韓国の最高裁で、戦時中の徴用について三菱重工業と新日本製鉄を相手に起こした損害賠償請求訴訟の上告審で、個人請求権の存在を認める判決を出したということで問題になっています。今日は純粋に法律論に基づいて書きますので、感情論に基づくコメントはご容赦ください。なお、私が昔「日韓基本条約」について書いた文章はこれ です。


 まず、請求権とは何かですが、財産とか金銭といった具体的なものとは異なり、日韓基本条約締結時には具体化されていなかったものをすべて含むものであり、ともかく色々なことを請求する権利です。以前も書いたことがありますが、「いちゃもん」も請求権の部類に入ります(個々の具体的な主張をいちゃもんと位置付けているわけではありません。あくまでも理論的な話です。)。例えば、現代において「日本が韓国を併合していたことが感情的に不愉快だから賠償しろ」と主張する方がおられるとしても、これも一つの請求権です。


 そして、日韓基本条約ではこの請求権を相互に放棄しています。締結時には具体的なものとして存在していなかったものが後になってどんどん出てくるようでは、安定的な関係を構築できないということで、通常こういうかたちでの請求権放棄をします。条約上や締約国間のみならず、国民間の請求権についても最終的に解決したと定められています。


 ではこの放棄した主体は誰かというと国です。国民間で請求権が解決したとしても、その解決したことを確認したのは国です。つまり、国家間で請求権の事を主張することは止めようということです。なので、個人が訴を起こすことまでをも止めるものではありません。したがって、ここでいう請求権放棄とは、個人が仮に訴を起こして敗訴したとしても、それを国家が外交的に保護することはできないというふうに解されます。これを「外交的保護権の放棄」と言います。請求権の放棄とは、国家による外交的保護権の放棄というふうに最近は解されていることが多いようです(昔は結構解釈に幅がありましたが、突き詰めていくとこういうふうになります。)。


 なので、韓国人の方が裁判を起こすのは自由です。あくまでも国家による請求権の放棄は、個人が裁判を起こす権利を縛るものではないというのはご理解いただけるでしょう。日本でも結構な数の請求権裁判があります。ただ、これまでは両国の裁判所はこの手の訴訟にすべて敗訴を出してきました。今回、初めて韓国の最高裁が別の判断を下したわけです。もう少し簡単に言えば、これまでの個人的請求権というのは、単に「裁判を起こす権利」だと観念されていたのが、今回、その裁判における主張の中身についてまで権利性を認めたというふうにも言えます。


 では、国家の一機関たる裁判所の判断は日韓基本条約によって規律できるかということですが、ここは争いがあるでしょう。日韓基本条約で請求権を放棄している以上、それを覆すような判断を最高裁がするのはおかしいという理屈が成り立たないわけではありません。しかし、それ以前の問題として、裁判所は独立した存在であることは日韓共通でしょう。この部分を批判することはできますが、あまり有効な批判にはなりえないような気がします。


 仮に差戻審で賠償命令が出たとします(私がそれに極めて否定的な姿勢であることは理解ください。)。その時、どうすればいいのでしょうか。端的に言えば、無視すればいいというのが基本的なことです。少なくとも韓国政府が日本政府を通じてであろうとも、直接新日鐵や三菱重工業に対してであろうとも、本件をサポートすることも請求権放棄の観点からすると適当ではありません。


 ただし、難しいのは新日鐵や三菱重工の現地法人に賠償命令が被ってきた場合です。現地法人に賠償命令が来た際、それを無視し続けていると裁判所の執行官が来て、差し押さえ等の措置に出てきたらどうするかというのが一番大きな問題です。裁判官の独立を盾に、ガンガン現地法人に差し押さえ等の嫌がらせをしてきた際の対応を考えなくてはなりません。勿論、外交的に抗議することは言うまでもありませんが、そういう時は韓国政府は多分「いや、うちの国としては請求権を放棄しているんだけど、裁判所は独立の存在だからね。政府から言えることはないのよ。」としれーっと言ってくるでしょう。


 請求権放棄、外交的保護権の放棄みたいな話は、恐らく世界がこれだけグローバル化している状態を想定していなかったはずです。個人的請求権+裁判所の独立性+現地法人の存在という組み合わせを通じて、チクチクやることが可能になるというのは、日韓基本条約を締結した1965年時点では誰もが想定しなかったことです。


 そうやって考えると、「国家関係を正常化する際には一度全部チャラにして新たな歩みを進める」という知恵であるはずの請求権放棄って何なんだろうと、歯痒いというか、バカバカしいというか、何とも言えない思いになります。国民間の請求権についても解決したと国家が確認しているにもかかわらず、結局、国民間の請求権については何の歯止めも掛からなかったことになってしまっています。ここまで請求権放棄のスコープを矮小化してしまうということは全く適当ではないと思います。


 新日鐵や三菱重工の現地法人に嫌がらせが来た時のために、対抗措置の一つや二つは考えておいた方がいいのかもしれませんね。それこそ、投資家保護の観点から、最近TPPで有名になった日韓投資協定のISDS条項を使ってみるとか(出来るかどうかは分かりませんが)。