山口市『十朋亭維新館』に初めて足を踏み入れたっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



山口市で開催されていた『 山口ゆめ花博 』からの帰り道(?)に、今年の9月29日にオープンした『 十朋亭(じっぽうてい) 』さんにお邪魔したRieruです★

あ、画像の建物ではないです。


この建物の右側に入口があります。

訪ねた時はオープンから約1ヶ月しか経っていなかったので、少し緊張しました。


新築の建物や、新車に乗る時は気が引き締まるような気持ちになります。

・・・身も引き締めたい。


イテテ


((;´・ω・)努力しなさい、努力を〜☆)


門?から入ったその先に入口がありました。


地味なので(←コラ!)本当にココ?って感じです。

入口に入る前に気になった、まだまだ新しい玄関マット。


正確には『 十朋亭維新館 』という名前なんですね。

“ 十朋亭 ” というのは(三代)萬代利兵衛(まんだいりへえ…1775〜1835)サンが裏の離れとして使われていた建物らしく、幕末の志士たちが滞在したりしたそうです。
周布サン、久坂サン、木戸サン(桂小五郎)、晋作サン、有ちゃん、益ちゃん、富永有隣サン、来栖又兵衛サン、馨ちゃんに博文ちゃん等々。(維新後には杉民治サン等も!)そして藩外の志士たちも…
ちなみにその名は篠崎小竹(関西の儒学者のリーダー)が付けたそうです。
易経の『益之。十朋之亀…(割愛)』に由来するのだとか。

止まれ見よ!←オイオイ
スタッフの方は、みんな素敵な袖無し羽織り(ちゃんちゃんこ)を着ていました。


市松模様はプリントではなく、しっかりと縫われていましたよ!

この仕事に、めちゃ感動!


それもそのはず、近くの『アトリエa.p.r』さんで製作されたそうです。

ハウアッ!

私もさんのガマグチ財布、持ってまーす!


他にも違う布地のガマグチ財布を購入するほど、お気に入りです♪
普段持ち歩いている財布はゴツ(しかしお金は少な)いので、遠出?する時はガマグチ財布に必要最低限のものを入れ、各地に連れて行っておる次第です。

話は戻り…山口愛を感じるスタッフさんの案内や説明を受けながら展示室を巡られているお客さんはいましたが、私たちは放置でした…(観終わった後に声をかけていただきましたが(´Д⊂ヽ)クッ!
依ちゃんとは別行動ですし!


イテテ


(毎度のことですが(´Д⊂ヽ)


分かりやすい展示でしたが、やはり深い話は聞いてみたいものです。
単に私が勘違いしているだけで、「案内をよろしくお願いいたします!」とお願いすれば良かったのか?もしれません。
ダメ元で言ってみられるのも良いかも。

案内され損ねましたけど(←しつこいな)、十朋亭維新館のアプリを取ったら、面白いことが!


展示物に “ AR ” マークを見つけたらそのアプリを起動させて、“ 説明 ” してもらえるそうです。

展示室は撮影禁止ですが、このアプリで得た情報をスクショ☆


しかし、私のすぐ近くで男性スタッフさんが男性のお客さんに説明されている内容が気になって、気になって!
同じ入館料(200円)を払っているのだから、平等に教えてくださいよ〜(゚ω゚;)とセコいことを考えながら観賞しました。

本館展示室は有料でしたが、『萬代文庫』があるスペースは無料で利用出来ます。


とにかくお宝書籍がいっぱい★
お宝…萬代家はお察しの通り、代々醤油製造業を営んでいたので、余裕があったんですね。
先月の11月12日には『萬代家文書(文書64点及び大杓子…馨ちゃん&博文ちゃんの寄せ書き入り☆)』が山口市指定文化財に指定されたそうです。
これら貴重な面々が展示されていたわけですが、展示物は12月末頃に(数点?)入れ替えがあるのだとか。
また機会があれば訪ねたいです。


正面から見たら本にしか見えない箱を発見☆


自由に手に取っても良いとのことですが、躊躇しますね。

一人で訪ねた時、時間に余裕があったらじっくり読んでみたい漫画発見☆


石ノ森章太郎先生の『日本の歴史』(現代版含む)全巻、ドドン!

…何時間ここに滞在する気だ?


イテテ


(9時から17時まで開いていますので約8時間←ちゃんと昼食を食べて、御手洗いにも行ってください)

なんと言っても、オススメなのは『手鑑 萬代帖』です!


(私が訪ねた時は展示室に実物が展示されていましたが、現在は別の物が展示されているようです)
“ 手鑑(てかがみ) ” とは名筆観賞のために書状や古筆切(こひつぎ)れなどを台紙に張り折本帖に仕立てたものです。
萬代家に伝わった本手鑑は、平安時代から江戸時代初期頃までの文書を集めたもので、明治時代に(六代)利七が入手したと推定されます。
そこには天皇、親王、公家、僧侶、武家などの文書63点と、江戸時代に帖を仕立てた職人の銘1点が収録されています。
中国地方の中世文書が大半を占め、なかでも毛利家に関係する文書が多いことが特徴で、もとは長府毛利家に伝来したものと推定されます。
古筆学、歴史学、国文学などの研究の上で貴重な資料です。
…と、画面に表示されていました。


イテテ


((;^ω^)写しかい!)


まぁ〜、難しいタイトルがずらずらずらり。


展示室にあったのは開いた状態で、メモ帳も持参していなかった私はそれを “ 名前だけ ” 覚えておきました。
その名は『足利直冬(ただふゆ)』サン!

足利ってだけで引っ掛かったんでしょ?


イテテ


ついでに萬代帖に貼られていた書状のコピー本も置かれていました。


右側のものが直冬サン感状ですが、なんのことやら?
そもそも直冬サンって何者ですか?←ソコ?
私も知らないので(いやいつぞやの歴史ヒストリアで出た?)調べてみると、足利尊氏サンの庶子(母は越前局らしい…そして一夜限りで…←もうヤメとけ)尊氏サンに認知されず、鎌倉東勝寺の喝食(かつじき…禅宗寺院の稚子)でしたが、尊氏の弟 直義サンの養子に。
直義サンはこの時、子がおらず、直冬さんが20歳頃になって男子(如意丸)を授かるも、五歳で早世されています。
その後、尊氏サンと直義サンは骨肉の争いに…(腹違いの実弟にも疎まれたり(´Д⊂ヽ)いろいろいろいろありまして(←つまり割愛)、直冬サンに味方した武将の軍忠を賞したものが、この感状なのだそうです。
それから兄弟ゲンカは終息したそうです。
ヨカッタ、ヨカッタ♪

最終的には直義サンは尊氏サンに毒殺されたらしいですけど?(←病死説有り)


アイタタタ


(しかも亡くなった日は如意丸の一周忌の翌日…ってか直冬さんは?←一説には石見に隠棲?晩年は不明らしいです)