『柳井市町並み資料館』の2階には『松島詩子記念館』があり、観光駐車場には歌碑があった件 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。


先日、岩国に行った帰りに、柳井市にある『柳井市町並み資料館』へ行ったRieruです★

こちらの建物は、元 周防銀行本店だったようで、当時の面影を残していました。

明治時代の銀行に意外と似合う、柳井金魚ちょうちんも吊られていて、なかなかの素敵空間でしたよ。


『柳井市『柳井市町並み資料館』に金賞金魚ちょうちんが吊るされていた件』岩国に約45分滞在したRieruです★その後 島木英文さんのミニチュアアート作品の中で拝見した、柳井市で有名な『金魚ちょうちん』を見に行きました。『岩国『本家…リンクameblo.jp

金魚ちょうちんは1階のみで、2階は『松島詩子記念館』になっています。



一度訪ねた事があるので控えようかと思いましたが、1階にいた時に次のお客さんが入って来られたので、なんとなく逃げるような形で階段を上がったのでした。

前回気付かなかった発見があるかもしれませんし。

↓↓↓

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こちらが、松島詩子さん。



彼女は柳井市日積の出身の歌手で、明治38(1905)年5月生まれ〜平成8(1996)年11月没(91歳)で、4つの時代を生き抜いてこられたスゴイ方です。

それだけではなく、あのNHK紅白歌合戦の記念すべき第1回に出場されたのだとか!
第1回は、昭和26(1951)年の1月3日に放送されたそうです。
当初は12月31日じゃなかったんですね。
12月31日になったのは4回目からみたいで、詩子さんは1〜(2回目は交通事故に遭い欠場)11回、計10回も出場されたのだとか。
松島詩子という名前の前にいくつか名前があり、デビュー時は柳井はるみという名前だったそうです。

(・・・と、以前訪ねた際に記事に書かせていただいたものを貼り付けました)


詩子さんの趣味は茶道、華道、書道らしく、中でも書道の作品が展示されていて、その腕に感心してしまいました。



上の画像は、詩子さんが小学3年生の頃に書かれたものだそうです。

だいたい9歳の頃のものになるのでしょうか。・・・今の私より、断然上手なんですけど!



イテテ



(半世紀近く生きているというのにね)




特別室にも、詩子さんの遺品が展示されていましたが、入室禁止でした。



貴重!


当時のポスターも、何枚か額に入れられて展示されていました。



レコード界の女王!


ふと、下関出身のテノール歌手 藤原義江氏を思い出しました。

藤原さんより7歳下・・・ジャンルが違いますが、時代が少し被っていますね。


こちら、紅白歌合戦のトロフィーたち。勝った側にいただけていたようです。



これも貴重。

古い時代の方だからピンと来ないと思いますが、有名な歌『月の沙漠』を(最初に?つまり元祖?)歌われた方です。その頃は『松島詩子』ではなく、『柳井はるみ』さんの名でしたが。


部屋の奥には、レコードディスクや舞台衣装が展示されていました。



脚を出さない衣装でしょうから・・・小柄な方だったのですね。

ラベンダー色は、いつの間にか詩子さんのイメージカラーとして認知されるようになったようです。ラベンダー色が似合う女性って、素敵〜。

写真には有名人と撮られたものが多くあり、私的には淡路のり子さんとのツーショット写真がツボでしたね。

舞台で身に付けられていたアクセサリー類も見逃せません。


刺繍バックに、翡翠のネックレス・・・美しいものを見ると、胸が踊ります。

詩子さんの歌碑があると、展示のどこかに表示されていました。

白壁の町並みを歩き、車が置いてある観光駐車場に戻って探してみました。この辺りにあるそうです。



Googleマップを開いて見てみると、正確な場所がわかりました。本当に便利ですね。

見付けました、あれでしょう。



マロニエの木陰



空はくれて丘の涯に 輝くは星の瞳よ

なつかしのマロニエの木陰に

風は思い出の 夢をゆすりて

今日も返らぬ歌を歌うよ


歌は記念館で聴けたような?YouTubeでも聴けるようで、2番、3番も歌詞がある歌です。

彼方遠く君は去りて わが胸に残る瞳よ
想い出のマロニエの木陰に
ひとり佇めば 尽きぬ想いに
今日も溢るる 熱き涙よ

空はくれて丘の涯に またたくは星の瞳よ
なつかしのマロニエの木陰に
あわれ若き日の 夢の面影
きょうもはかなく 偲ぶ心よ


フランスのパリに憧れた、戦前のインテリに好まれた・・・と書かれた内容のものを読んだ事があります。
てか、この石碑の石は、緑色凝灰岩ですよね!
島根県の美保神社付近で見た、『青石』(グリーンタフ)ですよね!
『青石畳通り』という、敷板が緑色凝灰岩になっている通りがありましてね・・・

・・・早う、その山陰旅行の続きの記事を書かんかい!


アイタタタ



(横入り記事が続きますm(_ _)m)