山口の神社仏閣★龍福寺 梅の花編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



ここ数日、主食はチョコなんじゃないか?という日が続いているRieruです★

娘2人が作りすぎて余ったものと、逆に友人らにもらったチュコがわんさか。
娘Aの彼氏は甘い物が苦手だけど、ウチの娘にわざわざ手作りチュコを所望したらしい。・・・なんて図々しいんだ。


イテテ


(まぁ、大目にみてやれよ・・・)


そして父さん(頭領)には日頃お世話になっているからと、腕時計を当日の朝に渡していました。
お礼を言って直ぐに左腕に着けてそそくさと家を出て行きましたが、アレ絶対泣いてるよ・・・と彼女にヒソヒソ。どこまでも感じの悪い母親は、先週の建国記念日に山口市にある龍福寺を訪ねました。
約2年前に『古地図を片手に山口(山口市)を歩こう!』で、また改めてゆっくり来たい!と  書いていたのを思い出したもので。

久しぶりの龍福寺に、ドキドキ。

奥さま、知ってますぅ?こちらのお寺さん、ちょっと格が上ですのよ?
通常の塀には筋なんて無いでしょう?でも最高位を5本として、こちらは3本もありますのよ?


大内満盛(周防大内18代当主)さんが建長年間(1206〜1207)に建てて、いろいろあって最終的には弘治3(1557)年に毛利隆元(元就さんの嫡男)さんが大内義隆(陶晴賢に裏切られた)さんの菩提寺として再興した次第です。
その間、場所も変わっていますので、大昔からこの地にあったというわけではありませんが、しっかり歴史があるので、あしからず。

あっ、門にオッパイ、オッパ〜イ☆


はいはい、釘隠しの乳金物ね。

義隆さん︰「あんまり騒がんといてくれよ。」


(`・ω・´)ゞ ブ・ラジャー!


イテテ


(義隆さん︰「だから・・・もやもや」)


陶っち(陶晴賢)に山口から追放された時もこのお寺は火を放たれていますが、明治14(1881)年にも本堂が全焼してしまったそうです。
そこで明治17(1884)年、大内御堀の興隆寺の釈迦堂を本堂として移築したのだとか。


お賽銭は、こちらにお願いします。


・・・オシャレな銅製の灯篭かと思いました。


イテテ


義興さん︰「ガハハハハ、お主がバカなのは相変わらずじゃのー!」


あっ、義隆さんのお父さま。てか、この像、近くで見れば見るほど秀品なんですけど!
それもそのはず、『芸術は剣よりも強し』とパリ大展で主張したという陶芸家(心像彫刻家)月形・那比古さんの作品ですもん。
作品の正式名は『大内義興公馬上展望』だそうで、龍福寺資料館の入り口近くに設置されています。


龍福寺資料館?やだ、そんな魅力的な資料館があったなんて全然知りませんでした!
ぜひ見学を・・・
そうですよね、9時からですよね。別の日に出直してまた来ます。


イテテ


(開館まで、あと6〜7分でしたが?)


資料館の内容は気になりますが、梅の花も気になります。

そう、梅の花・・・


まぁ、可愛らしい♡


訪ねて良かった〜♪


満開じゃなかったけど。


アイタタタ


(予想通りのオチですみませんm(_ _)m)