♪ 讀賣新聞 1885(明治18)年8月29日付 アウイとブライユの<盲人新聞> | 京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

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 讀賣新聞 明治18年8月29日 1885年 (以下、記事中の漢字については現代の表記に改めた。また、助詞のハに続く人名のカタカナを区別するため、ハの後に1字空けるなどした。ハウイはアウイもしくはアユイを指す。ブライユの新聞を凸字体と説明されているが、それは点字であろう。東京教育博物館の刊行物には点字という語もすでに表れていたが、新聞には浸透していなかったようだ。写真は、記事の全体)  ★新聞名を修正しました(11月16日22時58分)

 

〇仏国盲人新聞 仏国に於て始て盲人の為に新聞紙を発行せしハ僅かに二箇年前の事なり該新聞ハ二種ありて定時発刊を一ハ ル、ウアランタン、ハウイ 一ハ ル、ルイ、ブライユと称す共に仏国人の名にして其の人元来世に知られざりし者なりしガ此の新聞一たび出てより大いに名声を博せり

ル、ウアランタン、ハウイ新聞ハ俗文を以て綴り盲人学校の校長及び教師等に送致し又ハ盲児の父母其の他仏国内にて四万を以て数ふる盲人に直接の関係ある諸人に発送す

ㇽ、ルイ、ブライユ新聞の盲人ルイ、ブライユなる者の工夫を以て凸字体に印刷するものにして直ちに盲人に送る而して該紙上を二類に別ち第一類ハ特に盲人に関する教育、勧告、新報等の有益にして且つ盲人ガ他に知得する能はざる事柄を記載し其の第二類ハ文学理学及び音楽に関する事項を記載し文字ある盲人をして朗読の助けを借らずして直ちに学芸の現状を明白に知悉せしむ

右二新聞発行の功績と云ふべきハ其の実用に適応するを以て徴するに足れり而してル、ウアランタン、ハウイハ大いに世上に伝播し南米里約日路内(りよひやねろ)、聖彼得堡(しんとぺいとるばると)、倫敦(ろんどん)、及び米普尼(めるぶるぬ)(墺太利の地名)の各地に至る又ル、ルイ、ブライユを読む者ハ特に仏国の盲人に多しと雖も又白耳義(べるじい)、瑞西(すいつる)、日耳曼(ぜるまん)、加納達(かなだ)等に伝播す亦以て二新聞の幹事にして広く世間の盲人教師と交はり専ら身を此の業に委ねて余念なきガ故に該新聞ハ終に盲人に関する諸報告の中央部を占むるに至れり二新聞とも代価ハ極めて廉なり云々 (明治十八年八月二十八日官報)