ゴジラー1.0
先日観てきました。
私が、子供のころに映画館で観たゴジラ映画は、様々な怪獣と戦わせる子供が楽しめるようにゴジラの怖さを控えたもので、当時、たくさんの怪獣が出てくるのを楽しみにして観ていた記憶があります。だから、第1作目のゴジラを再放送か何かで観た時は、怖くて見れなかったという記憶があります。
今回の「ー1.0」は、時代背景もそうですが、ゴジラ本来の怖さも楽しめるえいがとなっていたと思います。
7年ほど前にも「シン・ゴジラ」を観ました。政府や官僚のあたふたぶりをけっこうコミカルに描いており、背景は東日本大震災をベースにしていました。
今回のゴジラ作品は、それ以来なのですが、設定も戦後まもなくで背
景も戦争、原爆、ビキニ環礁水爆実験など、第1作に近づけた作品だと思います。
また、「シン・ゴジラ」では駆逐作戦を米軍と共同という形で描かれていました(あの不思議なトモダチ作戦もあったからでしょうか?)。
しかし、今回は、当時のソビエトとの関係から、米軍は手助けできないということで、日本が単独でゴジラを駆逐しなければならない状態という設定。何か、日米安保が機能せず、核の傘もないという現実を突きつけられている今へのメッセージが多分に含まれていると感じましたね。
映画だけでなく、現実に、このようなモンスター(いろいろなものが考えられます)が出現した時、日本は果たしてどうするのか。
映画の中で、「誰かがやるしかない」と言っていました。
今の日本も、誰かがやるしかない。その誰かとは、我々日本人がやるしかない。このように映画を観て、メッセージとして作品から受け取りました。
久しぶりの生漫才
これも先日、とある企業さんからの招待という形で漫才のライブを観る機会がありました。
笑い飯、ミルク・ボーイ・藤崎マーケットなど5組のネタを視聴してきました。
会場は、2000人近く入れる所で、ほぼ満員。
おそらく招待ですから、あまり漫才は・・・と言う人もいたでしょう。
しかし、彼らは、2000人近い聴衆を、10分間、その目と耳を舞台にくぎ付けにしてしまいました。
彼らの発信力の凄さ、これほど凄いものなんだということを、体感できましたね。
彼らは、テレビにもよく出演していますので、その発信はかなりの影響力があるのではと思われます。その言葉は慎重になるでしょうが、できる限り国民の感性に良き影響を与える発信をし続けていただきたいと思うのですが・・・。ただ、スポンサーやらがねー・・・。
おや、4枚目の画像はどういうコンビでした???
今日の1冊
・勝川」敏雄著 『魚が食べれなくなる日』 (2016年8月発行)
魚が減ってきた。と、思われる方も多いと思います。その原因は、中国船や韓国船による乱獲とか、保護され増えたクジラが食べたとか、地球温暖化による海水温の変化で魚がいなくなったとか言われていたことを覚えているかたもいらっしゃると思います。
私も、特に、外国船の乱獲については、大きな原因だろうと思っていました。しかし、これら、他からの影響による原因と言うのは、水産庁やマスコミが本当の原因を知られたくないが為に流した所謂デマらしいのです。
本当の原因は、日本漁船による過剰な漁獲によるものということなのです。
世界の潮流は個別に漁獲高を割り当てるのが主流となっており、魚という資源の保護をしながら決められた量を漁獲するというものなのですが、日本は未だに、個別の割り当てをしていなく、漁獲枠というものがあるのですが、その枠自体がざるのようで、かなり高めの量、獲り切れないほどの量に設定されているという。
根こそぎ獲っていたのは中国や韓国ではなく日本自体だったのです。
結局、乱獲が資源の減少を生んでいるということ。
こうした、漁業とういうのは、一般の我々からはほとんど見えないし知ることもできない領域で、200カイリと言う領海が出来ても、それまでと同様な形で漁を続けているということも、伝えるべき側が、事実から乖離した情報しか我々に流さないということが、どうも当たり前に行われている世界、それが日本漁業という世界だということのようです。
私たちは、こうした、政府やマスコミから流されてくる情報に対して、あまりにも無防備に信じすぎます。日本が壊れている現状の打開のためには、私たちがするべきことは、情報を鵜呑みにしないこと、違っていたら声を上げることなどを、表に余り出さない日本人もやっていく必要があるのではないでしょうか。
ありとあらゆるものが右肩下がり。日本漁業、個別の漁獲枠を早急に実施できるようにして、資源の枯渇を防ぎ、資源を残す形で進めていけば、日本の領海は魚の宝庫、再び、日本が漁業大国として、生まれ変われる素質は有るのです。が・・・。
最近のNOTEより