萩市『田中義一』さん家にお邪魔しまーす! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。





なんか・・・


中央にいる男性、めちゃ背が高いんですけど!
古そうなお写真から想像して、きっと昔の方ですよね?

なんとこの方、第26代総理大臣の田中義一さんという方なのだそうです。
推定180cm・・・(⊃ Д)⊃≡゚ ゚幕末の元治元 ( 1864 ) 年7月25日 ( 旧暦6月22日 )生まれにしては長身ですね!
ちなみに久坂玄瑞サンも180cmあったそうですが、義一さんが生まれて約2ヶ月後の8月20日 ( 旧暦は7月19日 ) に禁門の変で自害されています。
そんな時代に呉服町 ( 高杉晋作さん生誕地や木戸孝允旧宅の近く ) で萩藩士田中信祐の3男として生まれ、維新後13歳!で萩の乱に参加 → 村役場の職員や小学校の教諭を務める → 20歳で陸軍教導団に入団 → 陸軍士官学校 ( 旧8期 ) → 陸軍大学校 ( 8期 ) → 日清戦争では第一師団副官として出征 → 後に大尉 → ロシア留学・・・ということで、日露戦争前には陸軍屈指のロシア通☆
当然?
海軍の広瀬武夫サンと仲が良かったそうです。
その後、日露戦争従軍・・・満州軍参謀として、総参謀長 児玉源太郎サンのスタッフを務め・・・うっわー!源太郎サーン!


イテテ


( 落ち着け )

ついでに。
戦後に提出した『 随感雑録 』が有朋チャンに評価されて、帝国国防方針の草案を作成したのだそうです。

             ※軍服の左肩には7つの勲章が

その後 参謀次長から原内閣、第2次山本内閣で陸軍大臣 → 陸軍省内に新聞班を創立・・・マスコミの論調を陸軍の都合の良いように操ったのですね。
これが大正4 ( 1915 ) 年で3年後には男爵、陸軍大将 → いろいろあり ( 狭心症になったり・・・ ) 将来は元帥?いやいや いろいろあり、現役軍人は政治結社に入れないルールがあるので陸軍を退役 → もう、この辺ややこしいので割愛 →外務大臣 → 内務大臣 → 昭和2 ( 1927 ) 年に内閣総理大臣に。

※萩博物館の東側の公園には巨大な銅像が・・・大戦中、金属回収令により失いましたが、戦後再び建てられたそうです


冒頭の画像は、その時の内閣の閣僚サンたちと☆
しかし!
いろいろあった歴史的事件での問題で昭和天皇から叱責されて凹み、昭和4 ( 1929 ) 年に内閣総辞職・・・持病の狭心症も悪化?3ヶ月後にお亡くなりに。
『 昭和天皇独白録 』では、昭和天皇が「 このじごあつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へることに決心した 」と残されています。
自分のせいで・・・政府に不満があっても口出ししない・・・
うーん・・・ここに書くのは迷ったのですが、義一さんの死因が腹上死だったかも?なんて説があったり無かったり汗


イテテ


( いや、無い!・・・ハズ m(_ _)m? )



そんな、いろいろやらかしちゃった感のある田中義一さんの別邸が、萩市平安古 ( へやこ ) にあるというので、かんきつ公園とセットで訪ねたRieruです★

元々は小幡高政サンのお屋敷だった『 旧田中別邸 』。


松ぼっくりの釘隠しにキュン ハート


明かり取りにも、キュン ハート


良いですね♪



屋敷の縁 ( へり ) には橋本川が きらきら


結構風が吹いていたので、萩八景遊覧船が前へ進みづらそうでした。

「 左手に見える屋敷は・・・」

と説明されているかも?
船から見たかんきつ公園も風情がありそうです。
別邸は観覧料が100円要りますが、帰りに夏みかんを1人1個お土産としていただけたので、逆に得した気分に☆
( 近所のスーパーで夏みかん2個は398円でした )
けど、有る時と無い時があるかもしれませんので、あしからず。

邸内はスタッフさんが案内してくださるので、なかなか興味深い説明が聞けます。
そんな説明の中でも気になったのが風呂場。


浴槽?釜?が2個あるんですよ!
片方で沸かして、片方に移して調整しながら浸かっていた?
2個も同じ浴室にあるのは、初めて見ました。


ここのお風呂の天井を見上げると、空気口が。


ちゃんと換気に気を付けていたんですね〜。
古い家屋ですが、以外とトリコスポロンアサヒは無いかもしれません。


可愛いけど、ナゾだったもの。


・・・何を入れようか?
10cmくらい開けてたら、猫が入って寛いでいそうな空間です。
クッションを忍ばせておいてあげたい ← 平成10年から萩市所有になってるので、萩市に怒られます。


階段は修復されたりしたからなのか、昔のものとしては意外と緩やかでした。
2階に上がると毛利敬親サンの孫にして銀姫サンの息子、毛利元昭さんが揮毫した扁額が。


『 五松閣 ( ごしょうかく ) 』・・・そういえば釘隠しは松ぼっくりでしたよね。
川沿いに『 平安古松原 』と呼ばれる松並木が有名らしいです。
遊覧船から観るとその様子がよく分かるみたいです。

再び1階に。


レトロガラスが何枚もあって、本当に良い屋敷です♪

『 別邸 』とあるので、実際には義一さんは住んでいたわけでは無かったかもしれませんが、『 大将服 』といわれる軍服が展示されていました。
勲章ズラリ☆


日本のものばかりではなく、外国からの勲章も11個付いています。
ブルガリア王国・ポーランド・デンマーク王国・イギリス帝国・フランス・ロシア・スペイン・・・へぇ〜。
中でも寅年の私が気になったものはこちら。

※右下はダブルR・・・ロシア?うーん( ゚³゚)?

と、トラ〜!
しかも、どことなく猫っぽい!← ネコ科ですから。
これはどこの国からのものなのかスタッフさんに聞いたら

「 虎のモチーフって、だいたい中国ですよね。」

みたいなニュアンスで教えていただいたので、後に調べてみました。
『 支那共和国 』の二等文虎勲章みたいです。
七宝で、外光の5色は中華民国の五旗を表しています。
虎の上部にある星は星章と呼び、星1個は六等、2個は五等、3個は四等を表すそうです。
検索したらいろいろな軍人、文官がこの頃にいただいてて、想像してたより数はあるようです。

でも、萩市でこんな上品な感じの虎に会えるなんてビックリ!
そういえばイギリスから中国へ返還前の香港で、タイガーバームを自分用のお土産に買おうかと悩んだことがあります。
でもまだ若かったし・・・臭いが原因でやめました。
けど最近知ったのですが、蚊除けにもなるそうで!
先日、就寝中に蚊に刺されたんですよね〜。
しかも顔面3ヶ所!
顔面にタイガーバームを塗るのはマズイと思うので、アースノーマット水性リキッドをセットしました。
これで当分は蚊に刺されないハズ きらきら
他の効能として筋肉痛に効くそうなので、ネットで購入しようかな〜?
あの六角形の瓶も、虎がデザインされたパッケージも魅力的ですし。
 
萩の乱前後の1870年代頃、ビルマ・・・ミャンマー辺りで清の胡子欽により開発され、息子の胡文虎と胡文豹に製法が伝えられました・・・胡文虎の愛称が『上品な虎』だったので『 虎の香油=タイガーバーム 』と名付けられたそうです 。

今度から文虎勲章のこと、タイガーバームと呼ぼう!


アイタタタ


( だから、タイガーバームは香油でしょ?)