6年振りの日本帰省 45 我が母と姉一家の話 ⑨ 母は『やっぱり母』でした ㊦ | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

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 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

 

   実は持ち込んだ「荷物」はその日、母に会う直前に会っていた姉から「お土産」として貰った『焼海苔』の束だった。

 

  (姉が「そういうこと」をしてくれたのも初めてだったのけれど!)

 

 

  そのド真ん中を鷲掴みにしょうとして来た母。

 

 

 

  正直、内心は相当焦った。

 

 

 

  ……いや、内容物を知られるという事よりも、折角の『焼海苔』が粉々にされる!……ということに対して!🤣

 

 

 

 

  とにかく。

 

 

  何度も言うが、「そういうこと」に対しては本当に『異常』と言える程の執着がある母。

 

 

 

 

  しかし、それは「私」=娘という人間に対する『興味』でも『好奇心』でも、ましてや『愛情』などではない、ということを私は今回、心から確信することになる。

 

 

 

  ああ「コノ人」は、完全なる

 

  「カマッテちゃん」

 

   =自分の思い通りにサエなればいい!

 

  …というヒトなんだな……と。

 

 

 

 

  二日目、法事(=寺参り)の時のこと。

 

 

 

  朝、先ず姉夫婦が母をケアハウスに迎えに行き、その足で私のホテルに来てから寺に直行。

 

  前日から姉の家に滞在していた甥っ子一家と、姪っ子夫婦はそれぞれ時間を合わせて寺で合流。

 

 

  「寺参り」を済ませた後は皆でお昼を会食し、その後は再び姉夫婦がケアハウスに母だけ送り届けた。

 

 

 

  その日一緒に過ごした母は、朝の挨拶以外で私に話し掛けて来る事は一切なかった。

 

 

  食事の時も、色々な都合で別テーブルになったという事もあるかもしれないが、母は一緒のテーブルに座った姉と姪っ子夫婦相手に最初から最後までずっと『独演会』。

 

  (姉曰く「ず~っと喋っていても(自分が注文したものは)しっかり全部食べてたよ~!」)

 

 

 

  直ぐ横のテーブルに居た私と甥っ子一家、義兄に声を掛けることは見事に一度も無かった。

 

 

 

  「自分にカマッテくれるヒト」

 

 

  …もっと言えば、

 

 

  「自分の思った通りに

 

   カマッテくれるヒト」

 

 

  …さえ「自分の目の前」に居てくれれば、6年振りに会う実の娘も、初めて会う曾孫も、心にも視界にも入らない。

 

 

 

  と言うよりも、結局

 

  「自分以外」には興味もない。

 

  「そういうヒト」なんだな~、と。

 

 

 

 

  しかし。

 

  

  今回、私が「行って良かった」と心から言えた、最大の理由がここにある。

 

 

 

  「アノ人」と接する時間が極端に少なかった。

 

 

 

  つまり『毒』を浴びる時間がそれまでの「帰省」より格段に短かった。

 

  先に書いたような、朝から晩までの『毒』……それを滞在前半だけとは言え、連日浴び続ける必要が無かったのだから。

 

 

 

  だから余計な「疲れ」が溜まることが無かったし、その後のスケジュールも心から楽しむゆとりが出来たのだな……と、今も心から思う「親不孝者」なのでありました……!