切戸川より周南市側にある、平田川沿いの道を歩きます。
ガードレールの黄色が明るめ。
浜開作踏切を横切ります。
『開作』とは、ご存知、干拓や開墾の意味で、下松市の沿岸部は、かなり干拓されていました。
大規模な塩田があったようです。
上に歩道橋がある、末武公民館の角まで来ました。こちらには、大きな石碑があり、近くの説明板にはこのように書かれています。
孝女おまさ頌徳碑
防長三孝女の一人おまさは、宝歴12(1762)年、今から260年前、下松市笠戸島深浦の大変貧しい農家に生まれました。生まれつき心がやさしく、父や母に孝行をし、これが時の毛利の殿様のお耳に達し、ご褒美として米一俵と家、屋敷をたまわり、長生きをし、安政7(1860)年3月 99歳で生涯を終りました。この記念碑は、明治30(1897)年 地元の有志により建てられました。
こちら、選文は楫取素彦さん。
県内のいろんな石碑に、楫取素彦さんの名前が確認できます。
その右隣には、『義勇奉公』と刻まれた石碑がありました。
右側面には、『明治二十七八年征清全勝之紀年 明治三十三年三月建立 末武南村』と刻まれていて、日清戦争後に建立されたことが分かります。
左側面と裏面は、従軍者の名前がズラリ☆
50音順ではありません。同じ苗字が並んでいたりするのが目立ちました。兄弟や従兄弟という関係かもしれませんね。
高等学校が近くなったところで、次のグループと混ざってしまいました。
・・・逃げろ〜。(←コラ!)
創立は大正10(1921)年で、大正8(1919)年に久原房之助氏の寄付金33万円が創設費に当てられます。
当時の33万円は現在の価値だと、軽く億は超えていますね。
久原氏が掲げた大都市工業都市建設計画」が、時代の流れで頓挫した事に責任を感じておられたようです。
到着後すぐに武道場へ案内され、約1m感覚に置かれたパイプ椅子に着席しました。
生徒によるスライドショーを拝見後、こちらで自分で持参したお弁当等を食べる事に。
私はお弁当を作らずに、同市にある『シュクルヴァン 下松店』で、パンを購入したものを持参しました。
朝6:55から開いています。
椅子の前にある畳の上に並べてみました。
3個も食べるのですか・・・
イテテ
(この日は長距離を歩いた、もしくは歩く予定なので💦ダイエット前ですし〜)
先に『牛肉ゴロゴロ黄金カレーパン』を一気に食べ、次に『自家製タルタルと照り焼きチキンのセサミベーグル』をいただきました。
3個目は別腹の甘味を♡
『ぜいたくリンゴのシナモンロール』、美味っ!
『下工とSL「下松べんけい号」の歴史』のビデオを観ながらのランチで、ぼっちでも十分楽しめました。
アイタタタ
(本当に関心がある人か私のようなぼっちサンしか視聴していなかったから、CM的な感覚だったのかもしれません)