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Theatre

観劇の備忘録。独り言。

デイキンはハンサムで頭が良くて女好き。日本版デイキン、まさにこの通りでとても素敵だったと思います。ただ100%混じり気のない陽。陰がゼロだったのが惜しかった。デイキンは陽に見せかけて実は陰って役柄だと思うので。

私の感性が低いのかもしれませんが、日本版のデイキンを見ても彼がアーウィンに惹かれる理由もその後の行為もなぜなのか全く分かりませんでした。ところが映画と脚本を読むとその辺りは非常に明快。

地方のグラマースクールでトップ層にいるボーイズ。詩を暗誦し哲学を論ずる、きっと彼らの属するローワーミドルの社会では抜きん出た存在。オックスブリッジ合格もその後の輝く未来も手に入ると信じていたと思う。
でも抜け目ないデイキンには分かっていたんだのではないか。受験のライバルになるのはイートン、ハーローに代表されるプライベートスクールに通う少年たちだ。彼らは自宅の書斎で詩を味わっている。育つ過程で自然に教養を身につけている。ヘクターに短時間に教え込まれた自分たちとは大きく違う。この育ち、階級の超えられない壁はオックスブリッジに入ったとしても続くかもしれない。デイキンはこの点はすごく不安だったに違いない。

そこに現れるアーウィン。既存の常識も習って来た全ても超えてドラマをぶち立てろ、オックスブッリジの教授たちの度肝を抜け。こう言われてデイキンが夢中にならないはずはない。イートン・ハーローの学生が思いもつかないエッセイを、オックスブリッジの教授たちが見た事もない新説を。アーウィンとのエッセイ推敲の作業はデイキンにとってとても刺激的なものだったに違いない。真実なんてどうでも良い。上位の階級にいる奴らを鼻をあかす。最高にスリリングなゲームだ。フィオナを攻略する西部戦線が色褪せてしまう程に。

映画版だとだんだんアーウィンに傾倒していくデイキンの様子がすごくよく分かる。二人の視線が絡む辺りも肝。日本版はうーん。デイキンの驚き顔のバリエーションは堪能できたのですが、そこに恋情が滲んでいたかというとちょい微妙。まっすぐな心の綺麗な役者さんだもんね。せめて映画版にしかないアーウィンとデイキンのタバコシーン。あれを取り入れたらもう少し良くなった気がするんだけど。

合格を勝ち取り、もはやアーウィンとの繋がりがなくなると実感出来たとき、デイキンが衝動に突き動かされてアーウィンに迫ったのが溜まらなく切ない。性的に早熟なデイキンにはアーウィンの視線の意味も、自分がゲイではないという事もちゃんと分かっていた。
それでもアーウィンに詰め寄った彼。
ああするしか彼との絆を守る方法はなかった。もしアーウィンがゲイでないのならば、生涯の師弟もしくは仲間としてつきあっていけただろう。しかしアーウィンが自分に求めているものはそれではない。そして自分が追いすがらなければ、この臆病な人は逃げてしまう。全部見えていたんだろうな。
このシーンは映画版のドミニクが最高に巧い。押しまくっているのにどこかで怯えている。アーウィンを圧倒する男の色気と少年としての繊細さが程よくミックスされてて、本当にこのシーンの彼が好き。日本版デイキンはただひたすらに押すだけなんだよね。明るく爽やかに迫るだけなの。とても格好くて素敵なんだけど、なんでそうするのかさっぱり分からずで。うん惜しかったです。

デイキン役の彼が役者としてダメと言う訳ではないのですが、どう考えてもこの役は彼のカラーじゃなかった。彼はあの美貌をいかしてオーソドックスな役柄が似合う。こういう屈折した役は、うーん、今はしなくて良い気が。
デイキンは彼じゃない方が良かったとは思うものの、彼がいなきゃこれだけチケット売れなかったのも事実。デイキンをカバーするために中村氏があのシーンで発奮したのは間違いないので、これはこれで良かったのかも。
日本版のヘクターに魅力を感じることが出来なかったことを告白しておく。
浅野さんは大好きなのだが、今回の役は全く心に響かなかった。

私の耳が悪いのか台詞が聞き取れない箇所が多く(文学作品、地名を語るシーン)、ボーイズへの憧憬の気持ちも感じられなかった。偏屈な自分の理想を貫く教師としては完璧だったが。
このヘクター像が日本版ヒストリーボーイズの特徴だったのかもとは今は思う。

テーマの一つである最後のヘクターの決め台詞。これも日本版だと全く感動出来なかったのだが、英語を読んだ瞬間に全てが分かって落涙した。英語だとこう始まる

Pass the parcel. That's sometimes all that you can do.


parcel(小包)って単語。これがすごく効いている。parcelと聞いて浮かぶのは小包、箱に詰められたクリスマスギフト、遠方の親戚から届いた贈り物、ワクワクしながら開けるもの、取り出して喜ぶもの(あるいはがっかりしたり)。これがparcelだからこの後に続く台詞の情景が浮かんで来る。

Take it, feel it, and pass it on.

箱詰めされた中に入っているのは知識や教養だけでなくガラクタかもしれない、誰かの思い出なのかもしれない。でもそれを取り出して感じる。会った事のない誰かの思いを共有する。そしてまた箱詰めして送り出す。

Not for me, not for you, but for someone, somewhere, one day.

私のためでなく、君のためでもない。いつか受け取る、会う事のない誰かのために。
ここは一幕最後、ヘクターがポズナーにハーディの詩を語るシーンと対をなす台詞で、本当に感動的。

Pass it on, boys.
That's the game I wanted you to learn.

ここもgameって単語が素晴らしい。 ヘクターの授業はこれから世の中に巣立って行くボーイズの少年として最後のそして最高の遊びの時間だった。
そして最後にもう一度

Pass it on.

作り過ぎてるけど、泣ける。胸を打つ。
これが日本語だともちろん同じ構成にはできない。それは仕方がないのだけれど、メインのフレーズが日本語だと

「自分が受け取った荷物を次の人に渡せ」

「parcel」を「荷物」にしたのが日本版の最大の特徴だと思う。
荷物になるとparcelのもつ箱詰めされたもののイメージがなくなる。ギフトのイメージも、開けた時のワクワク感も消える。代わりにもっと重たいもの、どちらかと言うと運ばなくてはならないもの、「重荷」のニュアンスが出て来る。
これは意図して「荷物」にしたんだろうな。ナショナルシアターのヘクターはただただ文学を愛し、大好きでたまらないものを生徒たちに分け与えた。そういう子供っぽいひたむきさが前面に出ていた、が、浅野ヘクターはもっと使命感を持って教育にあたっている。文学・芸術の愛好家というよりもまさしく教育者だった(彼が心から文学を愛していたのかもちょっと疑問なくらい)。日本で上演するにはこのタイプの教師にした方が観客の共感を得易かったのかも。非常に日本らしいヘクターであった。

と、なんとなく浅野ヘクター像が分かった気もするんだが、一幕最後の「鼓手ホッジ」の浅野ヘクターの演技は未だによく分からない。
あのシーン、映画だとヘクターの詩歌のひいては過去の作家たちへの愛溢れるシーン。更にはポズナーに向かって手を伸ばして結果触れない。後半アーウィンに「(愛の対象に)触れてはいけない」と告げる台詞に繋がる重要なシーン。台本にも手を伸ばすと書かれているのに、浅野さん確か腕を組んだままだったと思う。私が見た回だけなのかもしれないが。なんで手を伸ばす動作を入れなかったんだろう。ただ悲しそうに達観した表情で語るだけなんだよね。ここも台詞の聞こえが悪くて私が入りきれなかっただけなのかもしれないが。

いずれにせよ、最後まで分からないヘクターでした。ベネットはヘクターのカウンターパートとしてアーウィンを作ったと書いていて、オリジナルはヘクターが主だと思うが、日本版は完全にアーウィンの方が勝ってしまっていました。そういう作りにしたんだろうな。なんたって中村倫也初主演なんだもんな。


<おまけ>
ヘクターの決め台詞を原作単語を落とさない方向で日本語にしたら、難しい。今のところこんな感じ。

次の人に渡していくんだ。時にそれは君たちに出来る全てのこと。
受け取ったモノの蓋を開け、取り出して、感じる。そしてまた次の人に渡す。
私のためではない、君のためでもない、いつか、どこかで受け取る誰かのために。
次の人に渡したまえ、諸君。
これが君たちに学んで欲しかったゲーム。
次の人に渡せ。

ああなんかしっくりこない。もっと良い訳ないかな。

ちなみに日本版はこんな感じだったと思う。gameも落ちてた。綺麗にまとまっててすごいんだけどね。

自分が受け取った荷物を次の人に渡せ
時にはそれだけが君たちに出来ることだ
それを受け取り 感じて 次の人に渡す
私のためでも 君のためでもなく 誰かのために
いつかどこかで 次の人に渡すんだ
それを君達に学んで欲しかった
次の人に 渡せ







「ヒストリーボーイズ」
この秋一番観劇した作品となりました。脚本、役者、演出、とにかく舞台の全てが自分のツボで未だに忘れられない。消化のために覚書。以下ほぼ公式からの引用です。公演が終わった今になって読むと優れた紹介文だったと分かる。

儚い青春の一時期、怜悧なきらめきを放出し、型破りな教師から人生の深淵を学ぶ少 年たち。彼らは羨むほどの可能性と同時に悩みを抱え、斜に構えた軽口を飛ばしながら 自らの道を力強く切り拓いていく。2004年にイギリスから発信された青春群像劇は、 2006年にはブロードウェイに渡って人気を博し、舞台版キャストがそのまま総出演した映 画も同年に公開された。その話題作がいよいよ日本に登場だ。
 注目すべきは驚きと興奮のキャスティング! 少年たちを触発する新任教師アーウィン役に、今回が舞台初主演となる中村倫也。作品ごとに新たな魅力を開花させている中村の、さらなる新境地が覗けそうだ。頭脳明晰、容姿端麗のリーダー格であるデイキン役に扮する松ざか桃りを始め、8人のボーイズもいずれ 劣らぬ個性派揃い。そして浅野和之が、名優リチャード・グリフィスの遺したイメージを覆し、オリジナルとは真逆の観点から老教師ヘクター役に挑む。
 指揮を取るのは翻訳劇の巧妙な隠し味を探り当て、爽快に提示してくれる気鋭の演出家・小川絵梨子。シニカルユーモア満載の会話劇をいかにさばくか、その手腕に期待がかかる。遠い日の情熱と胸の痛みを呼び起こす、日本のヒストリーボーイズの奮闘をしかと見届けよう。

(ライター:上野紀子)


作:アラン・ベネット  翻訳:常田景子  演出:小川絵梨子  
出演:中村倫也 松ざか桃り 太賀 橋本淳 小柳心 渋谷謙人 Spi 大野瑞生 林田航平
   鷲尾真知子 安原義人 浅野和之

2014年8月29日(金)~9月14日(日)
会場: 世田谷パブリックシアター

2014年9月18日(木)~21日(日)
会場: 森ノ宮ピロティホール

美術:堀尾幸男
照明:原田保
音響:長野朋美
衣裳:ゴウダアツコ
ヘアメイク:鎌田直樹
音楽:nanoline
演出助手:長町多寿子
舞台監督:二瓶剛雄
フランス語指導:穴澤万里子 

舞台製作:クリエイティブ・アート・スィンク 加賀谷吉之輔

版権コーディネーター:マーチン・R・P・ネイラー
票券:インタースペース

制作:清水光砂
アシスタントプロデューサー:北原ヨリ子
プロデューサー:江口剛史
主催・企画・製作:シーエイティプロデュース

宣伝美術:永瀬祐一
宣伝写真:西村淳
宣伝スタイリスト:ゴウダアツコ
宣伝ヘアメイク:岩田恵美