母のこと(3) | ニャンコと日常ブログ

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ざっくり言うと「日々の日記」を書いてます!
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長くなってしまいますが、続きです。



入院2日目。

やってきた看護師さんが前の日と別人になってる母に

驚いていました。


ですよね。

だって、元気な人が病気になっているのだから。


しかも、入院目的とは違うことで、ベッドに横たわっているのだから。


肝臓の数値も2ケタが基準値なのに、手術後は4ケタに

なっているものがあり、また、他のものも酷い結果でした。


そして、肝臓から流れ出る沢山の物質のせいで、

腎臓がこしきれず、尿が出ないという事態になり

人工透析を受けることになり、母はその透析のキツさを

よく口にしていました。

ダメージを受けている体に長い間の透析。

普通の人以上にきつかったことでしょう。

しかも、口にする食事が少なく、どうにかして

食べさせようと、私たちも必死でした。

(入院6日目から、柔らかい食事が出ました。)


先生が言うには、「何でも食べさせてイイですから!」


飴玉1個を、食べられた時の嬉しさは忘れられません。

飴を買いに行く父が、いろいろ悩んで2つも買って来て

結局食べたのは1個だけでした。


その飴、まだ家にあるんですよね。


最初の頃の食事は、おかゆが5口位が最高で、

後はゼリーとかも3口程度。



肝臓にダメージがくれば、怠くて眠ってばかりの母。

病室に行っても、寝ていることが多く、話もたまに目が覚めた時位。


しばらく、仕事を早退したり、休みをもらったりして

母のそばに付き添いました。

父は、手術の次の日から仕事を休み(たまに日帰りで帰りますが)

母に付き添っていました。

これは、亡くなるまでも変わらず、父の愛情の深さを

改めて感じ、父と母の子で良かったと、実感しました。


丁度、B病院には、うちのクラスの教え子のお母さんが

いて、入院して6日目にわざわざお部屋まで来てくれました。


この頃は、母も

何となく意識がクリアーになってきた」と言っていました。


透析のお陰かな?と、思う事でした。


しばらくすると「高気圧酸素治療」も始まり、その日は透析と合わせ

6時間程かかり、夕方会いに行くと母はきつい!とよく

言っていました。

高気圧~をすると、耳が聞こえにくくなるようで、

母の耳元で話をしなければならず、ホントによくなるのか?と

とても悲しい気持ちになりました。


カレンダーを見ては、「今日は何日?」と言っていた母。

入院が長引くにつれ、また、起き上がれないこともあり

不安が増していっていたようで、父の手の平に

「ガン」と、書いたそうです。


でも、前日に切り取った胆嚢の検査結果がでており

「悪性ではありません。」と、はっきり書いてありました。

それをしっかりと、母に見せたそうです。

でも、結果は問題なしで、当たり前なんですよね。

だって、手術前の検査で、癌の疑い「0」だったんですから!


母の胆嚢は肥大し、繊維状になっていたようです。


あの日、手術室で

「こういうのが癌なんだ!」と言った(A)執刀医。

どう、お考えですかね?



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