毎日毎日彼を想う日々…
辛いことに向き合えなくて、心のよりどころを求めているんだと思います。

先日はオステオパシーを受けてきました。
オステオパシーを知ったのは彼が通っていたお寿司屋さんの店主さんに話を聞いたから。
これもご縁。
近所で施術しているところを見つけられたので、そこを予約し、
色々な話しを聞くことが出来、施術も受け、納得の時間を過ごすことが出来ました。

大事なことは、
   ・口から摂取するもの
   ・運動
   ・姿勢
だそうです。
お腹が空いていないのに無理に食べてました。
食べないといけない気がしてしまって。
でも話を聞いてちょっと止めてみました。
お腹が空いてから食べたいと思ったものを食べる、それが体が求めているものだから。

それと同時に彼にもっとできることはなかったのか、ということばかり
考えるようになってしまいました。

答えは全て自分の心にあると思っています。
ただすぐに前を向けないだけ…

新盆だというのに何もできない。
何か儀式的なものは葬儀を思い出してしまって辛くて受け入れられない。

私が続けているのはお花を生けることと
彼が大事にしている駆動方式手巻きの腕時計を振って動かすこと。。

もう5ヶ月も経ってしまいました。
闘病を支えていた5ヶ月と、一人になってからの5ヶ月、時間の経過の仕方が全然違うんです。


いつも一緒にいたかった
となりで笑ってたかった

季節はまた変わるのに
心だけ立ち止まったまま…

歩けなくなるとはどういうことか、私はわかっていませんでした。

それを教えてくれたのは緩和ケア病棟の看護師さんたちでした。

 

色々な介助が必要になることを、ことあるごとに教えてくださいました。

具体的なやり方から介護は一人で抱え込まないことなど、心構えまで。

 

入院している限り、先生もいるし看護師さんもいる。

でも自宅に帰るということは、訪問医・訪問看護ステーションになるので常にいるのは私。

 

定期的に先生や看護師さんと1対1で会話をし、色々なことを教えてもらいました。

それに対する私の覚悟も話しました。

 

とにかく入院中に練習するしかない。

大人の男性をベッドから車椅子に移乗させるコツ、着替えさせ方、色々なお手入れ。

知らないことだらけでした。

 

私はそれを楽しみながら受け入れて彼を全面的にサポートしました。

くだらないことを話しながら、笑いながら!!

 

介護っていう言葉はあまり使いたくなかったかな。

歩けなくなっちゃったけどいつも通り一緒にいるだけだと思っていたから。

サポートは必要だけど、介護より介助のほうがしっくりきました。

 

体調に関しては、医療麻薬がなかなか効かない痛みが続いている箇所があり、

そこに対して放射線をあててもらえることになりました。

これはビックリするほど効きがよく、痛みから解放された彼は笑顔が増え、

食事も食べられるようになっていきました。

 

口からの摂取ができるようになってきたから、そろそろ点滴の数を減らしていきましょう。

と、内服薬への切り替えが始まります。

始まって数日、しばらくなかった吐き気が彼を襲います。

 

内服薬からすぐに点滴に逆戻りです。

体調を見ながら少しずつ内服に戻すように微妙な加減で調整してもらいました。

吐き気は落ち着き、再び内服への切り替えが進みました。

残すは痛み止め。

在宅でも痛み止めの持続点滴は可能といわれていましたが、

できるだけ内服に切り替えられたほうがよいので、

彼もそれにこたえ無事全てが内服に切り替えられました。

 

在宅では病院のようにナースコールはないし、点滴をこまめに変えることができません。

訪問看護ステーションは1日に何度も何度もくるのは難しいから

自宅に帰るにはとにかく内服薬する必要がありました。

 

すでに緊急入院から2週間くらい経っていたと思います。

そのころ、彼はだいぶ元気が回復していました。

車いすに乗せて、しょっちゅう庭にお散歩にでかけました。

看護師さんに、またいないー!って言われながら。

緩和ケア病棟では一番元気な患者だったと思います。

 

主治医の先生からは、認定をとっていた要介護2の状態ではないかもしれないから、

再認定をしてもらうとよいと勧められました。

彼が休んでいる間にパソコンで資料を作成し、近くのコンビニで印刷し

院内のコンビニから郵送しました。

 

郵送後まもなく役所から連絡が入り、病院で面談を行い

要介護2は要介護4に変更となりました。

 

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

 

 

 

彼がいなくなって4ヵ月強。

仕事に復帰させてもらい、新しい機会にも恵まれ、感謝から始まった異動の直後
コロナの影響で在宅勤務。

彼が飼いたいって我が家にきた愛犬。
そりゃもう子供同然で可愛くて仕方ない。
いたずら盛りの子犬をお留守番させることなく一緒にいられるのは嬉しい。
だって今まで寂しい思いさせてしまったこともあるから。

それなのに、なんか私は燃えカスみたいな感じです。

一年前、二年前…彼といた時間ばかり思いを巡らせてしまって。
時間が経てば経つほど向き合えなくなってきている気もします。

 

ブログを書くことで何かが解消されるかと思っていたけど

ブログを書き進めていくことでブログの中でもう一度彼とお別れすることになることが辛かったり

書き起こすことでそのときの情景が蘇ってきて嬉しかったり。
睡眠と食欲は改善できたけど、とにかく寂しくてたまらない。

彼には栄養のあるものを!って
有名なにんじんジュースをはじめスロージューサーで色んな飲み物を作っていたけど
今はなーんにもしたくない。
自分のために頑張る気力は皆無。

ねぇ、大丈夫だけど、大丈夫じゃないよ!!!
ずっと一緒って言ってたじゃない!
私が病気になったら誰が面倒見てくれるの!?
僕がみるよって言ってたじゃない!!!

コロナが少し落ち着いて新規外来を受付始めたので家族外来を予約しました。

病院に到着し、まずは彼がお世話になった主治医の先生にご挨拶したくで院内から電話。

突然の訪問にもかかわらず無事お会いすることができました。。この時点で涙腺崩壊…。

 

そして家族外来へ。

『辛いくて当然です。まだまだ辛いと思います。無理しない。眠れて食べられればそれだけでよし。』

私が気にかけていたことは、『今は気にしない!』と、優しく優しく励ましてくれました。

今の気持ちをたくさん話してたくさん泣いて、こういう場って大切だなって思いました。

 

でも冷静に考えると、盛大にのろけてきたみたい!!
 

彼は目を覚ましてくれましたが立ち上がることができる状態ではありませんでした。
目を覚ます前か後かは覚えていませんが歩くことはできないかもしれないと言われました。

私は彼が歩けても歩けなくても生きていてくれれば、命さえあればという気持ちでしたが
彼はすでに左目を失い、嗅覚を失い、更に歩くことができないなんて
予測はされていたことではありますが、ショックに違いない。。
私は明るく振舞いました。

緩和ケア病棟にいることはこの時点ではわかっていなかったと思います。
個室だし、部屋からの庭の景色もよいし、何よりも家族が泊まることができる。
私はこの日から毎日泊まりました。
病棟のシャワーがどうしても使う気持ちになれず、2日1回マンションに帰宅し
身支度を整えて病室に戻る生活が始まりました。

さて、彼の今回の体調に関しての原因究明が始まります。
どうやら医療麻薬が強すぎたのではないか、という判断でした。
そこで痛みの種類を分類し、細かくお薬を調整していただくことから始まりました。
痛みの薬の調整は入院していないと難しいと、心底思います。
痛い=増量ではこういうことが起きてしまうからです。

今までは外来の時は痛みが強い=MSコンチンを増やす、メサペインを併用するなどの対策でしたが
この入院で骨の痛みは医療麻薬よりロキソニンやカロナールの方が効くと。
これは初めて言われたことでした。
まずは全て点滴での投与です。
口からの摂取がまだ不安だったから。
医療麻薬はポーチに入った点滴がお腹に針を刺してつながりました。
痛みが強いときはフラッシュして落ち着かせる。
フラッシュを連続するときもありました。

薬の調整をしつつ、我らが向かうべき道を模索し始めました。
彼は入院は嫌だ、というタイプです。
今までたくさん入院してきたから、できるだけ自宅で過ごしたい、いつもそう言ってました。

その意思を尊重すべく、自宅に、マンションに戻ることを目標として
各種調整が始まりました。
目標が決まればそれに向かって頑張るしかない!

薬の調整は素晴らしかったです。その代り種類は多岐にわたりました。
医療麻薬以外は下記の通りです。
抗鬱薬(※)なども入っていますが、
制吐療法に効果があるということで処方されたものになります。

・スインプロイク
・酸化マグネシウム330
・センノシド
・サインバルタ
・ネキシウム
・プレドニン
・オランザピン(※)
・カロナール
・コントミン
・トラベルミン
・イーケプラ


私は彼の体調の様子を見て、11月上旬に教習所を卒業したあと
行くことができなかった免許センターへ行き試験を受けて1発合格!
これは彼も喜んでくれました。
半年弱、頑張った甲斐があったな…喜んでもらえることができて本当によかった。

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

眠りについた彼にはいろんな管がつながれました。
尿管を挿入したらあっという間に1リットルくらい排出。
ポコンとしたお腹があっという間にまっ平らになりました。

勝手な想像で腹水かと思っていましたが
どうやら、尿が出づらく溜まっていたのが原因だったようで少しホッとしました。
それもおそらく転移の関係でしょうと。
もう転移している箇所は全てを言うことができないくらいになっていました。

緊急入院した夜、彼はまだ目を覚ましませんが痙攣発作がおきました。
怖くて心配で、でも近くにいるしかできなくて。
すぐに落ち着きましたが、てんかん発作のお薬『イーケプラ』の点滴を行いました。

緩和ケア病棟は家族が同じ部屋に泊まることができるので
そのまま、ソファーで休みました。

私はその日は緩和ケアの初診のつもりだったので有給をとっていましたが、
会社に行ける状況ではなくなり、
全てを話していた上司に連絡をし、しばらく休ませてほしいと、そして入籍をしたことを連絡しました。

本当に激しい(?)部下で驚かせてしまったかもれません。。。

その日の夜、心配で不安で落ち着かない時間を過ごしました。
前の日もあまり寝ていませんでしたが、その日もゆっくり休める状況ではありませんでした。
朝を迎え彼はまだ起きません。

時間が少し経った頃、目が動いて少し反応しているような気がしました。
絶対に起きてくれると信じて、定期的に話しかけていました。

月曜に緊急入院して、火曜の夜だったでしょうか。
彼は静かに、突然眠りから目を覚ましてくれました!!


静かに声をかけて混乱しないように穏やかに話したと思います。
彼の意識は正常でした。
混乱もしていませんでした。
心からホッとした瞬間でした。
メラノーマ20年選手です、やっぱり彼は奇跡の男。

翌日の朝の回診で、緩和ケアの先生がみんな嬉しそうにしてくれました。

前日までみんな深刻な顔していたのに、完全に顔がほころんでいます。

先生方のそんな笑顔にも癒されました。
私も本当に心底嬉しかった、また彼と話しができる、混乱も落ち着いて
いつもの彼にようやく戻ったのは水曜日でした。

 

緩和ケアの病室から見える外の景色は紅葉が色づいている頃でした。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください


 

コロナウィルス感染拡大に伴い、闘病中の皆さまに影響がでないことを心からお祈り申し上げます。

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3回目の救急搬送になった朝、それは2019年11月18日(月)、
がんセンター東病院の緩和ケアの初診予約をしていた日でした。

紹介状と画像データと常用している薬と簡単な着替えを持ち
救急車に乗り込んだ私は救急隊員の方に泣きながら状況を説明し、
がんセンター東病院に連れて行ってほしいとお願いしました。

私も必死過ぎて記憶があいまいですが、病院に電話して確認していたと思います。
診察券などを見せたような記憶がなんとなくあるくらいで
担架に乗って様子のおかしい彼の手を握り、
どうなってしまうのか全く想像もつかな状況でした。

病院について救急対応をしてくれる診察室へ。
ここは2019年のGWに一度連れてきて点滴と座薬の痛み止めをしてもらった診察室で
見覚えがある場所でした。

彼は診察台に寝かされるけど暴れていて洋服を脱ごうとしている。
意思疎通が取れる感じではなかったです。
何かに抵抗しているような感じで彼もパニックだったのかもしれない。。

その間、私は緩和ケアの先生と向き合っていました。
紹介状と画像データをお渡しした先生は静かに言いました。
『緩和ケアに入院するということは治療を行わない、ということになりますが
 それでよいですか』と。

良くないです。でも今、誰を頼ればよいのでしょう。
皮膚科で何とかしてくれるのでしょうか。
がんセンター東病院の皮膚科は常駐医師はおらず、
中央病院から週1回くる形のため皮膚科でお世話になるこは東病院ではできなかったのです。

『お願いします…』

彼が回復してくれるのか、このままコミュニケーションが取れなくなってしまうのか
全くわからない状況で私はこう言う以外なかったのです。

早速、緩和ケア病棟に入院の手続きをしてくださいました。
緩和ケア病棟は面談してから入院待ちになることが多いとブログ記事でも読んでいたので
すぐ入れてもらえたのは非常にありがたかったです。

看護師3、4名で暴れる彼を押さえ、鎮痛剤だったでしょうか
落ち着く薬を注射したと思います。

病室に移りようやく彼は落ち着き眠りにつきました。
先生からはてんかん発作の可能性があると告げられました。
目が覚めるかもまだ現状ではわからないと。

思い出しながら書いていますが、
たぶん私も本当にパニックだったんだと思います。
記憶が途切れていることに今更気が付きました。。。


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入籍した週末、それはまさに『病める時も、健やかな時も』で言えば
病めるときでしかありませんでした。

週明けにがんセンター東病院の緩和ケアの初診予約を入れていたこともあり
その前日に最寄りの総合病院を退院。

この入院で改善されたことは何もなかった気がします。
吐き気との戦い、鼻から胃までチューブを通し、
緑の液体を吸出し続けた1週間。

足の動きも弱くなり、二人がかりで支えながら
車で連れて帰りました。

自宅に帰ってからも、なんかいつもの彼ではなくて
言いしれぬ不安を感じていました。

いつもなら自宅に帰るとホッとして落ち着くはずなのに、
なんかソワソワしている。

この日は様子があまりにおかしかったので状況を記録していました。
ほぼ1時間おきに、痛い、トイレ行きたいと言っていました。
痛み止めは座薬で、トイレは体を支えながら一緒に行く状態。
トイレに行ってもやっぱりお小水は出ない。。

少し寝たかと思えばすぐ起きて、ベッドからソファーに行きたいという。
不思議なソワソワ感が夜通し続きました。
元々睡眠欲が強い私は眠くて限界でした…

彼をソファーに連れていき、私は床で休んでいました。
その後も彼はソワソワしている。
明らかに様子がおかしい。

これが『身の置き所がない』という状態なのか。

彼の兄妹が近くの実家で待機してくれていたので明け方連絡をして来てもらいました。
到着して状況を話し、私が犬にご飯をあげていた時
バタン!と凄い音がしました。
振り返ると彼が倒れていました。

声をかけても日本語ではない言葉を話している…
目線もあわない、でも彼は悲しそうな目をして少し涙がでているように見えました。

慌てて救急車を要請。
やっぱり3ヵ月置きにきてしまった、また救急車にお世話になる。

彼は痙攣をおこしていました。
支えるのを兄妹にお願いして、手早く入院の準備をし救急車を待ちました。
彼が常用している薬を全てまとめ、携帯の充電器…

彼と意思疎通が取れない状況に私もパニックで泣きながら救急車に乗り込みました。


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彼からの入籍の話し、そして私の親の承諾を得て気持ちは少し軽くなりました。
仕事帰りに市役所の出張所に立ち寄り婚姻届をもらって帰りました。
『届をもらってきたよー』って言ったら、彼は笑っていました。
いつでも出せるようにしておきたかったけど、何が必要なのかを調べるところから。
『入籍』という言葉で言えば女性として、それも初婚であればウキウキなところですが
実際はそんな状態ではありませんでした。

たまたまかもしれないけど5月・8月と3ヵ月毎に救急車を要請する事態が起きていたから、
11月はなんとなく不安でした。

以前、主治医に言われた通り紹介状と画像データを入手したのでがんセンター東病院の
緩和ケアの面談の予約を入れました。
余裕をもって、のつもりでした。

ただ、彼は相変わらず食欲はなく、吐き気もあり尿の出が悪い。
夏頃から足に力が入らないことで杖を使っていましたが、
片杖から両杖にするほど足に力が入らなくなってきていました。

一方私は11月9日(土)に6月末から通い始めた教習所の最終試験が待っていました。
大人になってテストって本当に嫌ですね。
子供の頃から苦手でしたが、とにかく忘れないよう猛烈に叩きこみました。
当日は朝から教習所に行って模擬試験を解きまくりました。
彼のためにも時間を無駄にしたくなかった思いもあり必死でした。
そして、試験は甲斐あって無事卒業!!
彼の喜ぶ顔を見ることができて嬉しかった瞬間でした。
あとは免許センターの試験を残すのみ。。
この時点で私は東京都民だったためどこで受験するかを悩んでいました。

11月11日(月)がんセンター中央病院の予約日。
私は仕事が休めず、彼の兄妹が病院へ連れて行ってくださいました。
予定通りオプジーボを点滴し帰宅しましたが、体調はよくなさそうでした。
副作用なのか、転移のせいなのか。

彼の体調はまたもや下降気味。
吐き気が止まらずベッドから動けず。

11月12日(火)夜、私が仕事から帰った時点でもあまりにも良くなく
胆石でお世話になった最寄りの総合病院の夜間受付で対応してもらうことになりタクシーで連れて行きました。
入院を予期して軽い準備を持参していましたが、案の定入院になりました。

原因は特定されないながらもやはり鼻チューブになりました。
腸閉塞ではないのに、何が起きているか不安しかありませんでした。
口からの摂取も難しい状態になりはじめ、痛み止めレスキューもは座薬も処方してもらいました。

毎日仕事帰りに病院に行きました。
お手洗いに行くのに立ち上がりからサポートして
歩行器と点滴棒につかまりながら行くもお小水は出ず。
何度か繰り返しようやく出る、といったことを繰り返しました。

明らかに今までと様子が違ってきていた気がします。
会話はできなくはないけど、なんかそわそわしていて落ち着かない彼を
不安と共に見守る日々を過ごしました。

11月14日(木)夕方、仕事中の私はがんセンター中央病院の主治医に
彼の状態を連絡しました。
先生は、『早く東病院で緩和ケアの受診をしてください』と。。
もう今までみたいに立て直しをしてくれないんだと悟りました。

その週末に婚姻届を出し夫婦になりました。


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2019年10月中旬、彼は退院。
私は下期が始まったばかりで仕事が忙しく休みが取れず迎えにいくことはできませんでした。
タクシー代より体調を!ということでUberで車を呼んで安静に帰宅。

タクシーより割高ですが、車があまり揺れたりしないのでしんどくない、ということで

体調優先で過ごしていました。

自宅に帰りまた、日常に戻りつつある中、とある日の夜寝る前に彼といろんな話をした夜がありました。
大抵、私は疲れていてベッドに横たわった瞬間に寝ていましたが、その日はそこまで眠くなく一緒にお喋りしていました。
翌日も会社だから寝たいけど、たまにあるんです。
妙にベッドで真剣な話しをする夜が。

その時の話しは入籍についてでした。
正直驚きました。
もっと前、もっともっと元気だったころ、何度それを願っていたことか。

でも体調が悪くなり、そんなこととても言ってられない状況はありつつ、
入籍して配偶者になったほうが色々な手続きやサポートがし易くなることもわかっていました。

彼なりの想いがあり入籍の話しをしたのです。
私は即答できませんでした。
自分のマンションを維持している状況で、それは私の親のマンションで親に家賃を払っている。
親にはあまりマンションに帰宅できていない状況を説明することが申し訳ないと思っていました。

それから1週間、2週間たくさん考えました。
そして勇気をだして久しぶりの実家に帰宅した際に全てを、本当に全てを打ち明けました。
これまで心配をかけたくないという想いが強くて言えなかったこと全てを。

 

私は親の言うことより自分の意思を貫いて
責任は自分で取るというスタンスで生きてきました。
家族はそんな私の性格をとても理解してくれていると思います。

彼がそこまで考えてくれているなら、
精一杯支えてあげなさい!!
たくさんたくさん優しくしてあげるのよ!!!

号泣しました。
家族の前でこんなに泣いたことないくらい泣いたと思います。

本来であれば彼を一緒に連れて行って挨拶するのが一番なのですが
彼はその時点でそういう体調ではありませんでした。

体調が良いときにビデオ通話で挨拶させてね。
と言って、その日は彼のマンションに帰りました。


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10月3日(金)、オプジーボ17回目と主治医との面談を終えて。
その日の夜は病院から愛犬の待つ彼のマンションに戻り、軽く仕事を片付けてソファ―で寝落ち…。

愛犬の見守りのために監視カメラを接続しているのですが、
これは愛犬以外ももちろん写るので、私がソファーで寝落ちしているのが
入院中の彼にもバレバレ…
私だって彼が自宅にいるときに大丈夫かなーって愛犬だけではなく
彼の状況を見ていたけど、お互いさま♡

この頃の彼は左耳が聞こえづらくなっていました。
左眼球摘出後、再発により大きく開いたことで影響があったのか、
鼓膜が破れているとの診断でした。

10月4日(金)、午後は放射線の予定が入っていました。
8月に受けたサイバーナイフはマスク装着だったので、断然楽だったと。
この日も仕事が終わってから病院に行きました。
会えるだけ会いたいって思っていた当時の気持ちが蘇ります。

10月5日(土)、外出許可をもらって彼が一時帰宅します。
私の教習所は第二段階でまだ運転できないのでタクシーで帰ってきてもらいました。

10月6日(日)、甥っ子の運転で病院に送ります。
1日でも家にいる時間、家族といる時間ができてよかった。。
甥っ子くんと私はまた車で戻り、帰宅は夜。
まだ幼い愛犬を散歩に連れ出て、あやして、そこから少し仕事を。

その夜、彼から珍しいLINEがありました。
いつも私に感謝している。
毎日むかつくことばかりだと思う。
けど、我慢して付き合ってくれてる、と。

我慢していることは、なくはない。
でも一緒にいたいから。でもそれはお互いに誰しもあると思うんです。
彼に喜んでもらいたいから、本当に一日一日を大切に刻んでいたと思います。

この人との時間を大切にしたいと。

体調に関しては気持悪さが収まっていませんでした。
足の痺れもかなりあったみたいです。
先生方のお話しだと、化学療法もやって放射線もやっているんだから
気持悪くなっても当たり前だと。
痺れの対策としては、リリカが初めて処方されました。

この段階で退院まであと数日。
お薬は、
MSコンチン30㎎  1日3回
リリカ 朝・晩
スインプロイク 1日1回(朝飲んでいました)
コートリル10㎎ 朝3錠、夕1錠
マグミット330㎎ 食後3回
センノシド 寝る前(お通じの状況見つつ)
レシカルボン坐剤 内服ができない時用の痛み止め

この入院は放射線はやっていただけたものの
抜本的な解決につながるようなことがなく
もやもやとしたまま退院になった記憶です。

10月もまもなく中旬にさしかかろうとしていました。
私の中では5月・8月と3カ月おきに救急車にお世話になっていたので
近づいてくる11月に怯えてながら日々を過ごしておりました。


※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください