普段の霊性修行がそういうときこそ試されます。
全ての人の本質が霊である『アートマ』と理解していても
頭で理解しているだけでは、執着から自由になれません。
そういうシリアスな状況こそ
普段の霊的修行が形だけなのか
本質的なものなのかの
答えが出るときでもあります。
もし、シリアスな状況で自分が動揺して
見失うくらい自分を失ってしまったら
本物になれるようにやり直すだけです。
何もなければ正しい霊的修行をしてようが
一人よがりの霊的修行をしてようが
何も答えがでないことが殆どです。
相手の本質が『肉体・身体』や
自分が『肉体・身体』と思っていると
執着があなたを離さないです。
全ての本質は、アートマである霊である魂です。