彩雲 20-0221 | noise or music

noise or music

電子音楽が好き。
楽音と雑音の狭間や
ノイジーな体験を書きます。

何かないと肩吊りの大物(デジ一)なんて持ち出さないものだけど、2月の下旬

照準を合わせてきたこの日にはFuji のミラーレスという特別なカメラが間に合った。

大丸大京都名舗展に着きそわそわしていると、ひょこっと。

ご意見もバシバシ言う、僕にとっては強い味方の大先輩が おなじみのジャケットに外の空気の匂いをさせてやって来られた。

 

非常に悔しいお知らせとしては、今年は大丸リニューアル改装中につき

7階特設会場での舞妓さんの踊りご披露がないということ。

でも舞妓さんがいらしてくださるだけでありがたい。

 

先斗町 もみ香さんの眩しさは そのディスアドバンテージも超えた。

人(ひと)なのに、人であられるはずなのに白く柔らかい笑顔で接してくださる世界やその背景は夢の中のもの。

いつまで拝見してても、彩雲 というか肯定の気分しか生まれない。

 

例えば先帝祭のリハーサル(太夫さんの素顔)と本番(白塗り)を毎年のように見比べていて

(誰が舞妓さんになるとどんなやろうか?)と女性に対して想像する可能性がないわけじゃない。

けれども もみ香さんは今、この催場でお生まれになってその初めから舞妓さんでいらっしゃるような文化を確信させてくださる。

 

催場内の店舗をごあいさつで回られる その、独立した空気が、雲の中のよう。

 

 

 

red i / りんぞう

J.S.Bach の『G線上のアリア』 の逆再生。それを聴いているうちに浮かんだ音の点。小倉モノレールに吹きつけるエオリアン・オルガンのような台風。そしてもちろん、下関での黄金時代のルートマスター。

 

 

yazd の青に魅せられて#19

 

[コーヒーの味の意味]

 

2月の中旬、朝から唐戸に行く用事があって、そのままボードウォークや商店街を歩いてたら Unique の前に『鐘ヶ江さんがいらっしゃる』 ことを示す看板が出ていた。(今日は第3金曜日やないけど?)と反射的にドアを開けた。

 

こちらの顔を見るなり相好を崩してくださった鐘ヶ江さんは、最近は... とおっしゃりながら、鋭意製作中のものをドカッとカウンターに置いて見せてくださった。 僕はと言えば音楽制作も絵画も数年前から止まったままで、頭でっかちになってるのは否めない。そのうえコーヒーを淹れていただくのは乗っかり切れないくらい受け身な気がした。サービスにはお金以上の真心で、それは敬意の言葉だろう。そこまで自分を研ぎ澄ませて整えてドアを開けたか?というと自信がない。ブレンドは今までいただいた中でいちばんアメリカンに感じられた。やはり、アクションがボディ(味の)なのだと感じた。