コロナウィルス感染拡大に伴い、闘病中の皆さまに影響がでないことを心からお祈り申し上げます。

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あっという間にあれから2カ月も経ってしまいました。

あの日のことはずっと忘れられない。これからずっとそうなんだと思います。

 

ブログを書いていて日が近づけば近づくほど、苦しくて書き進めることができなくなってきました。

あの日から辛いことがたくさんあった中で、友人に支えてもらいながら一日一日を過ごしています。


後悔をゼロにはできないけど、後悔を減らす努力はできる。

今までは彼に対してそういう想いで寄り添ってきましたが、

これからは自分自身が後悔を減らせる人生をいきないといけませんね。

 

闘病については気持ちが向くごとに書き進めようと思います。

コロナウィルス感染拡大に伴い、闘病中の皆さまに影響がでないことを心からお祈り申し上げます。

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2019年9月末からの入院中、犬がいることもあり平日は思うように病院にいくことができないジレンマの日々。
そんな中、彼の家族と私が主治医に呼ばれました。
恐怖しかなかった…
でも主治医と話す度に恐怖をうっすら突きつけられていたので
変な免疫もできていた気がします。

10月3日、入院中の彼と彼の家族と私の3人は面談室にいました。
主治医の先生とレジデントの先生の二人に迎えられ
彼の現状の病状の説明を受けました。

この時に初めて、『髄膜播種』という言葉を聞きました。
播種といえば腹膜や胸膜かと思っていました。
ブログでたくさん記事を読んでいたから。
CT画像を見ながら、背骨に沿って周りに水玉状に点在している
癌について説明されたのです。

その日のメモ帳にはずいまくはしゅ・・・の一言しか記載していませんでした。
今は脳転移は消えているけど、髄膜播種の状態だといつまた脳に再発・転移してもおかしくないと。

それでも彼は、悪いところばかりに目を向けすぎだよ。
消えているところもあるんだから良いところにも目を向けて!
と、言うんです。

狼狽していたのは私で、彼は落ち着いていました。
本当は私が狼狽していたから落ち着かざるを得なかったんじゃないか、とか
今は聞けない彼の気持ちばかり考えてしまいます。

この入院中に背中の広範囲に放射線を行ってもらうことができました。
放射線治療も100%痛みが取れたりするわけではないですが、
彼は今まで効果が高く出ていた中、
珍しく思うような効果が出なかったのが印象的です。

面談の最後に主治医の先生に、自宅も近いしがんセンター東病院の緩和ケアの受診を
行っておくよう言われました。
それはどういうこと?もう治療してもらえないの?
先生、彼を見放しちゃうの???
彼はまだまだ頑張れるよね??

心の中ではたくさん質問をしていたけど、
実際は回答されることが怖くて何も質問できなかったのです。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

主治医とはなして9月29日(日)から入院することが決まりました。
早い方がよいと言われていたものの調整していたのは9月27日(金)。
この時間から入院しても、検査ができるかできないか。
土日は何もなくベッドに寝ているだけなら
私が入院の支度をしたり一緒にいくこともできるので、
日曜から入院の方がよい、という判断でした。

ところが彼の家族が心配して27日(金)に
胆石発作で入院した最寄りの総合病院へ彼を連れて行きました。

結果としてはよかったのかもしれない。
CTを撮ったところ、胃が動いていないと言われ
鼻からチューブを通し、溜まったものを鼻から出す処置となりました。

この頃私が感じていたのは、トイレに行くものの
尿がすぐ出ていないような様子を感じていました。

胃が動いていなかったことと直接関係があったかはわかりませんが
水分摂取量に対し、尿も結構たまっていたと言われたそうです。

痛みに関しては主に腰椎の転移が悪さをしていて
座っていることが難しくなってきていました。
鼻からのチューブが胃につながっているので痛み止めは内服ではなく座薬を使用。

近所の総合病院での入院は1泊で済み、28日(土)午前中に退院。
すぐに迎えにいきました。

この日は一日自宅でゆっくり過ごして
29日(日)からがんセンター中央病院(築地)へ入院します。

彼はここの病院のご飯はいつも美味しいと言っていました。
夜ご飯は完食できて、足りない!と言っていたくらい。

食事が摂れてほっとしたものの、
腰の痛みや足がおぼつかななど、不安要素が増えていきます。
いつまで築地まで通えるのか。
がんセンター東病院(柏)の方が断然近い。
何が最善なのかを考える毎日でした。

今回の入院の目的。
・食欲不振と嘔吐の原因
・下半身の痺れ
・全身の転移の状況を確認

30日(月)早速検査があったようです。
8月のサイバーナイフ後、脳転移は消滅していました。
内臓関連への転移も見受けられなかったようです。

少しほっとしたものの、彼からのLINEは続きます。
『とはいえ、後何年も生きられるわけではないから週単位・月単位で考えるように』

と…


そう、いつ何があってもおかしくない、それは夏くらいから言われていたこと。
厳しい現実を改めて突きつけられた瞬間でした。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

胆石発作の手術から退院して、直後にオプジーボの定期通院の予定がありました。

そしてオプジーボ翌日から緊急入院で保留となってしまった、

残りのサイバーナイフを受けに。

体調は日替わりで、自分で運転できたり、タクシーだったり友人に送ってもらったり。

 

日替わりの体調は脱水症と言われることもあったので、OS1とポカリスエットは箱買いで常備。彼の通院バッグには私がよく入れておいたりしてたな…

この頃の体調はフラフラする感じ、サイバーナイフ効果はあったものの右手が動きづらい。

 

がんセンター中央病院(築地)と並行して、がんセンター東病院(柏)の放射線医の定期通院もありました。

転移の箇所は7月に受けた骨シンチの結果と変わらず

左あばら、腰椎一番下、右骨盤(右足痺れに関係している可能性あり)

痛みがなければすぐに放射線の必要はない、他の箇所とトータルでオプジーボで対応する。

食事の摂取も日替わりで、お粥を食べることが増えていきました。

 

9月18日、2週間置きの通院オプジーボの日。

サイバーナイフ後、右手・右足の感覚は徐々に戻りつつある。

気持ち悪い日が多い。

左足に力が入らなくなってきている。

特に太ももの付け根。

右太もも付け根の膨らみ。頭皮の膨らみ。左顎リンパの膨らみ(サイバーナイフ照射箇所)。

 

気になることは多いなか、MSコンチンを1日60㎜から40㎜に減らすことができたのは

サイバーナイフのおかげだったと思います。

減らせたのは結果、一時的ではありましたが…

 

9月20日、延期してもらった介護保険の面談員の方が来てくれました。

私は仕事で不在でしたが、面談では認知症の質問ばかりされたそうです。

この時の面談の結果は要介護2でした。

すぐ必要かわからないけど、必要となってからでは遅いので早めに申請していたのはよかったと思います。

 

9月25日、MRIを撮る予定で通院を入れていました。

その時に先生に話す予定だったのは以下ですが、結果その日は動くことができず通院はキャンセル。

 

皮膚の痒み→オロバタジンあまり効かない、アレロックの方がよかったかも

嘔吐→吐気ではなく嘔吐が先週から夜中に3日程度、1回につき数度嘔吐、最終的に緑色っぽい液体が出る

腰の痛み→骨転移の影響?痛みが顕著で座っていることが難しい

 

体調は全く安定せずかなり波が出ていたので、私から主治医に連絡し状況を話しました。

嘔吐の原因が色々考えられるので一度入院して調整しましょう、と入院がきまりました。

 

こうして、胆石発作の1ヶ月後再び入院することになってしまいました。

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

胆石発作の手術を終え、無事激痛は取り除かれました。
1週間程度の入院だったと思います。

介護保険の面談もこの入院中に設定していたので

病院にきてもらうより延期しようということで日程を再調整しました。

その頃、何か他の治療や目ぼしい情報がないか、
毎日通勤時に悪性黒色腫をニュースを検索していました。

そこで見つけたのがウィルス免疫療法の治験についてです。
少し前から気になっていたけど治験の募集がある!

がんセンター中央病院(築地)では治験は待ちだったし、脳転移があったらできないと言われたけど
もしかしたらこちらで受けることができるかも、とメールで問い合わせを行いました。

それも脳腫瘍外科との共同研究だから脳転移があっても受けることができたらいいのに!!
期待ばかり膨らんでしまいました。

しかし残念ながらこの治験は東大脳腫瘍外科と信州大学皮膚科の共同研究で
先行して信州大学での募集だったようです。。

2019年8月30日に返信をいただいたものが以下です。
今はまた情報が変わっていると思いますのであくまでご参考までに。

・本治験全体は信州大学皮膚科となります。
・東大医科学研究所でも治験を実施いたしますが、まだ被験者募集の段階とはなっておらず、
 先行して信州大学で募集している状況です。
・下記のHPより治験にご参加いただける条件を満たしているかを確認しながら
 お問い合わせすることのできるフォームがございます。
 https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-hifu/doctor-led-trial/
・東大医科研病院で募集開始時は脳腫瘍外科のHPにてアナウンスします。
・ただ、募集ができるようになりましても信州大学に投与を
 お願いすることとなる場合もございますので、その旨ご理解いただけますと幸いです。

ウィルス免疫療法、その後どうなったんだろうな。。
秋くらいに主治医と話した時、そこまで効果出ていないようなこと言っていたけど。。

やはり選択肢がもっと欲しい。
もっと長く一緒に生きたかった、ただそれだけです。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

あっという間に月命日です。

最初の月命日は初月忌と言うんですね。

一人になって1ヶ月、色んなことがありました。
いつもは彼に相談していたのに、相談できる人もいない。

ついこの間まで、彼が食べたいものを訪問看護師さんがいる間に買いに行って、
街を走り回ったりしていたのに、もう目的すら失った街。
私にとってこの街は1ヶ月でホームからアウェイになってしまいました。
カラーだった街はまるでモノクロになってしまったのです。

食べたくても味覚が変わってしまった最後。
超薄味で咀嚼・飲み込みし易いくらいに野菜を刻んで煮込んだスープを作ったり、
彼も、そして私も毎日が必死だった…そんなことばかり思い出されます。

大きな手術でICUに入るために捨ててもよいつもりで買ってマジックでフルネームを書いたタオル、

結局、捨てずにずっと使っていました。
願掛け的な感じになってしまっていたのかもしれません。
今度は使うことができない、思い出のタオルになってしまった。

この3~4ヶ月でベッドで寝た回数なんて数えられるくらいしかない…
ただ、それが辛いわけではなく、ただ寂しい。

いまだに寂しくてベッドルームで寝る気が起きず、
彼が最後まで闘病したリビングのソファーで愛犬と寝る日々が続いています。

自分のマンションに帰ったらベッドで寝られるんだろうな。
彼と過ごした部屋ではないから、、辛さ・寂しさと向き合わなくて済むのかもしれません。

現実逃避ってかもしれないけど、自宅マンションは犬も飼える環境。。

いつも一緒にいた、しょっちゅうLINEしていた私たち。
愛おしくて、寂しくて…

在宅医療になってから、彼と見ていたアフサラ
こんな緩いアニメなのにやっぱり見られない…
会社に戻りたかったよね?また働きたかったよね??

余談ですが、がんセンター中央病院(築地)には
家族ケア外来があるって、最近知りました。

一緒に通院しているときは気が付きもしなかった。
今はグリーフケアとか、色々な形がありますね。
ありがたい現代ながら、必要経費も多いのでそんな贅沢もしていられない。。

寂しくてふいに彼とのLINEを見返してしまう。
2017年12月上旬手術の際、私は人生最大の激務だった。プロジェクトが大きすぎた。。
全く仕事が終わらず、病院にお見舞いすらいける時間をつくることもできず
最近と違って在宅で仕事ができる環境も整っていなかった。

彼は寂しかったんだな、、別れるつもりもないのに
そんな素振りでLINEしてきていた。
翌日は普通だったりして、当時の彼がとても不安だったことをすごく感じてしまう。

プロジェクトが落ち着き、本格的に闘病を支えるようになってから
そんな素振りを見せることはなかったから、
私がいたことで彼の不安が少しでも払拭できていれば、それでいい。。。

 

決して一緒にいる時間が長かったわけではないかもしれない。

でもとても濃い時間を過ごして毎日、大切に大切に想って彼の意思を常に尊重し続けた日々。

 

『もっと早く出会いたかったね』って。

いまになって明らかになる彼の想いに涙が溢れる日々ですが、前を向いていかないとな。

 

激しい腹痛の原因は、胆石発作でした。

私は皆様のブログなどの情報から腸閉塞を疑いましたが、全く別の原因でした。

 

CTを撮ったあとに救急担当医が言った言葉は
『癌だらけじゃないですか!とても切れませんよ!!』
彼と私は困惑と怒りしかありませんでした。


それでもとにかく痛みを抑えなければいけません。
通常の痛み止めは常用している医療麻薬のせいで全く効きません。

痛がり苦しんでいる彼を目の前になす術もない辛い時間が続きました。
日曜日の夜中ということもあり、強い薬を出せる医師がいなかったのです。

3時間か、4時間くらいして強い痛み止めを処方できる医師が来てくれました。
朝9時を回ったくらいに外科の先生が来て下さいました。
おかげで痛み止めはなんとか効いてきたようです。

ようやく効いた痛み止めでグッスリ寝たので一度帰宅して入院の準備をして
また病院に戻りました。

翌日の月曜、がんセンター中央病院(築地)の主治医と

緊急搬送された病院が連携してくれたおかげで胆嚢全摘出術を受けることができました。
 

搬送された病院の院長が元がんセンター中央病院(築地)にいた経験もあり
なんと恵まれているんだろう!と感動しました。

胆嚢を取ったはいいけど、摘出してみたら癌が胆嚢にも転移していたことがわかりました。
胆石が癌の転移を教えてくれたのかな。

救急担当医は切れないって言ってたけど、切れてよかったね。
よかったんだよね。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください
 

毛色の違う話です。

 

今、再放送で放映している白い巨塔、
通常放送でやっているアライブ。
ご存知の通りいずれも癌や病院がテーマになっているドラマです。

アライブも見てはいますが、私は白い巨塔をリアルタイムで見ていた年齢。
当時、癌のことを全くわかっていなかったことをすごく感じながら
涙を流しつつ見ています。
財前教授…

そして、白い巨塔のテーマソングになっているアメージンググレース。
この曲が好きになったのはこのドラマからだった気がします。

聞くだけで胸が締め付けられます。

当時の夢は結婚式でアメージンググレースとアベマリアを流すことだったな。。

 

夢は叶わなかったけど、今は癌という病気、闘病の辛さ・大変さを

多くの方に知ってもらいたい。

私が役に立てることはないか、綺麗ごとかもしれませんがそんなことを考える日々です。

2019年8月、膝下が動きづらさと右手の力が入りづらいことを主治医に話します。
すぐに検査を行うことになりました。
ここで、『脳転移』が発覚したのです。
小さなものだったこともありサイバーナイフの治療予定を組みました。
脳以外にも増大していた顎のリンパ、その他各2箇所ずつ5日間、合計10日の通院予定となりました。
足の動きが悪いことでさすがに大好きな運転も控えるようになりました。
病院までタクシーで往復して治療を行いました。
私が運転できれば力になれたのに、教習所はようやく第二段階に入ったころでした。

脳転移が見つかった時に主治医から、心肺停止時の蘇生行為に関する意思確認書のサインを求められました。
今後いつ何があるか、わからないです。と。

私はこの書面が受け入れづらく、あとから撤回できますか?と食い下がりました。
彼は蘇生行為は希望しない、とサインしていました。

緩和ケア医からは今後のことを考え、早めに介護保険を申請しておいてもよいと思うと
お話がありました。
介護保険の力を借りるところに来てしまったという現実、、
でも必要になってから申請するのでは遅いから、できるだけ早めに行おう!と
2週間後くらいに市役所に行って申請を行いました。
この申請は配偶者・家族ではなくパートナーでも問題なかったのでスムーズでした。
面談の日まで決めて帰宅しました。

サイバーナイフも残り2日くらいになった週末の夜、
お腹が痛いかも、と言われました。
痛いかもだったのが、しばらくすると『痛い、痛い、痛てぇぇぇぇぇぇ!!!』
いつもと全然違うところを痛がってるし、明らかに様子がおかしい。

念のためがんセンター中央病院(築地)に電話し、症状を伝えて
今回は近くの救急病院にまずは行きましょうということになりました。
夜中、私の人生で2回目の119を呼びました。
彼の罹患している病気について1から説明して、今回痛みの様子が違うことまでを伝えました。

その後、当番病院だった最寄りの総合病院に搬送されました。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

彼のスマホに残されていたゴールデンウイーク後の体調メモです。

GW前から体調はいまいち、4月30日に入れたオプジーボ・ゾメタ以来高熱・固形物が喉を通らない
飲み物を飲めばすぐ嘔吐、転移した骨が痛すぎて全く眠れず。


ゴールデンウイークの緊急入院から本格的に医療麻薬が処方されるようになりました。
・MSコンチン10㎎ 1回2錠 1日2回12時間おき
・レスキューはオプソへ変更(オキノームは上を向かないと飲めず頸椎痛む)

医療麻薬が本格的になってくると心配なのはお通じです。
マグミットとセンノシドが処方されるようになりました。

10日程度で退院し、早速楽しみにしていたワンちゃん候補に会いに!
毎日お目当てのペットショップへ行き、巡り合ったようです。

その週末、ペットショップに誘われました。
『この子!』可愛い…本当に可愛い…

先のことは不安でも彼が幸せなら、という思いでした。
今はこの子が辛い気持ちを支えてくれている大事な家族です。
彼は私が一人になったことも含めて考えていたのではないだろうか、と思う今日この頃です。

6月頃、彼は右足の痺れを言い出しました。
私は彼の役に立ちたいと一念発起で教習所に通いだしたのもこの頃です。
毎週末、朝から通い昼に戻り昼ごはんを一緒に食べて、午後また教習所に行くような週末が続きました。

彼の体調は悪く、コンチンの量を増やしても痛い日が続き、
オプソも1日5回くらい使うほどに。

会社から帰宅する時に自宅マンションを見上げてもリビングが暗い日々が増えました。
あぁ、また痛くて動けなくてベッドルームにいるんだな。。
LINEもなかなか既読にならないことが増え、会社にいっている間も不安でした。

8月になり膝下が動きづらさが顕著となり、左腰が熱い、顎のリンパにできていた腫瘍は明らかに増大、
皮下腫瘍が頭皮に増え右手の力が入りづらいといった症状が起きていました。

 

オプジーボは2週間に1回のサイクルで投与していましたが、

効いていないのか、効いていてこれなのか、、

他に治療法はないのか、光免疫療法は?

ウィルス免疫療法は???

 

がんセンター中央病院(築地)の皮膚科ではウィルス免疫療法の治験をすすめていました。

ただ、その治験を受けられるまでには時間がかかる、要件を満たさなければならない。

一縷の望みのように思えて仕方ありませんでした。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください