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わたしたちは、いつものように
いつもの場所へ向かい、
そして、いつもの部屋のドアを開けた。
そして、いつものように、りょうさんは財布の中から
3人の福沢諭吉を出し、わたしへ差し出した。
わたしは、何気ない素振りでそれを受けとり
財布の中へしまった。
いつからか、悲しい儀式になったこの一連の流れを
わたしは、今日も繰り返した。
一回限りの「お客」が多いのに、りょうさんだけは違う。
なんだかんだいって、わたしが心を許したんだと思う。
でも、それだけ。それだけの関係。
「先に、シャワー浴びていい?」
「いいよ」
「何か飲んでなよ」
バスルームのドアが閉まった。
「ありがとう、そうする」
閉まったドアに向かって答え、冷蔵庫へ近づき、
少し迷ってから、コーラを取り出した。
ベットに腰掛け、テレビのリモコンのスイッチを入れると
見慣れた女子アナの声が聞こえた。
駅のトイレから出て、コインロッカーに戻った。
さっきのロッカーがまだ空いていたので、
そこへ、制服の入った黒い布の袋を押し込んで
鍵を閉めた。
電子式のロッカーも駅にはあるが、
なぜかこの古い鍵式のロッカーが気にいっている。
あの、閉めるときと空けるときのかちっという音。
鍵の大きさの割りに大げさな、あの音がたまらなくいいのだ。
理由はうまく説明できない。でも、いい。
そして、もう一つ。
鍵が自分の手元にあるということに
こだわってしまう。
自分を切り替える秘密の鍵を自分でしっかり確認できて
隠していられる安心感。
機械で打ち出される紙切れじゃ、なんか落ち着かない。
鍵には不思議な力があるようだ。
ロッカーから離れて、待ち合わせ場所に向かうと
スラリとした背広姿が柱の向こうに見えた。
短髪の髪が自然な感じにセットされていて、
おしゃれな感じ。
りょうさんに間違いないと確認し、
声をかけようとしたとき、
りょうさんがこちらに振り返った。
「えり」
笑顔で、わたしの左の髪をなでる。
耳の上からほほに向かってなで、
髪と首の間に手を入れて、その手は
右の肩を抱き、自分の方へ引き寄せた。
胸が締め付けられる感覚を抱きながら
えり、という言葉ではじまる
自分じゃない自分に少し憂鬱になった。
そう、「えみ」ではなく、「えり」。
わたしたちは、お互いに本当の名前を知らない。
その日は、いつもよりかなりサービスした。
りょうさんは、他の男に比べたら
かなり優しくわたしを扱ってくれる。
手と舌で柔らかくわたしをほぐしてくれて、
絶対に痛いことや乱暴なことなんてしない。
そんな、他の男とは違うりょうさんに
わたしは引かれ始めているのかもしれない。
だから、こんなに嫌なことがあった日でも
会おうと思った気がした。
この間のことを思い出したら、
女の部分がジンジンと熱くなってきた。
憂鬱だったはずなのに
はやく、りょうさんに会いたくて仕方がなくなってきた。
「きたきた」
メールの送り主は、やっぱり「りょうさん」だった。
急がなきゃ。慌ててトイレから飛び出して、
鏡をのぞきこむと大事なものを忘れているのに気がついた。
やばい、やばい。
買ってもらったネックレスをつけてなかった。
蝶をかたどった、銀色のネックレスをバックから取り出して
首につけた。結構、気にいってるんだよね。
あまり見かけないデザインだった。
胴体の辺りから羽の先に向かってプラチナの線で模様が
つくられていて、その隙間から肌がのぞく。
羽の先に小さなダイヤが埋め込まれているもので、
一目みて、気に入ってしまった。
「プレゼントしようか?」
「え、でも・・・」
「気にいったんだろう?いいよ、遠慮するなって」
そう、少し前のわたしなら、
なんとも思わないで最高の笑顔で腕に抱きついて、
そして「ありがとう」なんて甘えてみせた。
でも、それが出来なくなってきたのは「りょうさん」を
金づるだと思えなくなってきたからかもしれない。
予備校には、最近ずっといってない。
今は人間関係の予備校ばかりなんだよね。
「本当にいいの?」
「いいよ。すいません、これお願いします」
りょうさんが、店員に声をかけてくれて
愛想笑いの店員がその場で首につけてくれた。
電車から降りて、階段を降りていく間も怒りがおさまらない。
電車の中では隣で、大声を出して笑う二人にきれてしまいそうになった。
やばい、それじゃ八つ当たりだっつうの。
女子高生の人間関係は難しいんだから。
「ああ、えみ、今日予備校だっけ?」
「そう」
ちょうど、電車がホームに滑り込むところだった。
笑顔で手を振って二人の乗る電車を見送った。
改札を抜けると駅のコインロッカーが見えた。
青く四角い冷めた鉄の顔。
今のあたしみたい。
でも、あたしは「赤」か。
銀色の鍵穴に鍵を差し込みまわすと
カチャリという音を聞いてドアを開けると黒い布袋が見えた。
変身の時間ってね。
今日は、なんか気が進まないな。
笑顔をつくるのがたまらなく面倒くさいんだもん。
腕を伸ばしすぎて壁にぶつかる。
ワンピースは着づらい。
楽かと思ったけどそうでもないじゃん。
でも、かさばんないし、ミニスカートだと大人っぽく見えるもんね。
これくらいの苦労は仕方ないかな。
ちょうど着替え終わったとき、携帯がなるのが聞こえた。
「あー、失敗した」
いらいらしているからか、電車の揺れもいつもより大きい気がする。
口紅がはみ出る。止めろや、この電車。
頭にきて、電車の床を踏みつけた。床に座り込んでいるからか
うまく踏めなかった。
それでも、その音に驚いたのか、中年の女がジロジロこっちを見てくる。
「みんじゃねえ、くそばばあ」
むっとした顔をした中年女をにらみつけてやった。
それでも、すっきりしない。しないんだよ、まったく。
「ちょーうぜー。田中のやろう」
口紅をぬるのはあきらめた。
このままじゃ、くちさけ女になりそう。
化粧ポーチをしまいながら、あいつの顔を思い出していた。
今日、返ってきた数学のテストは赤点だった。
田中の奴、ニヤニヤしながら、「おまえ、もうだめじゃないの」っていいやがった。
「そうそう、なんかあのギトギトっていうの?近寄られたら鳥肌」
「えみ、やばいんじゃないの?寝ちゃえば?」
「うるさい。絶対きもい。そんななら死んだほうがまし」
優も愛も人事だと思って。あのデブ、本当に許せない。
ちょっと動いただけですごい脇汗かいて、顔だってだらだら。
まったく、デブの象徴っていうの?
あいつをギャフンと言わせてやりたい。
知ってんだから。
いつもちらちら、足とか見てるの。
「決めた。あいつ、セクハラで首にしてやる」
「えみ、本気?」優がおどけて言うのを見て、むっとした。
「まあ、見てて」
「ああ、えみちゃん怒ってるし。田中、やばいんじゃないの?」
愛も本気にしてない。留年してまで高校になんかいってられない。
こうなりゃ、田中も道連れにしてやる。