あの日から一年が過ぎました
一年という区切りをしたいわけでもなく、振り返りたいわけでもありませんがどうしても記憶は消えませんね
11日という日をわたしはなるべく普通に過ごそうと意識しました
テレビではこぞって震災の特集番組を放送していましたのでね・・・
買い物に行った車のなかでその時を迎えましたが、夫の車の中のテレビでどうしても合同慰霊祭の中継を目にすることとなり、その時間が近づくにつれ気分が悪くなっていきました
震災の当日、わたしは津波を目の前にしたわけでも、停電・断水したわけでもなく、余震の中ではあっても自分の布団の中で眠ることが出来たわけで・・・、気分が悪くなるようなフラッシュバックは思いつきません
ただ、その後の日々の変化がじわりじわりと心を刺したのでしょう・・・
ガソリンがない、食べ物がない、避難の受け入れ、農作物の作付けの不安、原発・放射能の言葉と切っても切れない毎日の生活、東電や政府への不満、何も改善しない生活・・・
気分が悪くなりました
先日もう一つのブログで書いたように普通の日々や暮らしはなんだったんだろう?
毎日のニュースも新聞も8割がたはそれと関連するもの
なるべく普通であることを心掛けなければ堕ちていく一方です
避難所で知り合った浪江の友人が就職しました
震災から一年を過ぎる12日から仕事に行きはじめました
この避難先の二本松で働くこととなりました
そんな彼女にエールを送りたいと思います
彼女にも先のことなんかわかりません
ここにこのまま暮らすのか、浪江に帰れるのか・・・(本人はもう帰るのは無理だと断言しています)
故郷をあきらめることに・・・なるのでしょうか
多くの人が何万人もの人が避難から一年を迎え、生活は、暮らしは、どうなのでしょう
先日少し書きましたが、うちの班に新しい住人が越してきました
これから農業を始めるという人です
主を失った空き家があったのでそこに男性一人越してきました
うちの畑を使うことになりました
昨年何も作らなかった手つかずの場所です
農業普及所による放射能の影響の調査もかねて作付けします
いろんな人が動き出しています
暮らしを作るために
他県の人から見ればおかしいことかもしれない
でもわたしたちは必死です
暮らしを作るために
皆が少しでも普通の暮らしを取り戻したいのです