大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第15話(あゝ結婚)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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大河ドラマ『いだてん』第15話を観たRieruです★

タイトルの通り、大正2年の春に金栗四三さんが学生の身で結婚してしまう!という回でした。
大正時代のことですから、お見合い結婚が主流だった?半分以上はお見合いでしょうかね。四三さんも例外では無かったようです。
そしてなんとお相手は、あの春野スヤさん!ん?春野姓?はい、旦那さんだった池部重行さんが亡くなられて未亡人となり、自ら実家に帰っていたのでした。
本人の知らないうちに、“スヤさんと結婚して池部家の養子になる”ための見合い席を設けられていて、混乱する四三さん。


金栗家7人兄弟の6番目であるということと、ストックホルムオリンピックに出場するために池部家に売った田畑が養子になればチャラになる、という理由で長兄の実次さんが決めた縁談に乗り気では無い態度を示す四三さんに、スヤさんは金栗さんに迷惑がかかりますけん、この話は無かったことに・・・と下がります。
四三さんの言い分としては、養子になった後から嫁(結婚)のことは決めたい感じ。

そこで、池部重行さんの実母 幾江さんがブチ切れ!
幾江さん自身が理屈ではなく、スヤのことが好きだから・・・一緒に暮らしたいから・・・スヤのために生きたいから・・・スヤと(先に)結婚せんなら養子縁組の話はナシ!と物別れに終わります。

金栗家に帰宅後、家族会議するも四三さんの煮え切らない態度に実次さん、ついに爆発!
最終的には結婚の話を受け入れ、遂に池部家で結婚式が行われたとさ。めでたしめでたし・・・ではもちろん終わりません。
初夜で、もどかし〜い新婚の2人。


結局視聴者が期待するものは無く、4年後のベルリンオリンピック出場への熱意を話したりして終了。
“お互い頑張りましょう、おやすみなさい”






・・・予想通り、特に何も無かった模様。


四三さん的には帰省時にお見合い→祝言をあげるなんて思わなかったものだから、新婚にも関わらず、予定通り早々に東京へ帰ります。

そしてその頃、朝太さん(後の古今亭志ん生)といえば東海道を西へ、うなぎで有名な静岡の浜松にいました。


気だるそうに朝太さんの落語を聞く、学生服にメガネの少年“まーちゃん”。語尾に『〜だに』が付く静岡弁がカワイイ、後の田畑政治さん。


後で熱燗を盆に乗せて運んだりと手伝いをしていると、朝太さんに落語の感想を聞かれます。

まーちゃん︰「たいしたもんだや〜、と思いましたね。前座だろう?なのに長い話しを覚えてつっかえずに言えて、たんと稽古したんだな〜、えらいや〜、って。」

・・・つまりは“面白くは無い”と。結局師匠と大喧嘩に発展し、朝太さんは追い出されるハメに。

あ〜あ。

あ〜あ、といえば、大日本体育協会の会議に“選手の立場としての話”をするために参加した四三さん。


いつも通りの険悪な雰囲気に、結婚の報告など出来るわけもなく・・・

永井さん︰「とにかく今は私が書いた要録に従い、体操中心の学校教育を全国に広く推進すべきなんです!」


と半ば強引に締めくくられましたが、こんな要録は気に入らない嘉納治五郎先生は、『ミルクホール』(明治〜大正時代の政府が日本人の体質改善を目的に牛乳を推奨しており、コーヒーや洋菓子等も提供されていたようです)なるお店で、可児さんと四三さんの前で悪態をつきます。

可児さん︰「しかし、文部省と軍部の介入から体育を守ったという意味から永井さんの功績も・・・」

治五郎先生︰「何言ってんだよ。あいつは元々テニスボーイだぜ?朝から晩までテニス漬け。あまりにも面白く夢中になりすぎて、ある時ふと気が付いたそうだ。」


若かりし頃の永井さん︰「これは、イカン。面白過ぎて勉学と並立し難い・・・諧謔(かいぎゃく)だ!」

治五郎先生︰「それでスッパリ、テニスをやめたそうだ。そういう極端な奴だから、聞き流してればいいんだ。」

面白過ぎます、永井さん・・・←フィクション入ってますから☆

それから季節は夏になり、四三さんは炎天下の砂浜を帽子も被らずに走る、『耐熱練習』を野口君が手伝う中、行います。
今ならこんなめちゃくちゃな練習、自殺行為ですよね。でも四三さんは至って真面目・・・
そんな暑(熱)い夏、静岡でも大真面目に泳ぐ、ふんどしボーイズが!
旧制中学の生徒らで、夏の合宿では浜名湖を泳ぐのです。自らを『浜名湾のかっぱ』と呼び、きゅうりをモグモグ。

△ まーちゃんも参加します!

当時の水泳は速さを競うものではなく、鎧姿で泳ぐなど、戦国武士の修練を受け継いだものでした。
立ち泳ぎをしながら字を書いたり、腹をわざと水面に打ち当てて飛び込んで沈まないことで、水中に仕掛けられた罠をかわしたり・・・


合宿の仕上げは6時間にも及ぶ大遠泳で、その距離なんと16km!
このふんどしボーイズの中から、将来のオリンピック選手が生まれるなんて感動的ですね。

さて。ストックホルムオリンピック選手だった四三さんは・・・摂氏36℃の中、走る!走る!走る!


何度倒れても立ち上がり、また走る!そしてまた倒れ・・・そんなつらい時はストックホルムの屈辱を思い出して頑張るのです。
そして1ヶ月後、ついに40kmを一度も倒れずに完走を果たした四三さん。
そんな姿をずっと間近で見ていた野口君も、次回のベルリンオリンピックに出場する決意をしたのでした。
そしてまた季節は移りに移り、冬。
そろそろ四三さんも卒業し、中学校へ赴任する話が?
徒歩部の橋本君は長野中学、平田君は熊本・・・当然、郷里である熊本の中学校へは四三さんも?

幾江さん︰「実次ー!出て来い!こんペテン師がっ!実次ー!・・・どぎゃんもこぎゃんもなか、あんたの弟が熊本に帰らんと言うてきたばい!・・・卒業したら帰るて言いよるけん、養子にもろうたとに、騙されたばい!」


と金栗家に乗り込み、実次さんに食ってかかりました。
四三さんからの手紙の内容は、教員の道は歩まず、ベルリンオリンピックに出場する(東京で練習するから熊本には帰らない)!養子話も無し、破談にしてもらっても構わないというものだったので、そりゃあ幾江さん、ぶちキレますよね。
四三さんが決めた進路に周りは納得出来るものではありませんでしたが、治五郎先生は反対する先生らの前で裸足にさせます。

治五郎先生︰「汚っい足だな。ほら、見たまえ。夏も冬もぶっ通しで走ったせいだろ〜、血豆だらけじゃないか〜、なんと不格好でゴツゴツしてみっともない、足っ!教師は、生徒の手本にならなきゃいかん。こんな足では人の上には立てん、不合格!こんな足では、“世界一のマラソン走者ぐらい”にしかなれんと言っておるのだよ!」

四三さん︰「校長先生・・・」

治五郎先生︰「走れ!君は何も考えず存分に走りたまえ!文部省には私が話を付けよう!これで問題無いね?」

という流れで、日本での“プロフェッショナル第1号”になった四三さんでありました。
そして嬉しいことに、スヤさんもまた四三さんのよき理解者であり、四三さんの勧めで冷水浴を始めることに。


スヤさん︰「えーい、何事も経験ばいっ!」

・・・四三さんとの“アチラ”はまだですけど?


アイタタタ


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