今回のミリタリーメカシリーズでは、第2次世界大戦中ドイツが開発した不滅の名戦闘機「メッサーシュミット Bf 109」をご紹介します。
この戦闘機を開発したのは、ドイツの航空機・自動車メーカーであるメッサーシュミット社です。
実は、世界初の実用ジェット戦闘機「Me 262」を開発したことや、世界で初めて「フレックスタイム制」を導入した会社だったりもします。(^_^)
メッサーシュミット Bf 109は33,984機も生産されました。歴史上もっとも生産された戦闘機であります。
A型から主力となりましたE型、G型などより重武装にした改良型も何タイプも登場しました。
また、ブルガリア、ハンガリー、スペイン、フィンランドやチェコスロバキアなど当時のヨーロッパ各国で運用され、大戦中には日本も数機を輸入しています。
メッサーシュミット Bf 109は、ヨーロッパ各地、北アフリカの戦線にも投入され「エーリヒ・ハルトマン」や「ゲルハルト・バルクホルン」といったエースパイロットも輩出しました。
ちなみに、エーリヒ・ハルトマン(機体に黒いチューリップ風のマーキングをしていたため、ソ連軍から「黒い悪魔」と呼ばれました)は352機撃墜、ゲルハルト・バルクホルンは301機撃墜という神業的な撃墜スコアを持っています。
後にも先にも撃墜スコア300機超えは、歴史上この二人だけです。
このようなすばらしい戦闘機でありましたメッサーシュミット Bf 109ですが、思わぬ落とし穴が待っていました。1940年7月10日に開戦しました「バトル・オブ・ブリテン」です。
ドイツがイギリスを攻め落とすために、イギリス上空やドーバー海峡を舞台に戦われたこの「史上最大の空戦」に、メッサーシュミット Bf 109は主に爆撃機の護衛任務につきました。
ところが航続距離(650kmほど)の短さから、実際にイギリス上空で戦える時間はたった15分たらずしかありませんでした。
この戦術的な制約は「バトル・オブ・ブリテン」の敗北の一因にもなりました。
航続距離の点で言いますと、日本の「ゼロ戦」が3000kmを超える性能を持っていました。もし、ゼロ戦を護衛につけていましたら、違う結果になっていたかもしれません・・・。(^_^)
今回はメッサーシュミット Bf 109をご紹介しました。
第二次世界大戦で登場した航空機には、好きな機体が数多くあります。順次ご紹介したいと思います。