資料館は『旧周防銀行』の建物にあり、昔の面影を残しています。
金魚ちょうちん:「おいでませー!」
金魚ちょうちん:「おいでませー!」
金魚ちょうちん:「おいでませー!」
・・・熱烈な歓迎を受けました。
イテテ
(ポジティブ!)
こちらでは、折り紙で金魚を折ることが出来ます。
無料で折らせていただけるのですね。折り紙好きさんや、金魚好きさんでなくても、ぜひ!
私も以前、折り紙セットを購入して自宅で楽しんだことがあります。可愛いですよね。
たくさん作って、笹に飾ると素敵✨
・・・意外とクリスマスカラーな事に気付きました。それでいて、涼し気。
お正月に親戚が集まる際には、これを玄関先に飾って特別感を演出するのもアリですね。
折り紙金魚は、アマビエ様にも応用出来るようです。
アマビエ様:「ナイスアイデア!」
元祖柳井金魚ちょうちん:「ちょっと!ボクのこと忘れてない?」
あっ!その昔、柳井で使われていた金魚ちょうちんじゃないですか。ドングリみたいなボディで、実際に蝋燭を中に入れて火を灯していたようですね。
蝋燭が入れやすいように、上の窓部分が大きいですよね。
・・・ご想像通り、実際に金魚ちょうちんは、よく燃えてしまったようですよ。
イテテ
(ショック、半端ない!)
柳井金魚ちょうちんがどのようにして出来たかを説明したプレートには、このように書かれていました。
柳井金魚ちょうちんの誕生
江戸時代後期に津軽(青森県西部)の弘前城下で、金魚の品種改良を行って『津軽錦』が生み出されました。城下の人々は金魚新品種への愛情を込めて、さらに灯火玩具である『金魚ねぷた』も生み出しました。当時の柳井津は商業が盛んで、多くの商人が回船を所有しており、日本海沿岸や津軽と交易していました。原材料を持ち帰り、柳井津で加工を施し、大阪で売りさばくと大金が手に入りました。金魚ねぷたは、西廻り航路の回船『北前船』に乗って柳井にもたらされたのです。その玩具に魅せられ、子どもたちのために真似て作った人物が、熊谷林三郎です。彼は柳井津の古市で『さかい屋』の屋号で染物業や精蝋業を営んでいました。したがって店には、染料や蝋がありました。赤と黒の染料および蝋は、金魚ちょうちんを制作する際の着色に欠かせません。幸いにも染料が手元にあったのです。
林三郎が真似て作った金魚ちょうちんは、弘前の金魚ねぷたにそっくりでした。やがて彼の息子や後継者たちが少しずつの工夫を加えながら、現在の柳井金魚ちょうちんに進化していきました。
『ねぶた』しか知らなかったのですが、地域によっては『ねぷた』と呼ぶらしいです。
金魚ねぷたのモデルになった『津軽錦』は、コチラ☆
元祖柳井金魚ちょうちんの方が、形としてはよく似ていますね。
だって、金魚ねぷたは、コチラ・・・
金魚ねぷたは、いろんな種類があるのですね!
水玉模様の数が多いのも!目も、黄色や白色も。
鈴が付いていて、揺れると鳴る金魚ねぷたも。
バリエーション、豊富〜。
青森県は、例のミニチュアアートで拝見した『斜陽館』(太宰治記念館)と金魚ねぷたのダブルパンチで、“行ってみたい度”が、一気に跳ね上がりました。
山口県からは相当遠いのですけどね。なるほど〜、江戸時代後期に北前船でね〜・・・。
令和になってからは、『柳井市白壁の町並みを守る会』さんの創立40周年を機に、『一般社団法人弘前文化財保存技術協会』さんと交流が持たれているようですよ。
『令和のきんぎょちょうちんデザインコンテスト』という、『金魚ちょうちん祭り30周年記念』のイベントで銀賞に輝いた『金魚ねぷた交流記念金魚ちょうちん』です。身体の横側に、金魚ねぷたの顔がデザインされていますね。
金賞はこちらの『きぐるみねぷた金魚』で、金魚ねぷたに柳井金魚ちょうちんが・・・
食べられています!
イテテ
(柳井金魚ちょうちんが金魚ねぷたの着ぐるみを着ている様子がデザインされてるそうです)
個人的には、銅賞の『やない錦』が一番好きかな。
ニッコリしてる♡
柳井金魚ちょうちん:「・・・なぁ?オメーよ〜、オレに会いに来たんじゃねーのかよ?ナニ他の奴ら見てニヤニヤしてんだよ?」
あ!えへへ・・・柳井金魚ちょうちんが一番、特別に好きですよ。毎日見てても、全然飽きませんし。
ほら、私って美人じゃないですか〜。
柳井金魚ちょうちん:「“八方美人”って言いたいんじゃろうけど、意味ちょっと違うし〜・・・なんだかなぁ。」
アイタタタ
(普段は“八方ブス”です・・・誰に対しても愛想が悪い)