仙谷官房長官による発言をきっかけに、日韓基本条約における請求権に注目が集まっています。ちょっとこれを見てみたいと思います。


 まず、基本となるのが「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」という条約です。この条約では、第一条で日本政府による3億ドルの無償資金協力、2億ドルの貸付の供与が定められています。そして、第二条で以下のような規定があります。


【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 第二条】

1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下に入ったもの

3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。


 一般的に財産・請求権の放棄と言われるものです。そして、日本国内ではこの条約を受けて以下のような法律が出来ています。


【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和四十年十二月十七日法律第百四十四号)】

1  次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であつて、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「協定」という。)第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、次項の規定の適用があるものを除き、昭和四十年六月二十二日において消滅したものとする。ただし、同日において第三者の権利(同条3の財産、権利及び利益に該当するものを除く。)の目的となつていたものは、その権利の行使に必要な限りにおいて消滅しないものとする。
一  日本国又はその国民に対する債権
二  担保権であつて、日本国又はその国民の有する物(証券に化体される権利を含む。次項において同じ。)又は債権を目的とするもの
2  日本国又はその国民が昭和四十年六月二十二日において保管する大韓民国又はその国民の物であつて、協定第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、同日においてその保管者に帰属したものとする。この場合において、株券の発行されていない株式については、その発行会社がその株券を保管するものとみなす。
3  大韓民国又はその国民の有する証券に化体される権利であつて、協定第二条3の財産、権利及び利益に該当するものについては、前二項の規定の適用があるものを除き、大韓民国又は同条3の規定に該当するその国民は、昭和四十年六月二十二日以後その権利に基づく主張をすることができないこととなつたものとする。

附則

この法律は、協定の効力発生の日から施行する。


 これは条約にある財産、権利、利益の内容を確定させる法律です。法律としてはスゴい内容を含んでいるものでして、条約に沿うかたちで、大韓民国や国民の財産、権利、利益を消滅させているわけです。つまり、日本国憲法にある財産権の保障をクリアーした上で、この法律を作ったわけです。普通であればこんな法律はあり得ないでしょうが、当時の担当者の方が「慎重に憲法問題をクリアーしつつ、すべての財産、権利、利益を漏れなく厳密に消滅させた。」と話していたことを思い出します。


 そして、最後に残るのが請求権です。条約では、請求権の問題についても完全かつ最終的に解決されています。この「請求権」ですが、なかなか理解しにくい代物です。財産、権利、利益といったかたちで具体化していないものでして、そもそも全体像を確定するものが難しいのです。この請求権というのは、色々な形態がありうるもので、具体的な出来事によって受けた(が、現時点において権利として確定していない)身体的苦痛、精神的苦痛に対する補償もあるでしょうし、そこまでのものでもなく、単に「日本領となっていたことそのものが不愉快だから補償しろ」というものもあるでしょうし、もっと言えば「いちゃもん」も請求権に含まれるでしょう(別に私は韓国の方が現在、求めている請求権裁判等が「いちゃもん」だと言っているわけではありません。あくまでも法解釈上のカテゴリー分けです。ここは明確にしておきます。)。 したがって、消滅させるべき対象を定める法律はなく、条約の直接適用になります。


 戦争状態や正常な状態でない二国関係を解決するに際しては、どうしても新たな二国間関係を築いていくために、こういう問題をすべて一度チャラにしていく必要があります。その知恵としての請求権放棄なわけです。この請求権放棄のパンドラの箱を一旦開いてしまうと、それこそ何が出てくるのか分かりません。上記にも書いたとおり、「いちゃもん」も請求権の一部を構成するのです(何度も言いますが、これは理論上の話でして、現在、具体的に進んでいる請求権裁判等を「いちゃもん」と位置付けているわけでではありません。)。そして、そういう何が出てくるのか分からないような「請求権」の話を再燃させることは適当ではないと思いますし、それは先人の築きあげた積み上げをガラガラと崩すことになりかねません。


 「それは独裁政権下で行われたことであって、恩恵が韓国国民に行きわたっていない。」、「韓国国民には日韓基本条約の存在は知らされていなかった。」、それを検証する力は私にはありませんが、私はその事情を考慮した上で過去の法的積み上げを否定することはできません。国際情勢、社会情勢が変われば、それ以前の物事を否定できるというのは法的にはとても不安定です。しかも、この条約は処分的効果を持つ条約であって、一度法的に処分が終わっているので、また、それを復活させるということは法理論上は難しいでしょう。


 「今の韓国の若い世代は、国家間で請求権を放棄したことが感情的に理解できない。」、そうなのかもしれません。しかし、だから請求権を認めてカネを払えという理屈にはならないでしょう。そこで問われるのは、我々の姿勢ではあるかもしれませんが、請求権の話ではありません。


 なお、私はいわゆる村山談話にある「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」という部分を完全に共有しています。歴史をしっかりと見つめ、そして、お詫びと反省の気持ちを持つことは我々の世代の責務だと強く、強く感じている人間です。


 しかし、それとこの請求権の話は別です。そこをきちんと整理できずに感情論だけで進んでいくことは、結果として、日韓関係全体にとって最善の結果にはならないと思います。