舟の底の裏側に刻まれていたりして。
いや、それは絶対に無い。
イテテ
(自分の名前が潰された形になるから、そんな場所には彫らないですよね。)
今年初めての参拝時には、往路の歳にこちらで休憩したのは良い思い出です。(ぼっちには貴重な体験)
中宮の拝殿に向かう石段を登ると、興味深い灯篭が。
K氏に紹介していただきました。
慶応4(1868)年3月に奉納されたもので、『福川中市講中』と刻まれています。
福川中市?現 周南市にある、福川?同じ、徳山藩だからありうる?ということですか?それにしても、徒歩だと遠いですね。
K氏の資料によると、こちらに刻まれている奉納者は、このように刻まれていたそうです。
『世話人 佐伯屋菊蔵 伊勢屋清八 中村屋冨助 』・・・他51軒もあるようで!
かなりの商人さんたちが、福川にいらっしゃったのですね。また、離れた妙見社にまで石灯籠を奉納するぐらい、幕末期特有の不安が大きかったということを知る事が出来ました。
この後 明治を迎えるわけですが、この石灯籠が江戸時代最後の奉納石像物になったようです。
離れた場所から、という石灯籠は、こちらにも。
寛政8(1796)年4月に奉納されたようで、『笠戸浦 橋本屋又十郎』と刻まれています。
おお〜、笠戸島から!
さて、拝殿前には、『通夜堂石碑』なるものも建っていましたよ。
寛政5(1793)年11月に奉納されたもので、『林市左衛門政吉 林政右衛門周茂』とあります。
ああ、やっぱり『林市』さんじゃなくて、『林』さんでしたか。・・・あ・れ?
若宮の拝殿前にいらっしゃる狛犬さんを奉納されたお名前と一緒!
狛犬さんを奉納されてから3年後に石碑を奉納されていますが、周茂さんは息子さん?でしょうか。
この近くの石段玉垣の事も、紹介していただきました。
あら、倒れてます・・・
安政2(1855)年9月に奉納されたそうで、K氏の資料によると、刻まれたものは以下になります。
『世話人 坪井伊右エ門 玉井和左エ門 貞木吉郎兵エ 枩村藤左エ門 貞木為右エ門 枩村三左エ門 坪井貞之助 為国千代枩 貞木源左衛門 為国政吉』