こちらの建物は、元 周防銀行本店だったようで、当時の面影を残していました。
明治時代の銀行に意外と似合う、柳井金魚ちょうちんも吊られていて、なかなかの素敵空間でしたよ。
金魚ちょうちんは1階のみで、2階は『松島詩子記念館』になっています。
一度訪ねた事があるので控えようかと思いましたが、1階にいた時に次のお客さんが入って来られたので、なんとなく逃げるような形で階段を上がったのでした。
前回気付かなかった発見があるかもしれませんし。
↓↓↓
こちらが、松島詩子さん。
彼女は柳井市日積の出身の歌手で、明治38(1905)年5月生まれ〜平成8(1996)年11月没(91歳)で、4つの時代を生き抜いてこられたスゴイ方です。
(・・・と、以前訪ねた際に記事に書かせていただいたものを貼り付けました)
詩子さんの趣味は茶道、華道、書道らしく、中でも書道の作品が展示されていて、その腕に感心してしまいました。
上の画像は、詩子さんが小学3年生の頃に書かれたものだそうです。
だいたい9歳の頃のものになるのでしょうか。・・・今の私より、断然上手なんですけど!
イテテ
(半世紀近く生きているというのにね)
特別室にも、詩子さんの遺品が展示されていましたが、入室禁止でした。
貴重!
当時のポスターも、何枚か額に入れられて展示されていました。
レコード界の女王!
ふと、下関出身のテノール歌手 藤原義江氏を思い出しました。
藤原さんより7歳下・・・ジャンルが違いますが、時代が少し被っていますね。
こちら、紅白歌合戦のトロフィーたち。勝った側にいただけていたようです。
これも貴重。
古い時代の方だからピンと来ないと思いますが、有名な歌『月の沙漠』を(最初に?つまり元祖?)歌われた方です。その頃は『松島詩子』ではなく、『柳井はるみ』さんの名でしたが。
部屋の奥には、レコードディスクや舞台衣装が展示されていました。
脚を出さない衣装でしょうから・・・小柄な方だったのですね。
ラベンダー色は、いつの間にか詩子さんのイメージカラーとして認知されるようになったようです。ラベンダー色が似合う女性って、素敵〜。
写真には有名人と撮られたものが多くあり、私的には淡路のり子さんとのツーショット写真がツボでしたね。
舞台で身に付けられていたアクセサリー類も見逃せません。
刺繍バックに、翡翠のネックレス・・・美しいものを見ると、胸が踊ります。
詩子さんの歌碑があると、展示のどこかに表示されていました。
白壁の町並みを歩き、車が置いてある観光駐車場に戻って探してみました。この辺りにあるそうです。
Googleマップを開いて見てみると、正確な場所がわかりました。本当に便利ですね。
見付けました、あれでしょう。
マロニエの木陰
空はくれて丘の涯に 輝くは星の瞳よ
なつかしのマロニエの木陰に
風は思い出の 夢をゆすりて
今日も返らぬ歌を歌うよ
アイタタタ
(横入り記事が続きますm(_ _)m)