はっはっはっ。

恐怖のクラヲタブログ~~~


ふた月ほど前の7月半ば、
神戸でヨハン・シュトラウス2世の
オペレッタ「こうもり」を観た。
Die Fledermaus
めちゃめちゃ面白かったし、
初生(はつなま)佐渡裕でもあった。


僕の席が3階の一番前だったので、
(オペラハウスなので3階でも遠くなく)
オケピットで振る佐渡さんがよく見えた。

やはりさすがだと思った。
あんな棒振られりゃあ音楽は変わる。

僕が中学のブラバンでも鎌響でも演ったことがある
大好きなその「こうもり」“序曲” だけでまず盛り上がった。

指揮というものも、
後ろ姿とはいえ、
歌や芝居のように、
その本質にある何かは映像ではなく
生で見て初めて伝わるもんだなと、
改めて思った。

なんてったってまずデカい(笑)
デカいのに動きにキレがありシャープ。
こりゃあ熱狂的なサドラーの気持ちがわかるって感じだ。
後ろ姿で盛り上がる。

そう考えると、
先のNHK「スーパー指揮者」で登場した
下野竜也氏などは、
生で聴いた(見た)ことあるが、
ほんとにちっちゃい。
広上淳一氏も然り。
あれで海外でも大活躍とは、
これまた得体の知れない凄い何かを放っているんだろうと、
逆に感心したりもする。

で。
今日の本題に入る前の言い訳。

ブログを始める時に決めたこと。
それは “自分が書きたいと思ったことを書く” だった。

作詞家やアーティストは、
誰も言っていない言葉や表現を思いつくと、
詞として形にしたくなるもの。
時としてブログも同じだ。

誰も書いていない(自分の知る限りではだが)
と思うからこそ書き残したくなるのである。
(こっちは仕事ではないが)

この場合は、
もはやブログ(=日記)ではなくレポートであり、
または夏休みの自由研究か。

加えて自分の記憶の整理をするという意味も多分にあるし、
書くために今回初めて知ったことも多々。
自分が生涯を終えそうな時に、
こんなこと書いたっけ?と楽しめればいい。


タイトルは、
「ベルリン・フィルと日本人指揮者」。

シーン。。

そう。
佐渡さんベルリン・フィル・デビューの報道のされ方に
文句があったからである。

6月4日ブログ「タコ5」の続きであり。

以下、僕の動ける範囲内で調べて、
未完成の下書きのまま長らく放置されていた。

動いたと言っても、
Amazonでポチッと古本を購入したり、
ウチにあった本から引用、
どこかのクラヲタのブログを覗いたり、
オケのホームページへ行ったりと、
ウチからは一歩も出ずだが。

別に佐渡さんで何人目とかはどうでもいい。
そのことによって佐渡さんの音楽自体が変わるわけではないし、
佐渡さんにとってだって、どうでもいいことだろう。

しかし、
今よりももっと風当たり厳しかった時代に、
西洋音楽の世界に東洋人がひとりで飛び込んで、
果敢に挑んできた尊い歴史があるんだ。

そんなたくさんの指揮侍たちの功績をないがしろにして、
「誰もが知っている『小澤征爾に次いで』って放送しときゃいいだろ。
その方が凄いことっぽくて、数字取れるっしょ。
ほとんどの人にはわかりゃしないだろう。」
的なテレビやマスコミの安易さは放ってはおけない。

あいまいな表現ならまだしも完全にウソも言っていた。
実際にあれでは
「世界一のベルリン・フィルは、
日本人では小澤さんと佐渡さんしか指揮していない」
と思っているお茶の間の方がほとんどとなっているだろう。

今回の報道で、
朝比奈家でも岩城家でも小泉家でも…、
「えぇぇ~ウチのパパだってぇ~」となっていたに違いない。。

僕がせっかく楽しみにしていた、
そして冷静に盛り上がりたかった
「佐渡裕ベルリン・フィルを振る」に水をさされた。

そして、
ベルリン・フィルを振った日本人指揮者について調べていると、
ネット上には明らかに間違いを記しているものがあったり、
こっちとこっちでつじつまが合ってなかったりするから、
これらをこの場で訂正するという意義もある。
はたして専門の方による正式な記録の文献などは存在するんだろうか。
まあ今回は僕の視点でということで。

「ではここから本編」としたいが、
読む方にも体力、集中力、お時間の限界がある。
ここまでで十分に長いブログになった。
これから始まったんでは、
たまったもんじゃない。
なので本編はまた次回。

お楽しみに。

シーン。。

いや。だめだ。
ブログだから順番が逆になる。

やっぱり今日放出。
以下は後日、改めて読んでいただく方がいいだろう。

では本編。


「ベルリン・フィルと日本人指揮者」

6月のブログで書いた通り、
日本人でベルリン・フィルを振ったのは14人。

( ) 内は指揮した日。
複数回ある場合は初登場の日。

戦前
山田耕筰(?)
近衛秀麿(1924年1月18日)
貴志康一(1934年11月18日)
尾高尚忠(1939年12月10日)  

戦後
朝比奈隆(1956年6月21日)
大町陽一郎(1959年7月2日)
小澤征爾(1961年)
岩城宏之(1963年6月10日)
渡邉暁雄(1965年9月30日)  
小泉和裕(1973年11月26日) 
若杉弘 (1976年6月22日)
山下一史(1986年9月27日)
大賀典雄(2000年6月14日)
佐渡裕 (2011年5月20日) 

ほとんどの人にとって、
こんな見たこともない熟語ずらりと並べられても、
さっぱりであろう。
でも全国でこのブログを読んでいただいている、
うーん、3人くらいは既に面白いはず。

では初登場順に追ってみる。
(以下、既に故人となられてる方は敬称略とさせていただきます)

$藤井 理央のBlog
山田耕筰は、一般的には「赤とんぼ」「ペチカ」「この道」
などの童謡や歌曲で知られているが、
日本のクラシック音楽界の土台を築いた重要な人物。
ワーグナー、R.シュトラウスばりの壮大な管弦楽曲を多数作曲した、
ドクラシック作曲家でもある。  

山田耕筰と次に続く近衛秀麿は、
招聘されたわけではなく、
お金を払ってベルリン・フィルを雇い、
演奏会を開いたらしい。


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近衛秀麿は、
第34、38、39代内閣総理大臣近衛文麿の異母弟。
1924年に次いで、
1933年10月3日にも指揮した記録がある。
この日は招かれたっぽい。
レコーディングも行われ、
カラヤン、ワルター、ベームらとのカップリングでCDにもなっている。
Konoe1
Konoe2
いずれも同じ録音であろうモーツァルトの協奏交響曲。


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貴志康一が1934年に振ったのは「日曜コンサート」。
ドイツ全土にラジオ中継されたらしい。
自作曲も演奏された。
翌年3月27日、28日にはその自作曲のレコーディングも行われた。
Kishi Rec
Kishi Amazon


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尾高尚忠 (1939年に指揮) は、
よくテレビにも登場する現N響正指揮者、尾高忠明氏の父親でもあり、
日本における西洋音楽史に偉大な足跡を残した作曲家である。
なんとちょうど今週末、
9月18日(日)21時からのEテレ「N響アワー」は
「生誕100年、尾高尚忠特集」だ。


そしてなんと、
ベルリン・フィルHPには過去のコンサート記録のコーナーがある。
Search & Archive
これさえあればバッチリ!
と思ったのだが、
戦前などの古いところは出て来なかったり、
カレンダー表記にはあるのに検索だと引っ掛からなかったり、
まだ整備中なのか不完全。

でも、
例えば大戦の空襲の最中、
よくドキュメンタリーでやってるが、
本当にこんなにも演奏会が行われていたのかと、
なかなかリアリティがあり盛り上がる。
ベーム、チェリビダッケ、クナッパーツブッシュ、カイルベルトなど、
そうそうたる顔ぶれが、
まるでこれからの予定かのように見れるので、
ヲタは萌える。。

どうやらベルリン以外での演奏の記録が、
ほとんど飛ばされているのが残念ではあるが。


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朝比奈隆。
2008年の生誕100年ブログにも登場した関西が世界に誇るマエストロ。
先のベルリン・フィルSearch & Archiveにある右側の検索欄に、
「asahina」と入れると3かたまり5公演出て来る。

かたまりとは同じ曲目で近い日程で演奏会が行われた場合、
それをひとかたまりと数える。
今年5月の佐渡さんは1かたまり3公演だ。

朝比奈さんは1956年6月、57年10月、58年12月と3年連続。
「朝比奈隆のすべて」(芸術現代社) にもあるように、
これらはれっきとした定期演奏会だ。


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大町陽一郎氏。
現在80歳。
東フィル(東京フィルハーモニー交響楽団)の専任指揮者を務める。
1931年8月22日生まれだから、
1959年7月、27歳の時にベルリン・フィルを振ったことになるとは驚き。
1980年2月、日本人として初めてウィーン国立歌劇場の指揮台に立ち、
82年より2年間、同歌劇場の専属指揮者を務めた。
僕の青春時代から、
国際的に活躍する重鎮の一人としてお馴染みだったが、
まだ生で聴いたことはないと思われる。
聴いておかなくてはならない。


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小澤さん。
日付がわからないが、
1961年に日独修好100周年記念行事というもので、
初めてベルリン・フィルを振ったらしい。Universal

その後のベルリン・フィル客演への常連ぶりは、
ご周知のとおり。
右側の検索に「ozawa」と入れると、
なんと81かたまり。
公演数など数えてらんない。

来年6月にも定期に登場の予定。
そして、
全世界にテレビ放映されるベルリン・フィル毎年恒例の
野外ピクニック・コンサート「ヴァルトビューネ2012」も振るようだ。
なんとか元気に指揮台に立てるようお祈りしています。

この“コンビ”による最近の演奏で、
映像とともに聴けるものはOzawa_BPO
2008年1月のカラヤン生誕100年記念コンサートの演奏。
曲も聴きやすいので、みなさんにもオススメ。

僕はクラヲタを名乗っておきながら、
生小澤征爾は実はまだなのである。

ちなみに、これまた今週末のテレビ、
9月17日(土)23:30からBSプレミアムでは
先月行われた「ヴァルトビューネ2011」をやる。

広い野外で2万人以上のお客さんが寝転がったり食べたりしながら、
世界一のベルリン・フィルを聴くという光景を見てみるのもいいと思う。
毎年恒例、ラストの「ベルリンの風」も盛り上がる。

話を戻そう。

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岩城宏之。
「iwaki」と入れると、13かたまりも出て来る。
最後2004年のは室内楽ホールのであり、
内容が書かれてないのでよくわからないが、
まずベルリン・フィル本体ではないだろう。

それを除くと、
1963年の初登場から1980年まで12かたまりとは、
まさに岩城さんも、この時代、客演の常連だったと言える。
自身の著書「フィルハーモニーの風景」(岩波新書) にも、
「ベルリン・フィルの定期で…」「次の定期で…」とあり、
ほぼいずれも定期演奏会だったようだ。
展覧会の絵、春の祭典、オケコン、幻想など、
当時の岩城さんらしいアッパーチューンが並ぶ。

6月の「題名のない音楽会」で、
「ベルリン・フィル『定期演奏会』を振ったのは
佐渡さんが日本人では史上2人目」
と思いっきり言っちゃってたが、これはウソだ。
ということが、ここらまででハッキリわかる。
あんな伝統ある音楽番組でそんなこと言っちゃうのあり得ない。
毎週見てるけど。。

僕にとっての岩城さんは小学校3年の1973年、
完成した直後のNHKホールで、
N響でシューベルト「未完成」とベートーヴェン「運命」という
ゴールデンカップリングを最前列かぶりつきで聴いた。
おそらく生オケ初体験。

あと中学1年の時にブラバンのみんなで、
神奈川県民ホールでN響ポップス・コンサート。
オール・チャイコフスキー・プログラムを聴きに行った。
コンチェルトのピアノは中村紘子さんだった。

岩城さんはこの2回かなぁ。

2004年、05年の大晦日、
「一日でのベートーヴェン交響曲全9曲演奏
“振るマラソン” 」が話題になったが、
06年6月に73歳で亡くなった。
生涯現役だった。


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渡邉暁雄 (あけお) 。
母親はフィンランド人。
ハーフでノッポでかっこよかった。
日本フィルハーモニー交響楽団を創設した。
僕の青春時代、日フィルと言えば渡邉暁雄だった。

母親の母国フィンランドの作曲家シベリウスを愛し、
世界初のステレオ録音による交響曲全集などレコーディングも数多く行い、
世界的なシベリウス指揮者として名高い。

「watanabe」と入れると、
この1965年と68年に2かたまり3公演。
僕の好きなヴァイオリンのイヴリー・ギトリスと、
バルトークのコンチェルト2番をやったことがわかる。
これは燃える。
これだってどう見たって定期演奏会だ。

高校2年の時、
(神奈川)県民ホールでの、
渡邉暁雄指揮、日フィルでマーラーの5番を、
サイダユウジと聴きに行った。
サイダがレッスンに通う中島先生を始めとする
金管セクションが最高だった。
これが僕の初生マーラー体験。
渡邉暁雄は1990年に81歳で死去。


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小泉和裕氏。
現在61歳バリバリの現役である。

1973年11月第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位を受賞、
直後の11月26日の公演はひと晩に4人の指揮者が記されており、
もうひとりの第1位のスナイスキーという記述もあるから、
きっと、コンクール上位4人がベルリン・フィルを振ることが出来る、
という演奏会だったのではなかろうか。Karajan
そのような記述は見つけられないが。

そして小泉さんは翌々年、
75年3月と76年10月の定期に迎えられることとなる。 
全部で3かたまり6公演。

僕は3年近く前に東京芸術劇場で、
小泉さんと都響(東京都交響楽団)を聴いた。
1212ブログの一番下)
その日のドヴォルザークの「謝肉祭」が凄かった。
オケ全体がめちゃめちゃドライヴしてて、
なんだか物凄いことになってるぞって興奮して聴いていたら、
案の定、お客さんブラヴォーの嵐!
まだ1曲目の序曲なのに。
このコンビ、また聴きに行かなくてはならない。


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若杉弘。
76年6月と85年12月の2かたまり3公演。
僕の青春時代、若杉さんと言えばケルン放送響だった。
欧州に活動の拠点を置く当時まだ数少ない本格派だった。

2004年に目黒パーシモンホールで、
若杉弘&都響でヴィオラのともちゃんが弾くからと、
めいちゃんと一緒に聴きに行った。
「運命」などオール・ベートーヴェン・プログラム。
2009年74歳で亡くなったことは、記憶に新しい。


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山下一史氏。
1985年からカラヤンが亡くなる89年まで、
そのアシスタントを務めた。
86年9月、急病のカラヤンの代役として、
急遽「第九」を振って世界的なニュースとなった。
翌日の9月28日も振ったようだ。
いいな。


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大賀典雄。
言わずと知れたソニーの社長さんである。
CDの開発と普及に努め「CDの父」と言われた。
しかし実は東京芸大についでベルリン芸大も卒業、
バリトン歌手として活躍した音楽家でもある。
1990年以降は指揮者としても活動した。

CD開発などを通してのカラヤンとの交友は知られており、
1枚に「第九」がちゃんと収まるようにとカラヤンが進言した
という逸話は有名。
しかしカラヤン自身の演奏は66分程度で、
『自分の「第九」が収まるように』ではなかったようである。
当時までの歴史に残る名演奏のうち、
一番長い(つまりテンポが遅い)とされていた、
フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管の74分31秒というのがあり、
かくしてCDは直径ちょうど12cm、収録時間74分42秒となった。らしい。
Beethoven No.9

カラヤンが自家用ジェット機を操縦していたことは有名だが、
大賀さんもしかり。
二人は共通の趣味であるジェット機の話で会うたびに盛り上がっていた。
いいな。

1989年7月16日。
この日も大賀さんはザルツブルク近郊アニフのカラヤン邸を訪れていた。
そしてその会談中にカラヤンは心不全により倒れ、
そのまま帰らぬ人となる。
「楽壇の帝王」の最後を看取ったのは大賀さんだった。

2000年6月14日。
ベルリン・ポツダム広場再開発地区に建設された
ソニー・センターの落成式典で、
ベルリン・フィルを指揮し「第九」を演奏した。

今年2011年4月23日に大賀さん逝去のニュースが流れた。
カラヤンと同じ81歳と3ヵ月だった。
また、この4月23日はカラヤンが1989年に生涯最後の演奏会
(ウィーン・フィルとのブルックナーの7番)を振った日でもあった。

大賀さんの話が長くなった。。


そして最後が佐渡裕氏。
ベルリン・フィルとの “コンビ” で、
次回はどんな演奏を聴かせてくれるのか楽しみだ。


以上がベルリン・フィルに挑んだ日本人指揮者たち。
その挑戦と功績に心からの拍手を送りたいと思う。
っておまえ誰だよ。

今回は「ベルリン・フィルを振る」をポイントに書いてしまった訳だが、
何もそれだけが指揮者の評価を決定するものでは全くない。
他にも、本場の地で活躍する
日本が世界に誇るマエストロ達が多数いることを付記しておきたい。
だからおまえ誰だよ。

最後にもう一度書くと、
今週土曜日23:30からBSプレミアムで
「ベルリン・フィル・ヴァルトビューネ2011」を是非。

斜め読みだろうと何だろうと、
お忙しい中、とにかく最後までたどり着いていただき、
ホントありがとうございます。

ぶっちぎりで本年最長ブログではないかと思われ。

今回珍しく中2日と短期間で更新したので、
久しぶりにここを訪れた方、
お疲れのとこ申し訳ありませんが、
3日前のブログも是非。↓

こんな長くない。