柳井金魚ちょうちんを見に来たのですが、まずは『柳井市町並み資料館』へ。
こちらには青森県の『金魚ねぷた』も展示されています。
金魚ちょうちんだけでお腹いっぱいになりそうですが、建物についても興味深かったのでお付き合いください。
こちらの資料館は明治時代の建物で、『周防銀行』の本店として建てられました。(なので『旧周防銀行本店』)
建物を正面から見て、左側側面にあった説明板には、このように書かれています。
柳井市町並み資料館 旧周防銀行本店
平成12(2000)年12月20日 国登録有形文化財登録
明治40(1907)年に建築されたこの建物は、日本銀行技師の長野宇平治が古典主義様式を確立する以前の作品で、実施設計は長野建築事務所員の佐藤節雄の手によるものです。
県内で最も古い銀行建築で、外観はモルタル塗りで洋風を呈し、正面玄関のアーチや薄く張り出したバルコニーは旧状をよく伝えています。
平成10(1998)年株式会社山口銀行より寄贈を受け、復元工事を行いました。
長野宇平治さん!昨年の11月に、彼が大正時代に設計した『山口銀行旧本店』を見学したばかり。
建った頃とは変わった箇所もあるようですが、なんとな〜くこんな感じだったんだね〜・・・という目線で見るのが良いでしょう。
少しの距離ですが、移築されていますし。
透かし部分もイイ!
2階の天井も同じ様式で、照明も同じでした。
そんな照明の元、鈍い光を放つ黄金の金魚ちょうちん・・・の背後にある金庫も残されていました。
『熊平金庫 SINCE 1898』・・・広島出身の熊平源蔵さんが、広島市に明治31(1898)年に設立した熊平商店(金庫の販売・修理)のもの。
創業120年以上!現在は『株式会社クマヒラ』として、各地に支社があるようです。・・・広島県出身の私が知らなかったなんて、お恥ずかしい限りです。
検索してみると、創業から終戦までわかりやすいページを見つけました。
なるほど。ちなみに『山口銀行旧本店』の方の金庫室のものは、東京の『竹内金庫店』のものだそうです。
こちらは大きな金庫部屋でしたね。
それに較べたらかなり小ぶりではありますが、なかなか古そうな金庫も、やまぎん史料館に展示されていました。(ありがたい説明付き)
![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/cool09_frame_bg.jpg)
この金庫は明治期の金庫・鉄扉のトップメーカー竹内金庫店(創業慶応3(1867)年)が明治23(1890)年に農商務省の専売特許を取得した鋼鉄金庫で、明治20年代の竹内金庫店の主力商品のひとつでした。
![足あと](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/005.gif)
他、内部等の詳しい説明もありましたが、昔 周防大島にあった『大島銀行』の金庫とは、貴重ですね。
周防銀行、大島銀行、山口銀行・・・いろいろあって、なんかめんどくさ〜と言った感じかもしれませんが、やまぎん史料館にあった『山口沿革系統図』には、簡単に経緯等が書かれていました。
山口銀行の歴史は、前身の『第百十国銀行』が創業した明治11(1878)年から始まりました。
明治31(1898)年 営業満期にともない、株式会社百十銀行に改組しました。その後、昭和19(1944)年 国策に従い、当時山口県下にあった百十銀行、宇部銀行、船越銀行、大島銀行、華浦銀行、長周銀行の本店銀行6行が統合して、山口県唯一の本店銀行として創立したのが山口銀行です。
なるほど〜。いろいろあったんですね。銀行にあまり縁が無いもので・・・
この建物は、明治32(1899)年、商都柳井津町の有力者33名が、資本金30万円を出し合って設立された周防銀行の本店建物として、明治40(1907)年に、当地初の本格的洋館建築として竣工しました。同年、周防銀行は、日韓産業銀行を吸収合併し資本金125万円となり、第百十銀行60万円を抜いて県下最大の銀行となっています。棟札によると、この建物の上棟は、明治40年4月とありますので、柳井の発展期に、周防銀行がその規模を拡大させた時期の新築であったことが伺えます。設計は明治期の洋風建築を数多く手がけた長野宇平治の高弟佐藤節雄氏で、建物の細部に当時の銀行としての意匠をとどめています。
周防銀行は、大正3(1914)年、県下各地の銀行で起こった取付に遭い休業のやむなきに至り、昭和2(1927)年に、解散しました。
その後、この建物は、曲折を経て第百十銀行柳井支店、山口銀行柳井支店として使用され、昭和50(1975)年からは、柳井市が山口銀行から借り受け、市立図書館として、昭和62(1987)年からは、町並み資料兼観光案内所として使用されました。そして、平成10年12日に、山口銀行から柳井市に寄贈されました。
この建物が、県内に残る最も古い銀行建築であり、貴重な文化遺産であることから、平成11年、都市計画道路の拡幅事業に併せ、曳家という珍しい保存工法を採用し、可能な限り、創建時の状態を保存し、移転整備したものです。
なるほど、吸収合併じゃなくって、最終的に解散したわけですね・・・
黄金の金魚ちょうちん:「オウ、!なにシケた面(つら)してんだ?いっちょ、オレの頭上からコインを落としてみないかい?」
あっ!アナタは・・・じつは約4年前にお会いした事があり、頭の穴にコインを入れた事がありました。
下の筒を伝って落ちてきたコインを備え付けられた紙で包み、それを大事に持っておくと幸運が〜的な、アレです。
・・・が!その辺の話をすっかり忘れており、スタッフさんに勧められるまま、100円玉を入れてしまいました。
・・・落ちて来ない!ぼったくり資料館ですかー?
イテテ
(なぜ落ちて来ないかのネタバレを全く覚えていないというボケぶり)
うまいこと中に引っかかってしまうと、『めちゃ幸運の持ち主』なのだそうです。・・・あ!思い出したー!恥ずかしー!
そうでした、そうでした。で、この棒で引っかかったコインを落とすのです。
しかし、前回はストンと落ちてきたのに、今回は引っかかったのでしょうか?
あの頃の運気が変わり、幸運を引き寄せた?それは、なんて素敵な事でしょう!
・・・単に投げ方が違っただけだよね。
イテテ
(まぁ、素直に喜べば良いのに、変な子〜)
そうこうしているうちに、貸し切り状態だった資料館に、若いカップルが来館してきました。
はい、感染予防の為、サクサク2階に上がりますよ〜。
お〜・・・銀行時代は、一般の人々は上がる機会が少なかったであろう、古い階段。
「軋む音が良い」
なるほど。私だから軋む、というわけではないようなので、恥ずかしくはありません。
こちらの特別な部屋には入れませんが、入口からなら見学が出来ました。
!
ドアノブの位置が現代のものより、低い!明治の頃は、日本人の平均身長が現代の人より低かったですもんね。
うわ〜・・・、本当に明治期に建てられた銀行なんだ〜!
・・・アナタ、いつもどーでもいいところに気が付くよね。普段は全然気が使えない人なのに。
アイタタタ
(で、後から後悔するんですよね)