山口の神社仏閣★興阿寺&住吉神社(深川湯本)編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




先月長門にある音信川(おとずれがわ)沿いを歩いたRieruです★

『大谷山荘』から『竹林の階段』と呼ばれる場所までたどり着きました。


近くには立ち寄り湯『恩湯』や、お土産屋(ギャラリー)の『おとずれ堂』もあり、宿泊せずとも十分楽しめるようでした。


湯本温泉へは初めて来ましたが、今年の春に、随分様変わりしたようです。

あまり変わらないのは、神社仏閣でしょうか?竹林の階段から右側の横道に入ると、『住吉神社』と『興阿寺』と刻まれた碑がありましたので、参ってみることに。


この階段を進むと、『興阿寺(こうあじ)』(山号は松隠山)が迎えてくれます。


室町時代後期(1482〜1573年)に三条実香(さねか)が開基し、地蔵菩薩が本尊だそうです。
三条家は当時深川庄を領地として持って、あの角島も領有していたほどで!
こちらには、市指定有形文化財である鎌倉時代中期に彫られた地蔵菩薩(を中尊とし、脇侍に不動明王と毘沙門天を配した三尊像は珍しい)があるようです。
創建より古いのは、この地で信仰されていた地蔵菩薩を、お寺の本尊として迎えたため。
元文3(1738)年11月に書かれた『深川村由來覚書』によれば、『西湯』と『東湯』の二ヶ所の湯坪に分けていましたが、この湯源を管理していたのが、興阿寺だったそうです。

そして左隣には、『住吉神社』が建っていました。…近っ!(元禄期の寺社改めの時に四ノ瀬から引社されたのだとか)


下関市にある長門一の宮住吉明神が、深川湯本にある『大寧寺』の三代住職 定庵禅師の説教を聞いたお礼に与えられた、と伝えられています。(つまり興阿寺は大寧寺の末社)


立ち寄り湯の『恩湯』は、このことに因んで付けられたとか。(あと、公衆浴場の『礼湯』も〜☆)

神社の左脇には、夫婦?のような石像が。


よく見ると…


☆★ 翁&翁 ★☆

…に、見えました。


気になるお地蔵さんや石像がありますが、こちらの手水鉢に刻まれた『正明市』という地名が気になります。


同じ日に訪ねた『飯山八幡宮』にも、この地名が刻まれていました。



読み方は『しょうみょういち』…知ってはいるけど、『まさあきし』と読んでしまいます。


イテテ


(字数も少ないし←え?)


遠い地から寄進された?石碑も。


佐賀縣武雄町…


現在は、佐賀県武雄市武雄町(大字武雄)という地名があります。


気になる祠も、気になるお墓?もありました。


行きとは別の階段をおりて行くと、再び音信川沿いに出ました。


知らなかったとはいえ、遠回りか…いや、むしろ汗をかくのじゃ!気持ち良く温泉に入るために!

…念入りに『掛け湯』してくださいよ?


アイタタタ


(常識です!)