私の歴史と、透明な世界 | 「幸せのピンクのモヤ」で起こす「マジョリカスタイリングの魔法♥」

「幸せのピンクのモヤ」で起こす「マジョリカスタイリングの魔法♥」

シンデレラのような甘く優しい妄想で、「幸せのピンクの魔法」をつくり
願いが叶い続ける「マジョリカスタイリング」の魔法を手にいれる。

連日、オリンピックのニュースで賑わっていますが


私はその中で、ある事に気付きました。




ある選手が怪我から復帰し、なんとかオリンピックに間に合わせる事が出来

練習している様子に


私は、怪我の意味に気付き
この先の流れを、理解しました。



この続きは、メールマガジンでお話しさせていただきます。

これで3個のメールマガジンの宿題が出来ました。
(スミマセン、勿体付けているわけではありません!)

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ところで、みなさんは子供時代から今日まで溯り


なにか忘れられない光景は、ありますか?


私は、幼稚園時代に集約されています。

1.用紙に青い絵の具をドバッ!!と撒き手で
好きなように、グニュグニュ描かされる時間がありました。



匂いも嫌いでしたし、何よりその絵の具が爪に入りこみ汚い!
と感じて、精神的な苦痛でした。


先生にやりたくない旨伝えると
「みんながしているから、あなたもしなさい。」


と言われました。
幼い頃から頑固な私は、きっぱり「厭です。」



爪が青く染まり、きつい匂いがする体験を
2度としたくないと思いました。


誰がなんと言おうと、見学を決め込みました。



2.紙芝居を先生が読んでいる時に、どうしてもトイレに行きたくなった私は

「先生、トイレに行って良いですか?」と席を立ち、先生に伝えに行くと

「もう少しで終わるから、我慢しなさい。」とにべもなく突き放されました。



限界に来ているので勇気を出し、言いに行ったわけで
とうとう、お漏らししてしまいました…。


はやし立てる男の子

替えのパンツを履かされ
私は胸を張り「私は悪くないもん!」


両親はそんな私を
手に負えない子供のように思っていたようです。


自分の何が悪いのか
私には、さっぱり分かりませんでした。



3.滑り台を降りる時
男の子の紙飛行機が目に入り


その後、景色が白く霞んでしまい先生に話すと
「こすれば治るでしょ。」


しかし、霞んだ景色は
治るどころか、どんどん広がっていきました。



眼科に、祖母に連れられ行くと

「何故、こんなになるまでほっといたの!!
あと1日遅かったら、失明していたよ
即刻、入院準備してきなさい。」



医師に祖母は叱られ
慌てて荷物を取りに帰り


一人残された私が気付いた時は

包帯でぐるぐる巻きにされ
ベッドの上に居ました。



黒目が動くと出血するので、安静第一との事。


或る時
祖母は「ちょっと行ってくるから、待ってなさい。」


当時、祖母は
私達と同居していませんでした


両親の住む家に行ってくると言い残し
出掛けて行ったのです。


しかし、いつまで経っても祖母は帰ってこず
とうとう夜になり
それでも祖母は、現れませんでした。



視界を遮られた包帯の隙間から
夜の暗さが分かり


一人取り残された私は
不思議と、不安や悲しさを感じませんでした。


翌朝、福島から駆けつけた叔母は
幼い私が、目を包帯でぐるぐる巻きにされた姿を見て

更に、たった一人だった状況に、憤りを感じたようです。
(当時、完全看護の時代ではありませんでした。)


その時の状況を思い出すと、私を可愛がっていた叔母は今でも涙します。


祖母は、両親と喧嘩し
「もう面倒なんか見ない!!」とそのまま帰り


母は幼い弟がいるので、私のところには来れなかったらしい。


後に知ったのですが、叔母は母に
何故、幼い私を一人にしておくのかと責めたようです。


退院した日の事を、しっかり記憶しています。



退院した事を、きっと母が喜んでくれる
そう期待していたのですが
とても冷たかったので


なんでこんなに機嫌が悪いのだろう?
と、とてもがっかりしました。


今になって、その原因が分かりました。


すなわち、私は
誰にも、愛されていなかったのかもしれません。



しかし、結して悲しいとは思いません。








尊敬する
大学の教授の研究室に、遊びに行ったり

近くの教会のシスターとお話したり(キリスト教徒ではないんですが)

マイ箸、マイパジャマのあるご近所さんが、私を可愛がってくれました。



そして、幼い頃から私は

「私を私が育てて行く」と、心に決めていました

だから、一人ぼっちと感じる事は無かったのです。


大人になり、母になり分かる事は

私は幼いながらも、たった一人で
不条理と戦っていたのだと…。


私の家庭は
当時、見た目は豊かであったかもしれないけれど

人間として未熟な両親に、翻弄され続けた子供時代でした。


けれど、そんな負の連鎖は
私で断ち切らなければなりません。


そんな想いを心に刻み、子育てをしてきました。


立派な母親ではなかったかもしれませんが

私の力量の範囲で、精一杯育てて来たと思います。



「人間は一人では生きられない」
こんな定説がありますが、人と関わらずとも

人間は皆、他人に向けた言葉を発しているのです。



誰かの概念を浸透させ、指標を見出します。



だからこそ
良質の本を読む事、尊敬できる人と出会う事
自分を自分が育てて行くと、気骨を持つ事


それがあれば…

もう、なにも無くても生きて行ける


自分は一人ぼっちだと、悩む方がいらっしゃったら



だいじょうぶ、あなたが一人になる事は無いのだと伝えたい。