山口の神社仏閣★降松神社(中宮)手水鉢・福川中市の石灯籠・石段玉垣編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先々月、とある方からお誘いを受け、下松市にある降松神社の上宮までお供したRieruです

上宮へは3回目になりますが、“今年の”1回目は5月17日、2回目は5月29日・・・はい、2回参りました。
2回目は自ら応募したわけですが。(ということで、画像は両日混ぜこぜで貼らせていただきます)
上宮に参るには、若宮→中宮へも参らなければなりません。
中宮の拝殿に向かう途中に、特徴的な手水鉢があります。



初めて拝見した時には、随分食いついてしまいました。
天保7(1836)年3月に奉納されたそうですが、残念ながら奉納者は分からないようです。


舟の底の裏側に刻まれていたりして。



いや、それは絶対に無い。



イテテ



(自分の名前が潰された形になるから、そんな場所には彫らないですよね。)



今年初めての参拝時には、往路の歳にこちらで休憩したのは良い思い出です。(ぼっちには貴重な体験)



中宮の拝殿に向かう石段を登ると、興味深い灯篭が。



K氏に紹介していただきました。



慶応4(1868)年3月に奉納されたもので、『福川中市講中』と刻まれています。



福川中市?現 周南市にある、福川?同じ、徳山藩だからありうる?ということですか?それにしても、徒歩だと遠いですね。

K氏の資料によると、こちらに刻まれている奉納者は、このように刻まれていたそうです。

『世話人  佐伯屋菊蔵 伊勢屋清八 中村屋冨助 』・・・他51軒もあるようで!



かなりの商人さんたちが、福川にいらっしゃったのですね。また、離れた妙見社にまで石灯籠を奉納するぐらい、幕末期特有の不安が大きかったということを知る事が出来ました。

この後 明治を迎えるわけですが、この石灯籠が江戸時代最後の奉納石像物になったようです。


離れた場所から、という石灯籠は、こちらにも。



寛政8(1796)年4月に奉納されたようで、『笠戸浦 橋本屋又十郎』と刻まれています。

おお〜、笠戸島から!


さて、拝殿前には、『通夜堂石碑』なるものも建っていましたよ。



寛政5(1793)年11月に奉納されたもので、『林市左衛門政吉 林政右衛門周茂』とあります。

ああ、やっぱり『林市』さんじゃなくて、『林』さんでしたか。・・・あ・れ?

若宮の拝殿前にいらっしゃる狛犬さんを奉納されたお名前と一緒!



狛犬さんを奉納されてから3年後に石碑を奉納されていますが、周茂さんは息子さん?でしょうか。


この近くの石段玉垣の事も、紹介していただきました。



あら、倒れてます・・・

安政2(1855)年9月に奉納されたそうで、K氏の資料によると、刻まれたものは以下になります。


『世話人  坪井伊右エ門 玉井和左エ門 貞木吉郎兵エ 枩村藤左エ門 貞木為右エ門 枩村三左エ門 坪井貞之助 為国千代枩 貞木源左衛門 為国政吉』

『世話人  古谷忠左エ門 福田屋甚六 藤屋利吉 堺屋善兵エ』
中村七良右エ門 下瀬傅兵エ 古村五良左エ門 古永藤右エ門 古村小兵エ 福田屋吉右エ門 原田屋与兵エ 福永福枩 石田屋徳枩 岩山吉右エ門 戸倉藤吉 金子栄蔵 福田清右エ門 中村勝七 冨士屋利吉 竹屋吉兵エ 立具屋福蔵 松本屋忠右エ門

・・・ん?それは階段上の玉垣で、画像のは比較的新しい玉垣ですよね。


だって、昭和13(1938)年7月に、随身門前に狛犬さんを奉納された方って、『兼清吉』さんだったでしょ?



玉垣にある『兼清吉』さんって、平吉さんのお父さまだと思うのですよ。
常吉さんは下松町の方だけど、平吉さんは大阪に出たんですよ!

・・・苗字と、名前に付いている『吉』という漢字だけで親子認定するのは素人の考えることよね〜。


アイタタタ


(兄弟の可能性もありますね!兄は家を継ぎ、弟は大阪へ☆←だから・・・)