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密教僧のブログ

幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。


一般的な霊の世界、つまり、霊界が階層に分かれていて最後の審判を受け、天国か地獄に選別されると思っている方もいると思います。また、そのように説く宗教もあると思いますが、実際は違うのであります。


地獄への審判などなく、地獄へ行くべき霊は、ひとりでに自然に足がその方向へ向いていくのであります。波長の合った世界へ自然に向かいます。



人間の世界でも、自分の波長と合った世界へ自然に向かいます。

泥棒は泥棒の世界へ、人の役に立とうとしている人は、自然にそのような群れ、組織に向かいます。泥棒のような地獄の波長を持つ魂の人間の群れに入れば、当然、裏切りもあろうかと思います。お互い信用できる関係など築けないでしょう。



精神性の著しく低い男性と一緒になって人生をだめにする女性も多くおりますが、自ら不幸を選んでそうなるのです。自分の波長が高ければ、低い男性と交際する事など確実にありません。そして不幸になる事もないのです。どこかでそれに気がついたならば、直ぐに縁を切る事が大切なのです。



最初から意識の高い人などおりません。

魂の成長のために、不幸を一時的に経験する事が、大きな気づきになる事もございます。



どこかで自分の愚かさに気づいたならば、謙虚に受け止め、心を改める事が大切なのです。その作業をしていくうちに意識は向上していくのです。そして意識の低い人間とは波長が合わなくなっていくのです。

不幸になる原因をつくる事がなくなるのであります。


幸せになれない人は気づけない人、気がついても素直に認められない精神の低い人なのです。



よくある相談で、友達から借金をお願いされた。

保証人になって欲しいと頼まれたが、どうしたら良いのか。という相談が多いのですが、そのような事を言ってくる事自体、それは友達ではないのです。非常に意識の低い繋がりと覚えておくと良いでしょう。



友人の保証人になり、逃げられて不幸のどん底に陥っている人もたくさんいると思います。意識が低いとそのような繋がりがたくさん出来てしまうのであります。まさに、生き地獄へ自然に陥ってしまうのです。


借金の繋がりは、非常に意識の低い繋がりで、波動は最悪です。


波動の分かる方は、サラ金のATM付近に行くと、別次元の波動を感じると思います。空気は淀み、暗く重い波動が出ています。


話がそれましたが、



この世も、あの世も外界は自分自身の心の投影の世界という事なのです。


霊界で進むべき道は、現世ですでに決定づけられています。この世で生き地獄に陥っている人は霊界へ行っても苦しみが続きます。魂の波長が変わらない限り永遠に続くのです。

ですから、現世で精神性を高め幸せにならねばいけないのです。



現世の生き様そのものが、霊界への道に続いているとも言えるのであります。


人間は墓の中に入ると、つまり霊の世界へ行くと、大罪を犯した人を除いては、すべての人が平等になります。金持ちもなければ、貧乏人もいません。美人という現世での基準も通用しない世界です。知性が優れているとか、知能が遅れているという事もないのであります。

すべての霊は平等です。死の時を迎えれば、美も醜も勇気も素朴さも、何もかも無に帰します。


よく、情けは人のためにならずといいますが、とくに故人に対する情けは自分のためといっても過言ではありません。


先祖をねんごろにまつるのは、子孫を大切にする事でもあります。かわいい孫を抱くのは、先祖を抱くのと同じ事です。


霊の世界にいる家族の霊に対する供養は、霊界での浄化によって、霊がより幸せな来世になるための供養であると同時に、自分のためだということになります。


運命は前世から引き継いできたものと、さらに、自分で開拓する運命とがあります。供養を重ねる事で守護霊がついたならば、その運命はさらにプラスアルファーのエネルギーが付加します。

先祖があっての自分であり、その自分が次の運命になっていると考えると、毎日の暮らし方にも自ずと心すべきものを感じるはずです。

早く現世に戻るためには、どうしても現世の人のバックアップが必要なのであります。供養をしてもらう事で、霊界に留まる時間を短くする事ができるのです。


いつも、その故人を心にかけていてくれて、毎日の供養を欠かすことのない家の故人は、安心して成仏の道を進むことができるのです。


仏壇に供えられた花は、故人のいる霊界を彩ってくれます。

たむけられたお線香の煙は、霊の身体を軽やかに浮かせてくれるのであります。

故人の生前好きだった食べ物も供えてあげると霊は、そのエキスや匂いを吸い取り、それだけで食べたような気分になり、早く生まれ変わろうと努力するのです。


現世でも、自分を応援してくれる人がいる人、全くいなく孤独な人もいますが、自分を応援してくれる人がいる人は、精神的な支えや安心感があり気力も充実し、幸せな人生を送る事ができます。


亡くなった人を供養するというのは、応援してあげる。そのような事なのです。


仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたりすると、霊はすぐに寄り添ってくるのであります。




供養ですが、お仏壇や位牌がなく、お水とお線香だけでも心がこもっていれば十分なのです。霊は、納得します。無理をしても霊は喜びません。

いくら立派なお仏壇や位牌があろうとも気持ちもなく手を合わせていたのでは、供養にならないのです。


人間同士でも気持ちのこもっていない「ありがとう」を言われても響かないでしょう。気持ちをこめて言うから心に響くのです。人も霊も同じなのであります。



前回の記事で、霊は、三十七年~五十年くらいで現世に戻って来ることが多いと書きましたが、生まれ変われない霊もおります。


現世で人の道を踏み外した霊、たとえば人殺しをした霊などは壮絶な地獄をつくりあげていますから、霊の世界で一歩も前進できないのです。そのような霊は何百年も霊の世界にとどまり続けます。


また、自分が死んだという事を納得できない霊も、現世には戻れずに霊界をさまよい続けています。

そのような霊は、多くの場合、地縛霊となります。


さらに、心中で死にきれなかった片方が生き残った場合、死んだ方の霊は成仏できなくて、霊界にとどまったままでいます。現世に生き残った片方が幸せに暮らしており、死んでしまった相手への供養を怠っているような場合、それを恨む気持ちが地縛霊となって残り、なかなか生まれ変わる事ができません。


自殺で死んだ霊は、容易にこの世に戻れません。自然界には、自分の命を無駄にしてはいけないという掟があり、その掟を破ることになるからです。人は一人ひとり、自然によってこの世に生かしてもらっているのですから、勝手に自らの意志で生を絶ってはいけないのであります。



人は死んで霊となり、霊の世界に入る事になります。


霊の世界にいる期間は、人によって異なります。はっきりどれくらいの期間なのかは分かりませんが、三十七年~五十年くらいで現世に戻って来ることが多いのです。そのため、年忌法要も三十三回忌または五十回忌を最後に弔い上げをするのであります。


どんなに遅い霊でも五十年~百年くらいでほとんどが生まれ変わっています。


何代も前の霊が現世の人に祟りをもたらす事はないというのはそのためです。生まれ変わった現世で、生きている人間に祟れないのであります。


人間の寿命が七十年とすると、五十年霊界、七十年現世の表裏表裏となります。


成仏するというのは、亡くなった事を自覚し、本当に仏になるという事です。現世に未練も後悔も残さず、すっきりと関わりを断ち切って仏になるのが成仏であります。


現世での生き方に納得がいかず、生前の後悔を背中にどっぷり背負っていると、なかなか成仏できず、あげくのはてには不成仏霊になる事が多いのであります。


仏になれない人とは、たとえば、死んだ後まで特定の人を恨んだり、現世に未練がありすぎる人です。

このような人は、霊界をさまよい続け、成仏の道を遠のくしています。


現世で、心の醜さから不幸になっている人は、死後、成仏できない傾向があります。

そのような精神性の低い人は、納得できない、恨む、やられたらやり返す。という言葉を良く使います。

その心の在り方が、死んでからも不成仏霊となり、不幸が続くのです。 心が変わらない限り永遠に続きます。


仮に生まれ変わってもまた、不幸な生涯を送ることになります。

ですので、この人間の世界で生きているうちに精神性を向上させなければいけないのです。


霊界においてもまた、現世と同じように、ものの考え方や、心のもちようで、周囲のありようが随分と変わってくるのであります。

これまで、多くの霊視をしておりますと母子の間には人知でははかり知れない不思議な関わりがあるものだと実感するのであります。

 

寄せては返す波の様に、母に押し寄せた波が同じように子にも押し寄せる事が多いのです。

 

 

幸せの波であれば、何度でも望みたいものですが、母親と同じ不幸が子にも伝承され、次代に因縁が継承されていくという事が少なくないのであります。

 

 

不幸な波はその代で断ち切ってしまうべきであります。

 

何の罪もない子孫が気の毒です。

 

苦しみにあえぐ人を霊視すると、先祖に同じ苦しみを味わっていた人がいる場合がほとんどです。

 

また、先祖が他人にその苦しみを与え、その因縁として子孫に因果がまつわりついているという場合もあります。

 

人を殺害するなど、人間として最悪の行為をした人がいれば、子孫の中に、同じように殺される人が出る確率が高くなります。

 

 

自分が生んだ子を捨てるというのも重罪です。

 

 

不幸にしてそうなってしまったならば、先祖に手を合わせ謝罪し、犯した罪を償うべきなのであります。

 

そうする事によって、子孫に残る因縁が軽減され、時間はかかりますが根絶されるのです。

まず、因縁をつくらない、つくってしまったならば供養によって贖罪するという心がけが大切なのであります。

 

 

 

街中などを歩いていると、多くの人がいる中で、見ず知らずの他人と目が合い、一瞬意識が繋がる経験を誰でももっているのではないでしょうか。


簡単にいうと、それが波長が合ってしまうという事であります。精神性の低い者同士波長が合えば、因縁をつけた、ガンをつけたと喧嘩になる事もあります。

低級霊による憑依も同様であります。
低級霊は、いたるところにいますから、波長が合えば憑依して災いを起こそうとします。


ですから、常に精神性の向上に努めなければいけないのです。精神性が上がれば、精神性の低い人間や低級霊と波長が合う事もなく、事件、事故などの災いに遭いにくくなります。


精神性の低い人間と関わると、百害あって一理もないのであります。

間接的に関わっても、悪い影響をもたらします。


私は、ブログ冒頭にも書いておりますが、読者登録申請を頂いた場合、そのブログとお気に入りブログを拝見し、波動の悪いブログ、また、波動の悪いブログを読んでいる方は削除しております。

波動の悪いブログに興味をもつ、読む。精神性の低い人間に関わるという事は、必ずその方も潜在的に似たような波長を持っているのであります。

よく因縁というと何百年も前のことまで遡って、その方の事をみる人がいますが、そのように遡らなくては分からないような因縁を末裔にまで及ぼす人は、本当に罪深い人であります。何百年も前の因縁が影響するという事は、ほとんどありません。


たいていの因縁を及ぼす人というのは、親戚の誰かに聞けば分かるくらいの代までの人の事なのです。

たとえば、病院で運悪く医師による医療ミスで亡くなるということ自体、因縁の現れである事が多いのです。


この因縁というのは、厄介なもので、何かをした張本人ではなく、関係のない子供や孫に及ぶ場合が多いのであります。


人の恨みの中には、結構深いものがあります。

子孫の代まで恨み、無念にも亡くなっていく人もいるのです。

最近は、簡単に人を殺害する事件が多いですが、

人を騙したり、酷い事をすれば必ず祟られ、自分や子孫に返ってきてしまうのであります。

人を苦しめて、自分だけ幸せになるという事など絶対にありえないのであります。




階段は運を表します。

ゆるやかな階段の場合にはまだ救われますが、比較的角度のある階段が、家の真ん中にかかっている場合には、頭を患う方がでる事があります。

精神に異常をきたす病気にかかる確率が高いのであります。


玄関を入るとすぐ、階段が中央にある家などであります。

そのような家で、精神に異常をきたした方がおり、肩がこる、階段から人がおりてくるような気配がする場合は階段による障りといえます。 このような場合は、階段をなおす以外に対策はありません。


他には、十三段の階段はよくありません。

また、階段の下の傾斜を利用してトイレをつくる人がいますが、これもよくないのであります。

自然の理に逆らった家の設計は、必ず人体に悪影響を及ぼす事になるのであります。