山口の神社仏閣★松陰神社 松門神社 狛犬 明治九年萩の変七烈士殉難之地碑編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



もう梅雨が明けたのに、梅雨時の旅行記(?)が続く予定で、申し訳ない気持ちになるRieruです★

じゃあ、すっとばして、梅雨が明けて訪ねた事を書けば

やだね。(←コラ!)


イテテ


(ジレンマに揺れる中年女)


1日2回投稿すれば、早く梅雨明け記事が書けるんじゃないの?と考えた女は、今日も2回目の投稿に勤しみ…萩市にある、『松陰神社』を訪ねたところから書かせていただきます。
松陰神社を正面にして左側には、末社である『松神社』がありました。


末社であるが故に規模が小さく、スルーされる方もいらっしゃるかもしれません。

じつは松陰神社の旧社殿で、松陰先生の門人の霊を祀っています。


説明板には、このように書かれていました。


松門神社

  昭和30(1955)年10月26日、松陰神社の新社殿(現社殿)が竣功し、遷座祭も滞りなく斉行されたので旧社殿を北隣の現在地に移し、塾生、門下生を祀ることとなりました。
  社名を松門神社として改修した後、昭和31(1956)年10月26日、松陰先生門人42柱を合祀して鎮座祭が斎行されました。
  平成22(2010)年10月25日、松陰先生御生誕180年を記念して10柱を追祀し、合わせて52柱が祀られています。
  松陰先生の実家である杉家で、明治23(1890)年8月に松下村塾が改修された際、村塾の西側に間口一間半、奥行二間の土蔵造りの小祠が建立され、私祠として松陰先生を祀っておられましたが、その小祠が明治40(1907)年10月松陰神社の神殿となり、更に現在の松門神社の神殿となっています。


沼崎吉五郎大人の合祀

  沼崎吉五郎(福島藩士 後に幕府陪臣)は、松陰先生処刑時の江戸伝馬獄の牢名主で、松陰先生の信頼を受け、先生の魂の結晶である遺書『留魂録』を託されました。沼崎はその後、三宅島に流罪となりましたが、これを17年間肌身離さず守り抜き、明治9(1876)松下村塾生であった野村靖に手渡し、今日まで伝存されることとなり、現在の我々の大きな遺産となっています。
   この献身的な努力と功績を称えるため、平成27(2015)年10月25日、松門神社に合祀されました。

春季大祭  5月25日
例 大 祭  10月25日
いづれも松陰神社と同日

なるほど。そしてこの説明板の裏に、御祭神である52柱のお名前が表記されていました。(沼崎さんを含めると53柱)

久坂玄瑞命・ 高杉晋作命・吉田稔磨命・入江九一・金子重輔命・伊藤博文命・山県有朋命・品川弥二郎命・前原一誠命・松浦松洞命・玉木彦助命・馬島甫仙命・野村靖命・山田顕義命・木戸孝允命・寺島忠三郎命・時山直八命・杉山松助命・松本鼎命・飯田正伯命・増野徳民命・尾寺新之丞命・阿座上正蔵命・渡辺蒿蔵命・天野御民命・有吉熊次郎命・飯田吉次郎命・境二郎命・河北義次郎命・久保断三命・国司仙吉命・駒井政五郎命・諫早生二命・井関美清命・岡部富太郎命・滝弥太郎命・妻木寿之進命・中谷正亮命・弘勝之助命・掘潜太郎命・正木退蔵命・横山幾太命・赤根武人命・大谷茂樹命・岡部利輔命・小野爲八命・木梨信一命・佐々木亀之助命・佐々木貞介命・福川犀之助命・福原又四郎命・山根孝中命

個人的には、金子さんや赤根武人さんが入っていて嬉しいです。

そして松門神社の鳥居を出てすぐの場所には、『明治九年萩の變(変)七烈士殉難の地』と刻まれた碑がありました。え?この場所じゃないでしょ!

説明板にはこのように書かれていますので、落ち着いてください。


明治九年萩の変七烈士殉難之地

  前原一誠は、久坂玄瑞・高杉晋作等と並ぶ松陰先生門下の俊秀であります。
明治2(1869)年越後府判事に任ぜられるや、仁政を実践すべく、租税半減や信濃川治水工事に着手しましたが、新政府の方針と、対立。次いで参議、兵部大輔となるも志を得ず、辞表を出して萩に隠居し、以後青年教育に心を傾けようとしました。
しかし、憂国の念抑え難く、終に明治9(1876)年10月下旬、萩の地に挙兵し敗退、12月3日幹部六士とともに萩市恵美須町の刑場で斬刑に処せられたのでありました。その最期は松陰先生に恥じない立派なものであったと云います。


此の碑は、昭和51(1976)年の百年祭に当たり、刑場跡(萩市恵美須町)に建立されましたが、諸般の事情で撤去されたため、平成18(2006)年 現在地に移建したものです。

なるほど、諸事情で…それで松門神社近くに建っているわけですね。

そして松門神社には忘れてはならない、お隣の松陰神社より小ぶりな狛犬さんがいらっしゃいます。現在の松陰神社の旧社殿というから、元々松陰神社に奉納されたものを、そのまま松門神社に?


すみませぇ〜ん。お顔を拝見させてくださぁ〜い♪

狛犬(阿)さん:「…………」


お〜い?てばー!

狛犬(吽)さん:「はははは…明治生まれ(明治41(1908)年9月)じゃからの。馴れ馴れしい奴は、どうも好かんみたいじゃ。


ワシは、股間を覗き込む女は嫌いじゃないぞ?」


イテテ

狛犬(阿)さん:「しょうがない奴じゃの〜。ホレ、ワシの顔じゃ。…獅子舞に似とるって言われるんは嫌いじゃないぞ?」


ありがとうございます。ん?口に咥えていらっしゃるのは…お正月に飾る鏡餅の上に乗ってる、橙橙(だいだい)ですか?


狛犬(阿)さん:「…そうなの?」


イテテ


(狛犬ジョークです←意味不明)


狛犬(吽)さん:「擬宝珠らしいんじゃけど…歯で挟んでるよね。面白いよね。」


はい、本当に面白いです。ところで、狛犬さんは『萩狛犬』なんですね。
台座の縦縞は萩狛犬のもので、このタイプは(多分)久しぶりに見ました。


似た模様…浜崎にあった『住吉神社』の柱のトコのに似てますね。

△ 特徴的な縦縞


…萩狛犬さんにもいろいろいらっしゃるから、書かないでいいところは書かない方がよろしいかと思います。(←めんどくさ)


アイタタタ


(そして人それぞれ好みがありますm(_ _)m)