下松市『くだまつてくてくウォーク2021』② | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先月、Sママさんの勧めで、下松市で開催された『てくてくウォーク』に参加したRieruです★



肝心のSママさんと別グループでしたけど。


イテテ


(という経緯もありガイドさんの近くにスタンバイ!)


東洋鋼鈑を後にした我々は、『埴常社(はにとこしゃ)』へ向かいました。



こちらには、春にも訪ねていましたので、懐かしい場所。



享和2(1802)年に宮ノ洲古墳が発見された際、宮洲屋4代目 磯部際右衛門が建立しました。

そして大正6(1917)年に久原房之助が一帯を買収後、宮ノ洲地区の人々が現在の二宮町3丁目に移転した時に埴常社も移したそうです。

こちらの天保3(1832)年9月に建立されたお釈迦さま(っぽい)レリーフですが、今回はガイドさんに『一畑薬師』も刻まれていると教えていただきました。



え!そうなの?


読み取れた時の驚きと言ったら!



ご存知、『目のお薬師さま』や『子どもの無事成長の仏さま』で有名ですよね。

いつか島根県に行った時に一畑電車に乗って、『一畑薬師』(醫王山一畑寺)へ参ろう〜と思っていたのでツボでした。しかし、一畑口駅からバスを利用しなければならないようで、現在は検討中です。

う〜ん、目玉おやじに逢いたい・・・(←ソコ?)


出雲からこちらに運ばれたのでしょうが、埴常社を二宮町に移す際に、廃寺になったお寺から寄せられたものなのでしょうね。


さて、県道366号線を周南市方面に進み、県道63号線で右折しますと、『妙見宮社鷲頭寺入口』と刻まれた道標が見えてきます。



矢印の通り左折しますと、右手に鷲頭寺が。

反対側(左側)には、鬼瓦コレクションが。


高い場所に飾られていたのは、恵比寿さま。


この当たりは『中市』と呼ばれていて、古い建物を見つける事が出来ました。


貴重というだけではなく、美しいですね。


こちらは、『縣有地』ですって。



こんな場所に、ひっそりと・・・


切戸川(きりとがわ)に向かって歩いています。


AM 10:15


切戸川にはいくつかの橋が架かっているようですが、こちらの橋は『切戸川』というそうです。

上流にも同じ名前の橋があるみたいですよ。



鴨や鯉がいて和やか〜ですが、下流はすぐ海でした。



この切戸橋は随分古い橋のようで、橋名板には平仮名表記で『きれとはし』と書かれています。



この呼び名の由来はいろんな説があるようですね。

現在は『きりとばし』。


親柱の上には、昔何かを刺していたような穴が4ヶ所も。



蓋みたいな四角い石が乗せられていたようです。


再び県道366号線沿いへ。



周南市方面に歩いていると、前方左側に大きな灯篭が見えてきました。



昔は宮ノ洲にあったようで、こちらに移築されたようです。宮ノ洲にあった頃には、まだ火袋もあったのでしょうね。



ところで、どうやって火袋に灯りを点火していたのでしょうか?


道路側からは見えない場所に、『矢島作郎立』とありました。



矢島さんは東京電灯を創立したり、そこの社長だった頃もあったので、うまいこと中に電線が通る様にしてあり、点灯させていたのでしょうか?

てか、最初に東京電灯会社設立を出願したのは渋沢栄一や大倉喜八郎で、最終的に矢島作郎や藤岡市助を含む数人からなる発起人が国から会社の設立許可を受けて創立したものらしいですね。


・・・もうちょっと勉強してね?


アイタタタ



(本を読め、本を!)