下松市『くだまつてくてくウォーク』⑤ | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先月下松市で行われた、『くだまつてくてくウォーク』に参加したRieruです星


久原房之助氏の銅像を拝見出来て感慨深かったのと、第一回生入学記念樹がまだ残っていた事に感動を覚えました。



下松工業高等学校を後にして次に訪ねたのは、『正福寺』。



以前投稿したのですが、貴重な大仏さま(お地蔵さん?)が御安置されています。




他にも寄らせていただきましたが、また機会があれば。(←コラ!)


その次は、『周慶寺』へ。



こちらには、二の丸様の供養塔があります。昨年の春に訪ねました。



が!供養塔を勘違いしていたので、今回ちゃんと二の丸様の供養塔を拝見する事が叶いました。



刻まれた文字までは判別出来ませんでしたが、美しいお姿・・・二の丸様の事を想うと、胸が痛くなるRieruなのでありました。


その次は『妙見宮 鷲頭寺』へ。



ご縁があり、昨年の11月に勉強会に参加させていただく機会がありました。

またいつか書かせていただけたらと思います。(←そのパターンばっかりじゃね!)


そして、今回のメインイベント?『下工弁慶号に触っちゃおう♬.*゚』(仮)が始まりました!



下工弁慶号が置かれている場所は、下松市役所の敷地内(グリーンプラザ展示格納庫)になります。


↑↑↑

ウィキペディアにもあるほど有名なんですよ!


こんな、下工弁慶号がデザインされたマンホールの蓋もあります。

↓↓↓


愛されていますね〜。


説明板には、このように書かれています。




下工弁慶号

    明治40(1907)年に石川島製作所で製作されたB型サドルタンクの蒸気機関車で、その形状から亀の甲とも呼ばれる世界的にも価値の高いものです。
   昭和9(1934)年まで徳山海軍煉炭製造所が所有していましたが、山口県立下松工業学校が当時60円で譲り受け、原動機実習等に使用され、『下工弁慶号』の名称で親しまれていました。
   戦後は、同校の校庭にモニュメントとして展示されていましたが、昭和56(1981)年に生徒と教員で修復し、その後市内でのイベントで一般公開運転されてきました。
   戦後は、同校の校庭にモニュメントとして展示されていましたが、昭和56(1981)年に生徒と教員で修復し、その後市内でのイベントで一般公開運転されてきました。
    昭和63(1988)年に同校同窓会の社団法人下松工業会に移管され、今なお可動する唯一の機関車であり、貴重な文化的資産として永く保存管理するため、平成8(1996)年10月下松市に寄贈されました。

【仕様】
全長:4.050mm     重量:5.5t
車軸幅:762mm     本体動輪:2輪


戦後は下松工業高等学校の校庭に展示されていたのですね。

紆余曲折を経て、永住?の地に。そんな弁慶号、動きます!



なんか線路があるな〜とは思っていたのですが。数人で押せば、動いてくれるようです。


『NPO法人 下松べんけい号を愛する会』の会員の方がいろいろと説明してくださいました。
C型、D型は見た事ありますが、B型を直に見るのは初めて(前はガラス越し)です。



B型は、本体動輪が2つ(軸)。


C型は、3軸。


△ 写ってないから貼らなくても・・・


D型は、4軸。


△ 『山口県立山口博物館』横にある『D601』


E型は、5軸!



う〜ん、観てみたい!


テンションが上がって、格納庫の中から撮影させていただきました。



このエンブレム、ええね!



1907年生まれ!



もう、115歳か〜。


よう、徳山大空襲の時に被害を受けなかったね。



火災にも巻き込まれ無かったんですね。


楽しみ時間はあっという間で、最後は参加者全員と弁慶号の前で記念撮影をしました。



もちろん、格納される時も手押しです。お疲れ様でした。



また逢う日まで!


最後の最後に会員さんに声をかけて、ウィンドブレーカーを撮影させていただきました。



良いッスね〜!



ん?てか、なんで『弁慶(べんけい)』って名前が付いているのでしょうか?


・・・今さら?



アイタタタ



(徳山大空襲に耐えた姿は、さながら手負いの弁慶のように見えたのではないでしょうか?←いつもの憶測キター!)