となりの昼ごはん
たまに、昼食にラーメンが食べたくなります。
食いしん坊万歳な僕にとっては、
やっぱり炒飯も食べたいな~と思っちゃうわけです。
中華屋に、ラーメンと炒飯のセットがあろうものなら、
即決なのです。
しかし、これ気付くのはその後。
ラーメンがメインなのか、炒飯がメインなのか
確認を忘れるんです。
写真を掲載しているお店も もちろんありますが、
実にあいまいなサイジング(涙目)
ほぼ同量じゃね?位に誇張して写し出されたその画像と、
実際に来たときのギャップは、もはや詐欺。
「ブラはとるまで分からない」
先人たちの教えを痛感するわけです。
そして次は食べ方にもいつも悩まされる。
バランス派=両方バランスよく食べていく(難易度☆☆☆)
ラー派=伸びる前に食べる(難易度☆)
ノープラン派=食べたいものから食べる(難易度☆☆)
炒派=飯は熱いうちに食え(難易度☆)
いつも無難なラー派を邁進する者が、
ふと隣を見ると非常にうまくバランス派でいなさる。
しかも、with 雑誌となれば、もう職人の風情。
雑誌に目をくれつつバサロスタート。
そして麺を一すすりいくヨネスケ的唐突さ。
そうかと思うと、レンゲは炒飯を運んでいる。早い。そしてうまい。
それも涼しい顔で機械的にやってのける、
昼食界における ピタ・ゴラ・スイッチ♪ ミニ。
気が付けば、完食。いや、漢食。
こういうこともある。
サッチャーだったか、エリザベス女王だったかは忘れちゃいましたが、
他国からの来賓を招いて晩餐会を催したところ、
フィンガーボール(出たっ!)がテーブルに用意されていたそう。
僕は一回しかお目にかかったこと無いんですけど、
それを初めて目の当たりにした来賓は、
飲んでしまいました。
しかしそこは、さすが英国。
それを指摘もせず、同じように飲んで振舞ったそうです。
サービスとは、相手をもてなす行為であって、固定ではなく常に変動しているものなんですね。
日本では
「聞くのは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と言われます。
サービスを受ける側にも、all OKではないということを知ってほしいといったところでしょうか。
ちなみに僕が一度だけ出会ったフィンガーボールは、
烏龍茶が少し入っていました。さすがに迷いました。
すぐに確かめたのは、今考えると得策だったと思っています。
飲んでもおいしかったかもなぁ
機能的→機械的→破綻
先回のチェイサーに端を発し、考えてみると
何だか諦め的サービスを感じてしまうのです。
今のサービスは少し行き過ぎちゃって(諦めちゃって)ます。
かく言う私も、サービスの過剰っぷりに失笑なところで仕事をしておりますが、
いつの間にか、サービスが様変わりしてきました。
サービスとは、いまや色んなことしてあげちゃう・・・(機能)
のが本筋になってしまって、
本来あるべき心が薄れてきているのではないでしょうか?
初めてのお客様に、
「タバコをくれ」
と言われても、140種類以上ある中からどれを選べばいいか見当も付きません。
でも、実際にいらっしゃるんです。
逆に、3、4回来られたお客様のタバコは極力覚えるように努めています。
それこそが、サービスなんじゃないかなあと思うわけです。
どんなに、色んなことが出来ても(機能的)、
ヒト(心)がそこに存在し得るようでなければ、やがて機械的になるばかりです。
双方が諦めてるようじゃあ、良くはなりません。
提供する側は、心が通うことを信じ続け、
享受する側にそれを期待してもらえるようにやっていくこと。
これが、サービスなんじゃないかなあ、と思うわけです。