こちらのお話……
……の、メニュー以外での話。
『こういう時』
…私はつくづく「イヤなババア」だな~、と思う。
と言うか、私にとって『家族』というのはつくづく「鬼門」だな~、と思う。
『家族』が、まだ『家族ごっこ』に感じてしまう。
「それでも『マオ』君は
『アッチ寄り』過ぎると思う」
…と「テンちゃん」など言ってくれるが、それは彼が「トリ一家」と居ることが快適だから……と言うよりも特に義父、そう彼にとって
『父親らしい父親』
…に会えたから、だと私は心から感じているし、それはそれで凄くありがたい事だと思っている。
何より、一方的な
「何で★★してくれない!」
…という発想は自分勝手でしかないだろう。
それでも。
それでも……と思ってしまう。
今年の、気楽ではあったが『何か』物足りないクリスマス。
それは「いつも」感じることでもあるのだけど
『私ダケ』
…知らない・知らなかった・知らせる気もない。
…という感覚があるからだろうと自己分析はしている。
いつも思うのは
「みんな」で楽しく
…と言うよりも「トリ一家(一族)」の夕べに
「一人」何故かそこにいる
…という感覚。
まあ食事の時はまたちょっと別なのだけど、それでも……今回もそうだったのだけど……
「さあ、『デザート』にしましょう!」
…と私が言ったと同時に「トリママ」がサッとキッチンに行き、
『自分が持って来た』
…トナカイのカップケーキを半分に切ってサッサと孫二人に分けたのを観た時。
それこそ「第一子」ダケの時は「トリ」の号令のもと
『子供には甘いモノ厳禁!』
…という雰囲気だったから随分変わったな~、とは思ったが
『先ず、自分達の味!』
と言うか
『先ず、ワタシのモノを!』
…という『無意識の意識』が為した行動だな~、と冷ややかな目で観てしまった。
食事以外でも、大型テレビには最初から最後まで誰も観ていない「子供用」の番組がダラダラと流れていたので
「折角だから、これ、掛けてよ」
(最後の曲で「War is Over」と繰り返すのが心に染みる…!)
…と私のスマホから「マオ」に見せたのだが、その対応は
……『鼻息一つ』で終わった。
(それでも対抗して?小さくスマホで流していたら、所々義父さんが一緒に歌っていた)
その「マオ」からのプレゼントとして
孫二人の写真ばかりの来年のカレンダー
…があった。
いわゆる自分達で写真を選んで送ったら業者が仕立ててくれるもの。
中々立派な体裁ではあったが、ハッキリ言って……
……ちっとも嬉しくない自分が居た。
これでもし、私が海外……例えば日本に居てこういうものを送って来た、というのなら手放しで喜んだ……と思う(どうかな?💦)
しかし。
その気になれば毎週末でも
気軽に会えるくらいの距離に居るんだけど?
…と、書いて思い出した。
私の隣に座っていた義父さんに
(孫達がそれぞれ、産まれた時より)
「髪の色が濃くなって来たね」
…と言った時のこと。
彼の答えはこうだった。
「あ~、そうかな?
ボク達は
『いつも』会っているから、
気付かなかったな~!」
…ああ、そうだね。
アナタ達はパンデミックの時でも『チャイルドマインダー』として堂々と出入りを許されて?いたし、普段でもお互い車があるから「一緒に」何処でも気軽に出掛けられるしね。
だからごめんね、私が孫達に「この前」会ったのは5月頭だから気付いたのよ。
二人共「良く判らないオバサン」には近寄っても来ないのは当然だから『観察』するしかなかったしね。
いや、判ってる、彼=彼らに『悪気』は無い、全く。
良く言えば『無邪気』……悪く言えば『鈍感』。
全て『無意識の意識』。
英語で言えば『ナイーブ』な人達、か?
そも、私はカレンダーには結構「こだわり」がある人間で家中のソレは毎年決まったものを購入している……のだけど?
「私」に贈られたそのカレンダーは包装し直し、早々に日本の母=曾祖母に送った。
母にとって職員さん達への『自慢のタネ』が一年中ある、という方がカレンダーも本望だろう……と考えたからだった。
「贈り主」に失礼?
いや、彼ら……と言うか「彼」は車で「お迎え」に来る以外、もう見事に一切近寄らないのだから気付くこともない……ということも判っているから、ね。