わたしの日常は
正解探しそのものでした
・○○した方がよいのかな
・何て言えばいいんだろう
・普通は○○なのかな
・○○すべきなのかな
などなど、
どうしたらいいのかを常に考えていました。
ただ自分としては、
正解探しをしているときもたまにはあるけど、
自覚ができているなら
すぐに直すのは難しいかもしれないけど、
そこまで問題ないのでは?
と思っていました。
この認識が甘すぎた。。
常に正解探しをしていることに気づけなかったのは
○○した方がよいのかな
何て言えばいいのかな
普通は○○なのかな
○○すべきなのかな
と考えているとき、
○○の正解ってなんだろう?
どうするのが正解なのだろう?
などのように
「正解」というワードが出ていなかったから、正解探しだとは気づいていなかった
まさか自分がこんなにも日々正解を探しながら生きているなんて思っておらず、
これに気づいたときは愕然としたよ…
この世に正解はない。
どうすればいいかではなくて、
自分がどうしたいかで選べばいい。
そうリワークで改めて学んで納得してからは
自分がどうしたいかわからないという
これまた衝撃的なことが発覚したんだけど笑、
それは今まで正解を求めて探して考えることに頭を働かせてきた代わりに
いかに自分の気持ちに目を向けていなかったか
ということの現れなのだと思った
そのときの衝撃を書いた記事笑▼
正解という言葉を使っていないから正解探しをしていることに気づかなかっただなんて、
アホっぽくて笑える
実は浅い落とし穴ですぐ出れるのに、
深いと思ってハマり続けていた感じ
ではなぜ
「もしやこの穴浅い?すぐ出れるかも?」と気付けたのか。
「正解という言葉は使っていないけど、これって正解探しじゃん!!」と気付けたのか?
それは、
①リワークでスタッフさんとたくさん面談したから。
②自分の課題に向き合ったから。
③もやもやをもやもやのままで終わらせず、全部紙に書き出したから。
特に③。
書き出すと
○○した方がよいのかな
何て言えばいいのかな
普通は○○なのかな
○○すべきなのかな
というフレーズが沢山あることが目で見てわかる。
そして、「先日のプログラムで確かやったな」とプログラム内容とリンクすることがあったりすると、
…なんかこのフレーズ変だよね?
という思考になれて
もしかして…
と色々気づいてくる笑
色んな人が何度も何度も言ってることだけど
いや、
色んな人が何度も何度も言ってることだからこそだけど
ノートに書き出すことって超大事なんだな
と思いました
どうすればいいのか考えているときは、
正解探しをしていますよ!