「パダラマジュグラマ」
第一稿を読んだのが、公演一か月前。
盗賊が出てきて、アクションがあって、
クールでスタイリッシュな感じの内容だった。
初めて本を読んだ当初は全然違う役を当てようとしていたようだ。
書き直しに書き直しを繰り返し、
役も変わり、物語の流れも中身も変わり、
本番一週間前に
「この方向でやりたいです」
と脚本家が持ってきた。
遅筆なのはいつもの事だし、
各々が演出もできる役者なので、形にはなるだろうと思っていた。
稽古の進みはあほみたいに早い。セリフさえ入れば、なんとなくシーンができてしまう。それができてしまうのは、役者の力量が他とは群を抜いているからだろう。
パソコンを稽古場に持っていき、出番がなければ、お問い合わせに返信していた制作兼任時代が懐かしいほど、稽古場では自分の役以外の事は考えていなかった。
おかげで、
台本は自分の登場シーンから登場が終わるまでしか持っていないミラクルw
稽古は短くて、ほかのシーンやってるときは自分のとこ稽古してたし、本番中は楽屋だし、
最後の最後まで自分の出てないシーンはほとんど見てないから
ぶっちゃけ、ほかで何が行われてるか知らない始末。
今回は、っていうか今回も。
新生おぼんろになって関わってきた本公演すべてで、
私
死んでます。
生きてエンディング迎えたことが一度もない!
毎回末原が気持ち悪いバカのナヨナヨキャラであったり、
さひがしさんが悪役的なキャラが定番になってしまっているように、
死にキャラが定番可されているという事に気が付いた。
死に際は美しくがモットーです。
死んだことないから、死ぬというとこがどういうことなのか
わからないけど、
死ぬことに嘘が生まれないように、
嘘をつくのです。
続く!