母の「帰省命令」が出た理由は、もちろん
「コロナで出来なかった父の法事」
…を行いたい、というのが「表向き」の理由だった。
実際日本で「コロナ規制」が基本解除された後も、特に北海道の高齢者用施設では細かい規制が中々解けなかった。
もちろん各地、各施設でそれぞれの差はあっただろうが、長く『高齢者マンション』で過ごしていた母が右手首骨折からの入院となった途端に
「『あんな所』に帰りたくない!」
…と言い出してから『リハビリ専用高齢者施設』を経て今の施設……正式には『介護付き有料老人ホーム』となるそうだが、まあこちらで言う『ケアハウス』に入居してから今年で既に三年目。
「ああ、
『退屈』になって来たんだろうな」
…姉から母の『指令』を最初に聞いた時の私の感想。
今現在の場所に移転する顛末を記したこのシリーズ?でも書いたように…
…散々繰り返された、母の『行動パターン』。
『ハイ』の時期は過ぎ、「平凡な日常」になった時、自分で自分を楽しませるような趣味や思考を持たない(ことすら自覚していない!)人間は、次に「ヒトのせい」にするネタを探し出す。
「『姥捨て山』で日々を過ごしている」
…と言われたよ……と姉が言って来たが、その姉に向かって
「アンタが死んだら、
もう一度同じ事が出来るんだろうか?」
…と正気の笑顔で言い放った『葬儀ハイ』から一周忌が過ぎ「退屈」となった時点で突然、それまでの
「身体が動く限りココに居る!」
…と言い切っていた言葉は消え
「三回忌なんて、何処でやっても同じだっ!」
…と言い出して『高齢者用マンション』への入居を自分で決めた時も、当時挨拶に来た御近所さん達には
「娘(=姉)のせいで
『姥捨て山』に捨てられるんだよ!」
…と、堂々と話していた人である。
私は姉にこう返事をした。
「じゃあ、『今の』アナタはどうしたいの?
どんな生活が『理想』なの?
って当人に聞いてみれば?
きっと答えられないと思うよ」