1945年4月7日は沖縄へ向かう戦艦大和がアメリカ軍航空機の猛攻を受け沈没した日です。この戦いは「坊ノ岬沖海戦」と呼ばれています。
戦艦大和については、程度の差こそあれ私たち日本人に広く認知されている気がしています。
漫画家の松本零士先生(故人)によるアニメ「宇宙戦艦ヤマト」をはじめ、乗組員の証言をまとめた書籍、Youtubeでもいろいろな動画がアップされていますので。(^_^)
そこで、今回の投稿記事では当時世界最大最強の戦艦だったはずの大和を撃沈した、アメリカ軍の航空機たちに焦点をあてたいと思います。
最初にご紹介するのは「グラマンF6Fヘルキャット」戦闘機です。
この戦闘機は、アメリカ軍が鹵獲したゼロ戦を徹底的に調べ上げ、ゼロ戦に勝てるように開発された戦闘機です。
ゼロ戦の倍近い大馬力のエンジンを搭載し、速力や防御力、武装などの面でもゼロ戦を圧倒していました。
爆弾やロケット弾を搭載することも可能で、運用性に優れ第二次世界大戦中に最も戦果を得た艦載機と言われています。
日本本土にも飛来し、民間人を機銃掃射したこともありました。
次にご紹介するのは「SB2Cヘルダイヴァー急降下爆撃機」です。
空母に搭載するため、無理やり機体後部を切り詰めた設計になっていました。また性能より生産性を優先されたため、トラブルの多い機体だったようです。
しかしながら、マリアナ沖海戦や台湾、硫黄島、沖縄近海へと出撃し、大和だけではなく大和の2番艦である武蔵の撃沈にも貢献しています。
太平洋戦争の終結まで、主力艦上爆撃機として運用されました。
最期にご紹介するのは「TBFアヴェンジャー雷撃機」です。
3人乗りのこの飛行機は、魚雷を搭載して空母から飛び立ち、敵艦を攻撃することが主な任務でした。
とても頑丈な飛行機で、両翼にそれぞれ人が10人乗っても翼がたわむことがなかったようです。
また、操縦席の後部と胴体後方下部に機銃が取り付けてあり、敵機の攻撃から守るために大いに活躍しました。
どの飛行機も「強そうだなぁ」という印象がありますよね。笑
これらアメリカ軍航空機の猛攻により「坊ノ岬沖海戦」はわずか2時間足らずで日本の圧倒的惨敗に終わってしまいました。
どのくらいの惨敗か、日本とアメリカの「損害状況」を比較しますと、それが浮き彫りになってきます。
【日本の損害】
・沈没艦:戦艦大和、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、浜風、霞、朝霜の合計6隻(磯風と霞は自沈処分)
・戦死4,044名
【アメリカ軍の損害】
・航空機損失13機
・戦死・行方不明13名
この圧倒的な桁違いの損害差を見ますと、私はとても悔しくて悲しくて仕方ありません・・・。
当時の日本の最高技術を結集して、巨額の費用(現代の予算規模に照らせば2~3兆円)を投じ、日本の切り札として戦うはずだった戦艦大和がこんな無力だったなど・・・。
戦いの中で主砲も一発も撃つこともなく沈没してしまった、信じたくない事実です。
それでも、大和に使われた技術(球状艦首や15メートル測距儀のレンズなど)が、今日の世の中でも脈々と受け継がれていることはせめてもの救いです。
そして、坊ノ岬沖海戦に参加し、生存した日米の乗組員やパイロットたちがその後どのような人生を歩んだのか、想像をめぐらせずにはいられません。
今回の記事は、戦艦大和を沈めたアメリカ軍の航空機を紹介するために書いたのですが、やはり感情的なまとめになってしまいました。
明日から「新年度」が始まります。大和に想いを馳せつつ気持ちを新たに頑張りたいと思います。(^_^)