山口市⑤『出張!ねこねこ日本史 in Yamaguchi』大内氏館跡(龍福寺)編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

今月の初旬に、山口市で開催中の『出張!ねこねこ日本史 in Yamaguchi』のスタンプラリーに参加したRieruです★


お昼前に『山口サビエル記念聖堂』へお邪魔し、ランチ後は『十朋亭維新館』にもお邪魔しました。

その足で、雪降る中、『龍福寺』へ。



こちらの本堂入口付近にQRコードありました。こちらは、大内義興ニャンですね。


やった♬.*゚『戦国大内氏編』リーチ!残すは、『八坂神社』です。


さて、龍福寺は『大内氏館跡』と表記されていました。



こんな猫耳付きの館だったら、猫好きからすると萌えしかないのですが、デザインはもちろん『ねこねこ日本史』ならではのもので・・・実際の館は、どんな建物だったのでしょうか?

現在は龍福寺境内地となっていますが、発掘調査により、庭園や門の跡が発見されているようです。

ちなみに龍福寺は、毛利隆元が、弘治3(1557)年に大内義隆の菩提寺として建立したお寺です。


気になったので、庭園跡に寄ってみました。



『山口市歴史民俗資料館』でいただいた、山口市教育委員会発行のリーフレット『史跡 大内氏館跡 池泉庭園』には、このように書かれていました。



大内氏館の庭園跡


  中世の周防山口を拠点として活躍した大内氏の館は、山口市大殿大路の地にありました。大内氏が領国経営を行う守護所として政治的拠点であり、経済・文化の中心でもありました。昭和34(1959)年、館後は大内氏遺跡の一つとして、国の史跡に指定され、昭和53(1978)年から発掘調査が行われています。

  館跡では、室町時代に作られた庭園の跡が少なくとも三ヶ所で確認されています。現存する中世庭園は後世の改修によって元の姿をとどめない例が多いのに対し、大内氏館跡のような発掘庭園は当時の庭園様式を伺い知ることができ、極めて重要です。

  史跡指定の南東部に位置する池泉庭園(2号庭園)は、館内の庭園遺構としては最大規模を誇り、平成4・5(1992-3)年度の第13・14発掘調査で発見され、平成18(2006)年度に再発掘されました。



へぇ〜。

井戸を発見☆



『石組井戸』ですって!



深さは4mもあったそうで、外側に金箔を貼った土師土器皿(京都系)が3枚も見つかったそうです。



おお〜。

庭園を一周する形で歩いていると、梅の花が咲いている木を発見☆



龍福寺境内にも、梅の花はちらほらと咲いていました。2月下旬現在が見頃かな?


この池、キレイですよね。真冬なので、生き物の気配は感じませんでしたが。



池の西岸が直線的なことから、庭園を眺める建物があったかも?とのこと。

東岸の石組水路から導水していたようですが、排水施設や池底の防水施設は見つかっていないようです。


△ こちらが石組水路


他にも遺構がありましたが、最後に2連の石組かまどを。



このかまど周辺から調理器具などの日用雑器が多く見つかったそうです。

池泉庭園が出来た頃に作られたそうなので、1400年代の終わり〜1500年代中頃まで使われていたのですか。



でも、大内氏が廃絶した後に、どうして誰も日用雑器等を盗らなかったのですかね?

祟が怖かったとか?

てか、井戸から見つかった金箔土師器皿って、誤って割っちゃって捨てた的な経緯?


・・・いくらなんでも、安直すぎるじゃろ。



アイタタタ



(小説『敦煌』並に壮大なドラマがあったに違いない!←そもそも皿じゃあドラマにもならない)