58 連載12・『音楽報国』 | 京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

視覚障害教育の歴史を研究しています。京都盲唖院、古河太四郎、遠山憲美、鳥居嘉三郎、石川倉次、好本督、鳥居篤治郎、小野兼次郎、斎藤百合、エロシェンコ、楽善会、雨宮中平、点字

(6)音楽報国

 1941年2月16日大阪毎日新聞に「盲目の少女たちがお琴や歌で白衣の勇士を慰めました」
と題する記事がある47)。「これは暗い盲ひた学童らで催された明るい学芸会――大阪府立盲
学校では、十五日午前九時から同校二階講堂で、父兄および同じ眼疾に不自由をかこつ大阪陸軍
病院白衣勇士ら約二十名を招いて学芸会を開催、初等科三年生志村君の「ホフマン五七番」ヴァ
イオリン独奏、同科二、三、四年生の筝合奏「くろ髪」(略)など盛沢山のプランで、暗い世界
を明るく生きる朗らかな集いを行ったが、指尖の感触で目の不自由さも何処へやら、その演技ぶ
りは目あきも遠く及ばないほど素晴らしい出来栄えであった(略)」。同日付大阪朝日新聞もこ
れを報じている。音楽もまた、視覚障害者にとっては参加しやすい分野であった。京都府立盲学
校でも、牴山敲鷙餃瓩漏惺珊垰?銈冒箸澆海泙譴討い襦「昭和十九年、十月二十二日、日曜日、
音楽部の有志、(略)先生引率のもて、横須賀大津海軍日本赤十字病院に慰問に出向かれ午後二
時帰校」などと『当直日誌』に記されている。

 「我ら盲人の筝三弦は単なる娯楽器具であってはならない48)」という時代であった。