義兄さんが某部位の手術を受けられるということで、入院されるに当たり、飼っていらっしゃるワンちゃんを預かる事になったRieruです★
元義姉(義兄の元奥さま)の家には、すでに別のワンちゃんがおり、預かるのは難しいとのこと。
義兄さんの息子(つまり甥)さんのところは、奥さまも仕事が大変だし、小さいお子さんがいるし、なんと言っても新築![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
いや、だからってウチがボロ家だからOK☆ってわけではありません。
…猫を飼ってるし。
イテテ
(様子を見に行ったら、ワンちゃんが不憫で…なにより可愛いです♡)
思いがけず、毎朝夕にワンちゃんを連れて散歩を楽しんでいる女は先月、萩市にある『東光寺』に参りました。
何度も書いていて、また?と思われるかもしれませんが、3〜11代の奇数代藩主夫妻が葬られています。
偶数代藩主夫妻が葬られている大照院同様、奥さまも一緒に…という点は大変素晴らしいと思います。
しかも大きさも同じなんて、この時代ではなかなか無いのでは?
説明板には…
元治元(1864)年に勃発した禁門の変と下関戦争の敗北により、萩藩は幕府へひたすら謝罪降伏する藩論へ転換し、尊皇攘夷派(急進派)が一掃されて恭順派が藩の政権を握った。
第一次長州出兵が迫る中、益田右衛門介・国司信濃・福原越後の3家老が禁門の変の責任を問われ、同年11月12日に自刃を命ぜられ、また12月25日、家老の清水清太郎も自刃を命ぜられた。
さらに10月24日、尊皇攘夷派の11人が野山獄に投獄され、11月12日に竹内正兵衛・中村九郎・佐久間佐兵衛・宍戸左馬之介の4人が、次いで12月19日に前田孫右衛門・毛利登人・山田亦介・渡辺内蔵太・楢崎弥八郎・大和国之助・松島剛蔵の7人が斬首された。
明治維新後、旧藩士 杉孫七郎や杉民治(吉田松陰の兄)らは、殉死した四大夫、十一烈士の墓が各所に散在し、香花も絶えて十分な世話も出来ない状態であることを見聞し、明治22(1889)年 彼らの招魂墓を建立した。
のち明治31(1898)年には、禁門の変の責任を感じて自刃した周布政之助の招魂墓も、同所に建立された。
…と、ありました。
彼らの招魂墓が東光寺に…偶然とはいえ、今回の旅行はそんな繋がりのあるものだったとは!
急進派も恭順派も、萩藩の御為に…激しい衝突故の結果は辛いものになりました。
生前、まさか自分たちが歴代藩主の墓所に招魂墓が建てられるなんて、思わなかったでしょうね。
それぞれの墓碑の右側面には辞世の詩歌、左側面には没年月日と年齢が彫られています。
松陰墓の近くには、『殉難士遷葬碑』が。
篆額は宍戸璣、撰文は杉民治、書は山県篤蔵で、招魂墓を建てた経緯が刻まれています。
こちらには他に、楫取素彦さんの次男 楫取道明さんのお墓もあります。
松陰先生の妹 寿(ひさ)さんとの間に生まれ…道明さんの話しは、またの機会に。
その墓所を抜けると、玄武岩で造られた太鼓橋が。
△ 墓所を振り返って
冒頭の画像の入口へ。
鳥居も5基あります。
江戸時代のものなので、傷んでいる石灯籠もありました。
それぞれの時代で細かいデザインが異なりますが、藩主と奥さまを弔う気持ちは同じ。
例の『万灯会』も行われるようですが、大照院と同じく、今年は行われないようです。
iPhoneに変えて、初めてのパノラマ撮影☆
石灯籠、鳥居。反対側は、神道碑に歴代藩主のお墓。
そして関係者らのお墓も40基以上。
苔と石と…蚊!
蚊の季節は、必ず虫除けスプレー持参で参ってください。
あら?痒すぎて何、ふざけたことやってんの?
…アート…東光寺の松ぼっくりアートですよ、きっと!
アイタタタ
(お掃除されただけなんじゃあ?)