



上本郷にある時宗の本福寺は
元お城があった跡地に建てられた寺といわれる
本福寺自体は千駄堀から移転してきた鎌倉時代の寺で
お城の情報はほとんどない状況
「花台」という小字名が残る
でもここを中心に神社仏閣や館が配置されていたもよう
高台で石垣があったり井戸があるとリアル感はある
周辺には明治時代にに廃寺になったのもあり
荘園制度時代の風早庄の中心地だった感が残っている
風早神社へ



元々は平将門の子孫の千葉一族の「館」があったたされる地
本福寺の東南の位置にある
昔のお城というのは「砦」みたいなもので
戦のないときは館に住むのが日常
荘園の役所みたいのもかねていたのかも分からないが
風早郷の中心地の「上本郷」という意味とのこと
「惣台」の小字名が残っている
荘園制度が終わって寺や神社に替えられたと考察する
明治神社へ


明治神宮ではない明治神社
元々は「妙見神社」が祭られていて明治時代に改名
本福寺の北東に位地する
古くは縄文遺跡がある事から上本郷の高台の重要性が分かる
蘇羽鷹神社も遺跡の上にあることから
先住民との争いも考察される
この周辺は明治の神仏分離でかなり叩かれたもよう
幕末に吉田松陰が逃げ込んできたのと関連があるのか?
情報がない
北松戸駅へつづく道へ


廃寺の跡地
「阿弥陀堂トルコ万貫」の伝説がある
ここまで本福寺系の敷地だったとすると
高台一帯も上本郷城だったと考察される
いちゃもんをつけられ明治政府に搾取されてしまったのか
黄金伝説はいかに
(近所には「二ッ井戸」もあった)
北の
安房須神社へ


高台の尾根道を進むと
上本郷ではなく中根になるのだが
「中根城」と「妙見神社」もあった地
平家の千葉一族の高城氏の「出城」あったと言われ
「城之越」や「要替」の小字名が残る
「とのやま公園」は城をイメージさせる
しかし、なぜか安房国の名の神社なのか?
豊臣によって天下統一され北条傘下のここの城は廃城となり
家臣たちは帰農してこの地「新作」に定住したとのことだが
神社の名に違和感を覚える
里見氏の領土になったのか?なぞなネーミング?
神社は一寸法師のモデルといわれる「少彦名命」が祭られている
ここの神社の見どころは狛犬
左右両方に子獅子が構えられているのが特徴
安産・子育て・学問のご利益があるとのこと
子孫繁栄の思いが伝わる
下総国の小金領の全盛期は室町時代まで
(中根寺は馬橋に移転し、広照寺は残る)
真逆の方向の南
春日神社へ



小高い丘の上にあり寺と隣接する
神仏分離前は「妙見神社」でした
神紋の九曜紋は平家の家紋
室町時代、曾谷城(市川市曽屋)が落城し、老臣芹澤忠右衛門(花島氏)は曾谷妙見を背負ってこの地に逃れて来ます。この御神体を曾谷に向けて祀ったのが当時の「妙見社」の発祥とされています。この花島氏は小金城主高城氏の家臣、花島勘解由に繋がる家系と考えられています。また、地名の「花島」もこれに由来するものと伝えられています。
本福寺の南に位置する
本福寺は「花台」にあるので「南花島」なのではと考察する
「餓鬼塚」という小字名も気になる
西側の「根本城」の鬼門除けと関連があるのかは不明だが
風早神社が北東(鬼門)にあると上本郷の方に属しているようにも思える
もしくは北にある「栄松寺」と関連がありそう
栄松寺は元は小根本にあって今の地に移転した
こここそポツンと島のような地形で「城」があったように思える
改宗して臨済宗になったのは
馬橋の萬満寺と同じで「花嶋山長福寺」となったのだが
江戸時代に「栄松寺」に改名した経緯
その地の元が何だったのかは不明
「法達坊」という小字に関係はありそう
古い方の歴史情報はないのが残念
最後に、この寺と神社がライン上に配置されているのが大好き
偶然なのか意図的なのかが面白いところ
風水が意識されていると思う
さらに北へ行くと萬満寺・小金城・本土寺・諏訪神社とつながる
これぞポーラスター(北極星)へのレイライン