カビ臭に敏感なRieruです★
他の人が臭わないよ?と言っても、カビ臭はしっかり臭っています。私には、わかるんです!
…カビセンサーとして、どなたか雇ってくれません?
イテテ
(そんな職業(バイト)はございませんm(_ _)m)
ほとんどの古い屋敷(江戸後期〜昭和後期)はカビ臭を漂わせているので、特にこの時期訪ねるのは必要以上に注意しないといけない女は先月、萩市にある『松陰神社』を訪ねました。
境内には、あの萩井戸が。
毎度、見かけると嬉しくなります♪
てか、松陰神社内にあるとは…元々松陰先生のご実家杉家の中ですもんね。
『松下村塾』が境内に建っていることは有名ですが、他に『吉田松陰幽囚ノ旧宅』(幽囚…ゆうしゅう)もあります。
松陰先生は野山獄に入れられた翌年、杉家で謹慎生活を送ることに。
家族の薦めで孟子や武教全書などを講じるようになりましたが、その場所が…なんと3畳半の幽囚室!
松下村塾より以前に、こちらの場所で教えていたんですね。
松下村塾と同じく、国指定史跡であり、世界遺産にも登録されています。
床の間(?になる?)には、複製ですが『三余読書 七生滅賊』木原松桂(しょうけい)書が掛けられていました。
説明書には、このように書かれています。
これは松陰が安芸国(広島県)の木原松桂に頼んで書いてもらい、この幽囚室に掛けていた。
木原は行方不明だった母の墓を長年かかって探し出した親孝行な人物だった。
はぁ〜…なるほど。
医師(?)である木原松桂さんのことを検索してみると見付ることが出来、おおよそ、このようなことが書かれていました(まんまパクリは申し訳ないので)
安永5(1776)年に現 東広島市杵原に生まれましたが、小さい頃に母と生き別れてしまい、約40年もその母を探し続けた結果、なんと47歳の時に伯耆国(ほうきのくに…現 鳥取県)弓ヶ浜で母のお墓を見付けました。
その話を聞いた松陰先生は、例の書を貰い受け、『座右の銘』として幽囚室に掲げていたとのことです。
意味はそのまま。
『三餘読書』…人生には三つの余りがあり、その余りを無駄にせずに学問(読書)にはげめよ。
冬、これは一年の余り。夜、これは一日の余り。降雨は一時の余り、という。
『七生滅賊』…七生は七度生まれ変わるということで、永久を意味する。
滅賊は尊王に背いた人間を賊といい、滅するという尊王思想のこと。
ほ〜…まだ知らない事がたくさんあるので、ゆっくり、自分のペースで学んでいけたら、と思います。
さて、境内には人工の池があり、涼し気でありますが、いつも見る度に気になるものがあります。
なんなんだろうな〜?と思っていたら、こんなところに同じ文字があり、松陰先生の言葉ということが分かりました。
永久の良図を捨てて目前の近効に従ふ
其の害言ふに堪ふべからず
え?良図…「りょうと」と読むんですね。
将来に続く良い計画を捨てて、目の前の手近な効果を取る。その害は言葉で表すことが出来ないほど大きい。
将来に続く良い計画…が、池に表現されているのですか?
このように、松陰先生の言葉がプリントされている句碑が境内に設置されていました。
暗くなるとライトアップされるんですね。
へぇ〜、『松陰語録』から。
興味深いですね。
ん?こんな碑、ありましたっけ?
新しく建てられたのですね。
『学びの道』という名前が付いていました。
『Showin Street』とも。
あれ?逆から来たようです。
先に参拝したら、仕方がないですよね。
そして、この看板を見落としていました。
アイタタタ
(増やせよ、歩数!減らせよ、体重…)