京都 養源院 三姉妹の絆を感じる 推し旅① #旅の思い出を語りたい | りそらのイングルサイト

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新潟県上越市 エルマール二階で「りそら整体院」を営んでいます。

訪れた縁がある人に心と体の軽さ・不思議と笑いを提供したいと思っています。

「生理が楽しみになる本」講談社 著京谷奈緒美 イラスト松鳥むぅ

推しの聖地 養源院

 

おはようございます。

 

 

 一泊二日で京都府、滋賀県へ行ってきた

 

 

7時に自宅を出て、

 

お昼は南条サービスエリアで購入した蕎麦いなりを食べた。

 

 

 

お稲荷さんの中にご飯ではなく、

蕎麦とネギが入っていた。

 

想像できない味だったけれど、

すごく美味しかった。

 

 
福井県はお米が美味しいと思う。
 
お昼頃に滋賀県の近江八幡に到着した。
 

 

 出会って2回目の推し友の自宅へ行く

 

 

 

推し友の家が素晴らしくてたまげた。

 

我が家より大きな車庫があった。

 

あの車庫で暮らせる自信がある。

 

推し友に運転してもらい、

 

 20年ぶりに京都府に到着

 

 

すごい。京都っぽい景色だ

 

 
この建物は推し(淀殿)の息子が再建したもの。
 
興奮して写真を撮る。
 
京都には私の興奮スポットがたくさんある。

 

瓦に豊臣の家紋!!!

 

 

 20年以上、行きたかったお寺 養源院  

 

 

 

(ここからはマニアック↓ )

 

 
有名な三十三間堂の東側にあるお寺。
 
養源院は淀殿が豊臣秀頼を出産した翌年に創建。
 
淀殿の願い「父の供養」を豊臣秀吉は叶えてくれた。
 
(出産のご褒美がお寺。さすが天下取り)
 
1615年5月 大阪夏の陣で淀殿、秀頼は自害。
 
養源院は豊臣家滅亡と同時に
妹 お江(徳川秀忠 正室)が庇護することにる。
 
image
 
1616年 4月17日 徳川家康が亡くなる。
 
1616年 5月7日に、お江は養源院で
淀殿・秀頼の一周忌法要をした。
 
これって現代の感覚でも、
「おいおい。いくら姉妹とはいえ、舅の喪中に仇の法要する?」と思う。
 
もちろん、徳川家の家臣たちの不満や反発はすごい。
 
この辺から江の芯の強さを感じる。
 

 

 1619年 養源院は焼失

 

 

 
これは、江が豊臣一族の7回忌の法要を
未然に防ごうした徳川方の策略もあるとか・・・。
 
ところが、
 
焼失からわずか2年後に江はお寺を再建!

 

浅井三姉妹の絆の強さ、

 

そして、気の強さも感じちゃう(笑)

 

 

 狩野山楽の襖絵・羽目板貼付絵

 

 

 
このパンフレットには写ってないけれど、

 

左側に厨子(仏具入れ)がある

 

 
厨子の中には弁天様が入っている。
 
この弁天様は、小谷城落城の時に浅井長政が妻のお市に
「浅井の血を絶やさぬように」と言われ渡されたもの。
 
 
この弁天様を持って、生き延びた妻 お市が
北の庄城落城の時に、娘の茶々(淀殿)に弁天様を渡し、
 
淀殿は大阪城落城の時に妹・初に弁天様を手渡し、
 
1番下の妹 江の元へ辿り着いた。
 

 

その弁天様が養源院に置いてある

 

姉妹が大切にしていたものが400年経ってもあるなんて。

 

失禁しそうになるほど興奮した。

 

これが京都だ。すごい。

 
浅井の血は、現在の天皇陛下、愛子様にまでつながっているので、
一族の願いは叶っていると思う。

 

教科書で見たことがある俵屋宗達の「白像」も見れる。

 

そして、養源院=血天井が有名だと思う。

 
明日のブログは、「なぜ、寺の天井に血天井を使ったの?」について書く。
 
推しへの愛が強すぎて。
 
今日は超絶マニアックな内容になった。
 
明日も超絶マニアック。(需要なさそう。不安←書くな)
 
明後日からはちょっと変だけど通常運転になる。
 
皆様、「りそらさんったら興奮しているのね」と生暖かい目で見守ってほしい。

 

旅の思い出を語りたい

 

 

 

 

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