母のこと(4) | ニャンコと日常ブログ

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マンチカンの「凜音」&アメショの「ユーリ」の話から
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ざっくり言うと「日々の日記」を書いてます!
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続きです。


入院してから暫く経った頃、だいたい2週間ちょっと経った頃

母が痛みを訴え始めました。


足を押さえるので「透析の針のせいかも?」と父と看護師さんとで

言っていたのですが、様子を見ていくと、胸を押さえることもあり

手術の切った後(腹部、内部)かな?とも思って痛み止めの点滴を

入れたりしました。


この頃から、食事もほとんどしなくなり、食べ物を見せると

顔をしかめたり、嫌がるようになりました。


相変わらず尿もでず、アンモニアが回ったりするので

意識も混濁し、話があやふやだったり、認知の親と話をしているような

錯覚になることもありました。

でも、そんな姿も可愛い所があり、大きな赤ちゃんみたいと

出来るだけ優しく接することが出来るよう、配慮しました。


食べていないので、お腹に力が入らず、便も力めず

弟、妹と、3人がかりで上体を起こしたり背中をさすったり

する日もありました。


弟は、仕事がら6時半位に病院へ来て

妹もB病院の近くに住んでおり、休みや、仕事が終わったら

必ず、来ていました。


病室には家族5人の話声、笑い声も聞かれたのですが

母に痛みが出てからは、あまり笑い声はなかったですね。


薬を飲ませたり、食事を進めたりと、みんな明るく

つとめていましたが、自宅の帰るとブルーの毎日です。


9月末位からは父の恐れていた「黄疸」も出始め

私も、病室に行くたびに母の眼を覗き込み、白目が白く

なっていますようにと見つめることもありました。


10月に入り、痛みも増してきて、注射や点滴をしても

怠くて目を瞑っていても、たまにしかめっ面をする姿が

見られるようになりました。


そんな中、母は父を小さな声で呼び

「もう、何もしなくていいから。楽にして」と言ったそうです。


私や妹にも

「もう、死にたい」と言いました。


「そんなこと、言わないよ!頑張って!よくなるって!」と

言った私と、妹に

「わかるでしょ?」と、言った母。


今考えると、母は何かしら体の異変を感じていたのかも

しれません。

そんなことを言うくらい痛くてつらかったのでしょう。


何も出来ない事に悔しくて悲しかったのを

覚えています。


10月3日(木)夕方、痛みもあるので嫌がっていた薬を

母が自分から飲もう!と、言ってきました。


私、弟、妹は、近くの待合室にいた父を呼び

家族4人で励ましあい飲ませ、飲んだことに多いに喜びました。

母と、話を交わしたのは、この日が最後でした。


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