下松市『くだまつてくてくウォーク』④ | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先月下松市で開催された『くだまつてくてくウォーク』に参加した際に、下松工業高等学校の武道場でお昼ご飯を食べたRieruです★



貴重な映像を観ながら食べた後、出発の時間まで少し自由になれたので、校門近くにある銅像を1人で見に行きました。



あった、あった!



鉱山王と言われた、久原(くはら)房之助氏の胸像が!



大正8(1919)年に33万円の創設費を寄付されたので、銅像が建てられています。

彼が掲げた『大工場都市計画』が頓挫したあと、罪滅ぼし的な意味合いで?

「いずれ下松の工業を支えていく人材を育成したい」との想いで。素晴らしいですね。

毎年卒業式の前日には、優秀な成績を修めた生徒に、『久原賞』を贈っているそうです。



時代が時代なら、下松市に大工業地帯が生まれていたかも・・・と思うと、いろいろと想像してしまいますね。


台座の裏側には、このような青銅製の説明板がありました。



文字に起こすのが意外と大変だったので、今回は貼りっぱなし。

ご存知の方も多いでしょうが、あの鮎川義介氏の義弟になります。



鮎川義介氏は、井上馨の姉の娘の長男という事も有名ですね。鮎川義介氏の妹の清子さんの夫が、久原氏になります。義弟と言っても、久原氏の方が11歳も年上でしたけど・・・

久原氏も萩市出身という事で熊谷町に石碑があり、須佐には『久原波止場』という石碑もあるそうなので、いつか訪ねてみたいものです。


校内には、他にも胸像がありました。


歴代の校長先生のようです。・・・眼鏡率高し。(←コラ!)


一際目立つ木を見付けたので、近くで拝見する事に。



『第1回生入学記念樹』ですって!大正10(1921)年4月に植樹されたようです。今からだいたい100年前!これは貴重じゃないですか!


気になる石もありました。



アンタ、保護者でも何でも無いのに、1人でいろんなものを撮影してると、不審者に間違われるよ?



イテテ



(大人しく団体行動してください)


さて、高等学校を後にして、公集大橋を渡ります。



橋には、『下工弁慶号』のプレートが。
コースの最後に本物を拝見します。


その前に、平田川沿いを少し歩きました。



あっ、まだ冬眠していない亀さんが甲羅干しをしています。

思わず、周りの人たちに知らせてしまいました。



・・・わ〜・・・、ぼっちの中年女が独り言いってる〜。



アイタタタ



(優しい人が応えてくれました・・・感謝カメ✨)