先週、下松市笠戸島の河津桜を観に行ったRieruです ★
風が強くて桜の花びらがヒラヒラ・・・
そういえば国民宿舎 大城の屋外にある、『 外史公園 』へ行ったことが無かったので、行ってみることに。
公園へは大城側からと第2駐車場から上がれるようです。
ちょっと階段はキツイですが、眺めが良いです♪
遊び心をくすぐられますね。
奥に見えるのは周南市の太華山で、斜め右下は『 小城岬 』のようです。
この日訪ねた時は、ちょうど潮が引いていました。
『 小城岬 』といえば以前、こんな疑問を記事に書いたことがありました。
現在の地図では左側が小城岬ですが・・・
江戸時代の地図では、右側に小城岬と記されてます・・・細かくは『 小城の鼻 』ですけど。
この地図はレプリカで、笠戸島にある『 島の学び舎 』さんに展示してあります。(ちなみに本物は『 山口県文書館 』にあるそうです)
もしかして本物は表記が反対では?と思ったのですが、先日学び舎の館長さんが “ 本物も同じ場所に表記されています ” と教えてくださいました。
え?それって一体どういうことでしょ?
たまにこういうことはあるらしいのですが、昔の地名と現在の地名がいつの間にか入れ替わったりするらしいです。
この『 小城 』と『 大城 』も新しく地図を作る時に変えられたのかもしれません。
ずっと気になっていたのでスッキリしました。
館長さん、ありがとうございました
国民宿舎 大城の奥に見えるのが『 大城岬 』になります。
昔の方は『 小城の鼻 』って呼んでいたんですね。
確かに鼻っぽいです。
この公園、見晴らしは最高なんですが、場所柄、風が強い日はお気を付けください。
階段を上がって・・・いや、すでに駐車場から見え見えの、長岡外史像が迎えてくれます。
結構な高さがあるので、見上げる感じに。
ヌン!
凛々しいおヒゲが特徴的な、長岡外史サン!
後姿も、キマッテるね ☆
このヒゲ、どれくらいの長さかというと約70cmもあるそうです。
以前、『 ほしらんど くだまつ 』という施設の1階ロビーで久保小学校さんの展示があり、外史サンの実物大のヒゲがありました。
うわぁ・・・お手入れ大変!
私も愛用してる、椿油を使ってたそうです。
良かった、唾 (つば) じゃなくって。
イテテ
( 涎・・・よだれほど要ります )
そんな日本一おヒゲが似合う外史サンのコトは、知らない方も多いようです。
私がこの日、撮影していると、観光客数人が来て・・・
「 誰かいね、こりゃあ。」
・・・・・・
「 なんか (石版に) 書いちょるけど、字がこもーて (小さくて) 読めんわい。」
・・・ウズウズ。
あ、あのう・・・この方は長岡外史といって、下松市出身なんですよ。と言っても、離縁してお母さんが末武村で出産したもんですから下松市に銅像が・・・いや、末武村は笠戸島から随分離れた場所にありますけど・・・名前も、徳山藩の藩士の養子になったので長岡姓になったんです。
と、ペラペラと語り出すイタい女。
イテテ
ああ、ダメです。
普段は物静かな私も、このジャンルになったら人が変わります。
反省したのも束の間、さっきとは別のグループさんが・・・
「 こりゃあ、なんて読むんかいね〜。が、がい?そと?・・・」
ああ、それはがいしと読みます!
日本にスキーを普及させたり、航空の父とも呼ばれてます。上越地方では外史にちなんで『スキー汁』という料理が考案されて食べられてます。下松市の給食メニューには、このスキー汁を参考に『外史汁』というのもあるんですよ〜。
ハッ!
私ったら、また!
イテテ
ハァ・・・観光客の皆さん、相当ウザかったでしょうね・・・本当にすみませんでした。
今度から気を付けます。
ふと、外史像を正面にして後を振り返ってみました。
良い感じの木が。
『 御植樹 三笠宮寛人親王殿下 』と刻まれていました。
亡き寛人親王・・・も『 ヒゲの殿下 』と親しみを込めて呼ばれてましたね ☆
“ ヒゲ繋がり ” で、ここに植えられたのでしょうか?← まさかね。
しかし、この木の名前は何ですかね?
もし、外史サンのなんちゃってガイド中に
「 ところで、あの木は何かいのぉ?」
って聞かれたらどうしよう。
・・・とりあえず近くに日立製作所笠戸事業所もあるし、気になる木と答えておこう。
アイタタタ
( 普通に「 何の木でしょうね〜?、プレートとか掛かってないからわからないです〜、ニャハ☆」と答えると思います・・・ ←いや、ニャハ☆はいらんです )