里曲輪だ。

 

場所が違う。

 

なぜ、山里曲輪で亡くなったはずの秀頼の首が、三の丸に埋められていたの?

 

その辺の疑問を、お寺の人にぶつけてみた。

 

お寺の人は、頭蓋骨についてこう説明してくれた。

 

⚪︎頭蓋骨は20代前半の男性のもの。

 

⚪︎顎には、介錯されたとみられる傷があった。

 

⚪︎ 頭蓋骨には、疱瘡を患った痕跡が見られたという。

 

⚪︎さらに、あまり肉体労働をしていない、身分の高い人物ではないかと考えられたらしい。

 

⚪︎周囲には貝殻が敷かれ、丁寧に埋葬されていたともいう。

 

秀頼は生前、重い疱瘡を患った記録が残っている。

 

ここまで重なると、秀頼の首だと考えたくなる。

 

もちろん、本当に秀頼の首なのかはわからない。

 

わからないけれど――かなり、納得できる情報かもしれない。

 

現地に行くと、それを実感する。

 

首塚に行く。

落城の跡地に行く。

 

私にとっては、有名人に会いに行くような感覚だ。

 

昨年、大阪を訪れた際には、

淀殿が秀頼を産んだときの「胞衣(えな)」が祀られている玉造稲荷神社にも行った。

 

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胞衣とは、出産のときに赤ちゃんと一緒に母体から出てくる、胎盤や卵膜などのこと。

 

昔は、母と子をつなぐ神聖なもの、

あるいは生まれた子どもの分身のようなものとして、大切に納められていた。

 

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それだけでも、歴史好きの私は大興奮だった。

 

境内にある豊臣秀頼の銅像を見ても興奮した。

 

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胎盤を見て興奮。

銅像を見て興奮。

 

そして今度は――首である。

 

四百年以上前に生きていた秀頼が、突然「歴史上の人物」ではなく、一人の人間として迫ってくる。

 

淀殿が命を懸けて守ろうとした息子。

 

豊臣家の最後を背負わされた青年。

 

その人の首が、ここに眠っているかもしれない。

 

しかも、この清凉寺。

 

秀頼は、生前、この寺の再興に力を尽くしている。

 

だから、秀頼のものと推定された頭蓋骨が、ここに納められたらしい。

 

なるほど。

 

秀頼ゆかりの寺だから、秀頼の首を埋葬したのか。

 

――と思ったら、話はそれだけではなかった。

 

秀頼が再興した本堂は、その後、嵯峨の大火で焼失。

 

現在の本堂を再建したのは、五代将軍・徳川綱吉と、その生母・桂昌院だという。

 

豊臣秀頼が再興した寺を、徳川将軍の母が再建する。

 

そして、その境内に、秀頼のものかもしれない首が眠っている。

 

豊臣と徳川。

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(このお菓子は養源院から頂いたお菓子)

 

滅ぼされた者と、滅ぼした者。

 

四百年近い時を経て、その両方の痕跡が同じ寺に残っている。

 

 

 

 

歴史って、すごい。

 

明日は、清凉寺へ行ったらぜひ立ち寄ってほしい、おすすめのランチを紹介する。

 

 

 

ここでは塀で叫んだ

 

 

 

 

 

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それでは明日の7時03分にお逢いしましょう!