いわゆる徴用工裁判判決について、先に一文書きました。気になっていたのは、判決文の論理構成です。先のブログに書いた通り、以下のどちらかだろうと思っていました。

 

① 日韓財産・請求権協定における「請求権」には、実は穴が開いていて、今回の裁判ではその穴の開いている部分でいわゆる徴用工の請求権を認めた。
② 今回の裁判で認めた「請求権」は、完全に日韓財産・請求権協定の枠外。

 

 そして、ネット上にある判決文の日本語訳を読んでみました。この訳が正確なのかどうかを検証する力は私にはありませんが、その精緻さからしてかなり信用していいと思われます(訳された方の御尽力に敬意を表します。)。書いてあるのは、日本による統治は不法であるにもかかわらず、その点が盛り込まれない形で締結された日韓財産・請求権協定における「請求権」には、その不法行為分だけ穴が開いているという理屈でした。つまり、上記の①になります。

 

 上記の②のように「国と国では解決済み。ただ、個人で請求権裁判を起こす事は妨げられない。ただし、その場合も国は関与しない。」という意味での、個人請求権を前面に出した理屈ではなさそうです。なので、この判決の理屈に立つのであれば、国と国との間でも解決してない部分があるという事ですから、そもそも(韓国としての)外交的保護権の放棄すらないはずです。韓国の司法は、政府に対して「本件にフルマックスで関与して問題なし」という判断をしているわけです(そうさせたいが故に、今次判決の論理構成を行ったと見る事も出来ます。)。

 

 これを見て、元外務省条約課で本件担当補佐だった者としては「これなら国際司法裁判所に持っていけばそれ程苦労しなくても日本の勝ちだろう。」と思いました。幾つかの論点を述べていきたいと思います。

 

〇 日本の統治は不法だったのか。

 この議論は、日韓基本条約を締結する際に十分に議論したのです。その辺りは、8年前のブログに書いていました。日韓併合条約を、日本側は「有効だったけど、大韓民国成立以降は無効」と主張し、韓国側は「根源的に無効」と主張しました。その結果、正文である日本語では「もはや無効」という表現で落ち着きました。ただし、同じく正文であるハングルでは「既に」に近い表現が使われています(どちらかと言えば「根源的に無効」に寄った表現)。解釈に争いがある時に使われる、同じく正文の英語では「already null and void」です。この部分には色々と解釈の争いがあるでしょうが、少なくとも、この表現だけで日本の統治を不法だと言い切る事は無理だと思います。

 

 ただし、気になっているのが、同じく上記で引用した2010年8月の「菅談話」です。「三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」という表現があります。

 

 当時も「その意に反して行われた植民地支配」という表現に批判がありましたが、むしろ、私は「国と文化を奪われ」という表現がとても気に掛かります。「奪われ」という表現は、不法性を窺わせるものです。当時は与党議員だったからブログの筆致を抑えていますが、私は内部の議論では当時から明確に「危ない表現だから止めた方がいい。」と大反対したのです。今後、この談話を使って、「日本だって不法性を認めていたではないか。」という理屈は出てきそうです。

 

(注:よく村山談話を批判する方が居られますが、実はあの談話は主語や目的語が明確になっていない文章でして、ある意味よく出来ています。その機微さを理解しないまま、主語、目的語を明確にする形で菅談話は書かれています。)

 

〇 日韓財産・請求権協定の「請求権」に穴はあるのか。

 多分、これについては、国際法を専門にしている人間が見れば「そんなものはない。」と誰もが判断するでしょう。日本側の認識は、私の質問主意書答弁にある通りです(というか、答弁書を見ていただければ分かる通り、私が明らかにするまでもなく明らかなのですが)。これを全部くっ付けると、「あらゆる権利又は請求であって本協定が署名された千九百六十五年六月二十二日以前に生じた事由に基づくものに関してはいかなる主張もすることができない」となります。これは私が屁理屈を捏ねているのではなく、日韓財産・請求権条約やそれを補足する合意議事録を繋ぎ合わせただけです。

 

 そして、国際法を専門にしている人であれば、これ以外の読み方は無理でしょう。なので、究極的には、仮に日本による統治が不法であると判断されたとしても、それでも請求権を認める余地は国家間にはありません。何度も言いますが、今、韓国の大法院が言っているような理屈は、交渉当時から想定の範囲内だったのです。なので、そういう理屈を封じるための仕掛けはきちんと盛り込まれています。

 

 あれこれ書きましたが、この韓国の大法院の論理構成であれば、国際司法裁判所に行けば法律上は日本が勝つはずです。政府が国際司法裁判所に打って出るとの報道がありました。恐らく、綿密に分析した結果、「これなら勝てる」と判断したからでしょう。となると、今後は世論の盛り上がりとか、世界各国に対する広報戦が重要になります。私は、韓国は感情に訴えてくる戦略に出るのではないかと見ています。

 

 私は朝鮮半島から日本に来て、労働した方々に対して、特別の感情を持っています。決してすべての方が「自発的」に来たとは思っていません。在日一世の方から本当に語るも涙、聞くも涙の話を伺った事はたくさんあります。そして、今も残る抜き難い差別意識には常に憤りを覚えます。ただ、その私を以てしても、この請求権の話だけは「受け入れられない。」という結論です。