先々月末、『狛犬ドライブin山陽小野田市&宇部市』に参加したRieruです★
宇部市にある『松涛神社』では、珍しい狛ライオンを見る事が出来ました。
その後宇部市にある『日吉神社』へ。
こちらにも自然石を使った灯篭がありました。なかなか立派な灯篭です。
鳥居は2基あり、一の鳥居の神額には『山王』とありました。
鳥居の上に小石を投げて乗せる方もいらっしゃいますが、一の鳥居の上に乗っていた石は結構大きいぞ?
手水鉢はこれまた自然石の上部をくり抜いた造りのものでした。
『布制記念樹』も。
参道を進んで行くと、二の鳥居が。
こちらの神額には『日吉神社』とあります。
拝殿の左側には朱い鳥居がありました。
まるさんの資料によると、地元の人たちは子どもの神様として『若宮様』と呼んでおられるそうです。
また、若宮神社の左側には『八王子社』があり、川上地域の人から『マムシ除けの神様』として信仰されているのだとか。珍しいですね。この神様を祀るほど、昔はマムシが多かったということになります。
肝心の日吉神社ですが、弘仁2(811)年に近江国坂本から勧請されて、上地域の産土神として祀られています。
最初は『山王権現』と号していましたが、明治4(1871)年に『比叡神社』に変わり、更に明治7(1874)年に『日吉神社』に改めたそうです。
なるほど、それで一の鳥居の神額に『山王』と…『比叡神社』は短い期間だったので面影は残っていないのですね。
説明板によると、御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ…山王権現)・大己貴神(おおなむちのかみ…大国主命)・瓊々杵尊(ににぎのみこと…天照大神の孫)だそうです。
続けて御由緒はこのように書かれておりました。(重複します)
嵯峨天皇弘仁2(811)年 当地が厚東氏の時代、近江国坂本(現 滋賀県大津市)の『日吉大社』から御勧請され、川上地区の産土神として祀られた。当社は旧宇部市内で最も古く、初め川上『森崎』に祀られた。その後 応永2(1395)年 大内盛見により、川上『紫竹が浴(しちくがえき)』に移された。更に宝永6(1709)年 福原家第16代 広頼により現在地に再建された。
△ (元)御神木?
呼び名は当初は『山王権現』と号していたが、明治6(1873)年 村社に列せられた翌年の明治7(1874)年に『日吉神社』と改められた。この間、数次の改築・改修が行われ貴重な棟札が5枚も残されている。中でも応永2(1395)年のものは棟札としては市内で最も古いものである。
また、福原家家紋付きの流鏑馬(やぶさめ)の用具も残されており、江戸時代、領主福原氏により庇護されていたことがわかる。
なるほど。貴重な神社なのですね。そして福原氏に庇護されていたのですか。
拝殿の中に気になる絵馬がありました。明治44(1911)年2月に奉納されたようです。閻魔さまっぽい人等が描かれていました。(木は桃?)
赤茶色の衣を着た男性:「東の都では桜の開花がそろそろ聞こえてきそうです。今年は早よう咲くようで楽しみでごさいます。」
閻魔さま風の男性:「ほぉ〜、桜か。昔は桜より梅の木の方が多く植わっていたから馴染みは薄いが…この神社にも桜の木が数本あるから満開時が楽しみじゃの。どれ、その花を愛でながら酒宴でも開こうではないか。」
色白の男性:「…ソーシャルディスタンスを保ってネ☆」
アイタタタ
(出来れば少人数で)